第11話 ある侍女長の戦闘訓練

 それなりに朝も早かったのに、既に待っていた上官に書類を提出し、読む速度に合わせるよう、要点をかいつまみ、それなりの時間を使って話した。

「――以上が、報告となります、アイラ少佐殿」

「まだ続いているが?」

「はい、それはダンジョンへ足を踏み入れた際の報告書です。仕事とは別ですが、念のために記しました」

「念のため?」

「はい、少佐殿。現実とは思えない光景を目にしましたので」

「何があった」

「化け物に逢いました」

「……曖昧な表現だ」

「それ以上の言葉を持ちません。それに関連してもう一つ」

「言え」

「彼女がもうすぐ、軍訓練場に顔を見せます」

「……? この報告にある、シロという女か?」

「はい。今はダールトン・メッセの屋敷で厄介になっており、家主は陛下に謁見があるとのこと。それに同行し、訓練場で戦闘訓練をするそうです」

「相手は、誰だ?」

「は、おそらくケイセさんかと」

「なら相手にならん」

「失礼ながら少佐殿、どちらの話でしょうか」

「お前は、戦技帝の弟子であるケイセの相手として、この女が充分だと?」

「少佐殿」

 どう伝えればいいのかは、迷う。

 今も書類に視線を下ろして呼んでいるこの女性は、ケイセと同じく戦技帝の弟子の一人。そして自分は、ミカは、まだ部下になりたてのようなもの。

 だから強い言葉は避けた方がいい。

「――少佐殿。ケイセさんが負けるような状況は、問題になるでしょうか」

「冒険者なら、ランクS相当だろうな。だがそれも、実戦での話だ。こと訓練ならば、殺し合いには発展しない。その時点で勝ちも負けもない――と、言っても伝わらんか」

 言いたいことは、わかる。

 加えて、ミカでさえ、シロの実力をすべて見たわけではないのだ。

「確かに、現地員を一撃で殺すのは、大した腕だとは思うが」

 ――やはり。

 駄目だ、伝えようがない。

「何をそこまで、問題にする?」

「……いえ、理解しました、少佐殿。申し訳ありませんが、私はこれより、訓練場へ向かいます」

「そうか。……いや、待て、私も行こう。ケイセにも挨拶をしておく」

「は、諒解であります」

 ああ、良かった。

 本当に良かった。

 最低限、こうなってくれれば、あるいは伝わるかもしれない。

 この――ミカにも、どう表現すべきかわからない、シロの怖さが。


 きちんと読み終えるのを待ってから、訓練場に向かう途中、二人に出会った。


「ケイセ」

「あら、情報部指揮官殿、アイラ少佐殿、お久しぶりです」

「よせ、お前は軍人じゃないし、同じ人の弟子だろう」

「そうですね、アイラ。しかしここは軍部ですから」

「……それもそうか。訓練場に用事らしいな?」

「ええ、こちらのシロ様と、手合わせを」

「どうも、初めまして。ミカから報告は上がってるだろうし、ボクの紹介は必要なさそうですね」

「そうだな、私はアイラだ」

 そうですかと、シロは頷き、手で先を促して、ケイセの案内を進めさせておいて。

「同じ人の弟子、ですか。例の戦技帝とかいう人だとは昨日に聞きましたが、随分と戦い方は違うようですね」

「ええ、あの方は多くの得物を扱いましたから。見ての通り、アイラは軍刀を扱う技術を学びました」

「軍人とはいえ、実戦経験が多いというわけではないんですねえ……」

「ほう、わかったようなことを言うではないか」

「そうですね」

 こういう時、シロは反論しない。

 むしろ、そう言われることに慣れているような感じもする。

「ケイセ、どういう気まぐれだ?」

「最近は調子が良くなってきたので、それなりに長時間の戦闘もできそうですから、それを試すために場所を借りるだけです」

「なるほどな」

 ミカは軽く視界を広げるが、近くにアカの姿はなかった。一人でこっそり行動するくらい、朝飯前なのだろう。


 訓練場に行くと、既に躰を動かしている者がおり、走ってきてアイラに挨拶をする。続いてケイセにも同じことをして、場所を借りることを伝えた。


 ――さあ。

 ケイセは、どこまでシロを引き出すのだろうか。

 それがミカにとって、注目すべき点であった。


「では、始めましょうか」

「よろしくお願いします、シロ様」

「ええ」

 お互いに向き合い、杖として使っている剣に手をかけ、対するシロは無手のまま。

 杖とはいうが、いわゆる細身のロングソード、柄のないタイプが収納されている棒であり、そう特殊なものではない。


 だが、引き抜こうとした姿勢で、ぴたりと動きを停止させた。

 シロが、半歩の半分だけ、左側に動いたからだ。


「――撤回する」

 短く呟いた上官は、右手を軍刀の柄に触れていた。

「ミカ、お前が正しい」

「え、あ、はい」

 どうやら、伝わったようだ。


 戦技帝が一番最初に、彼らに教えたのは、意識の持ち方だった。

「こいつァ構える以前の話だ。相手をどう斬るのか、まずはそいつを意識しなきゃならねェ。結論から言っちまえば、どれが斬れて、どれが斬れないかがわかるようになる。面白いからやってみろ」

 なんてことを言われ、半信半疑だったが、訓練を重ねた結果としての現在、ケイセもアイラも、その言葉がよく理解できた。

 当たるかどうか。

 通じるかどうか。

 相手の実力がどれほどのものか見極める力と共に、当たると思った攻撃は当たるようになった。


 そして。

 思い描いたその攻撃を、ただ思い、行動に移そうとする瞬間を狙うかのよう、まるでそれが現実になっていたかのよう、シロは躰を動かして、回避したのだ。


 二度はない。

 その時点で動きを止めたシロに対して、ケイセは剣を引き抜けず、細かい動きを入れながら――イメージを探す。

 当たる、イメージを。


「……間に合ったか」

 ミカは嫌そうな顔をしたが、額に汗を浮かべている上官は気付かなかったようだ。

「ダールトン子爵」

「挨拶はいい、目を逸らすなアイラ少佐。……ふん、攻撃ができんか。自分自身との戦闘をしていないからだな」

 自分と同じことができる、自分との戦闘訓練は、想像から先に一歩、より立体的な実体を持つまで研ぎ澄まし、訓練を行う。

 同じことができるのだ、勝てないし、負けない――などと思うだろうが、実際にそれをやってみれば、わかる。

 勝てるし、負けるのだ。

 そして勝てるということは、相手である自分が負けるということ。

 これは、結果どちらであれ、同じこととなる。

 つまりそこが、現時点での実力だ。精度を高める意味合いでは、やった方が良い。


 ――ふいに、シロが何かに気づいたよう、視線を投げた。


「おいミカ、靴のナイフを」

「へ?」

「いやいい」

 上半身を倒すよう、勝手に引き抜いたダールトンは、それをシロめがけて思いきり投げた。

 隣で見ていたミカは、その投擲技術が洗練されたものであり、技術的には戦闘で充分に通用するものだと見抜く。しかもだいぶ距離があり、威力減衰を含めても、頭蓋に刺さるだけの威力がある。

 それを、シロが左手でキャッチした。


 左手から、右手へ。


 その瞬間、強く地面を蹴って後ろへ飛ぼうとしたケイセは、しかし、間に合わないと踏んで姿勢を低くし、右側への移動を優先した。

 いや。

 いずれにしても、間に合わない。


 遠距離、振るわれるナイフ、銀光。

 六つの光がケイセを囲うよう出現し、それぞれが衝撃となった。

 二つを避けた、一つは当たらなかった、のこり二つが肩と腹部に当たり、最後の一つを鞘に入ったままの剣で受ける。

 切断ではない。

 衝撃だ、まるで叩かれたような。

 そこに加減があったことよりも――何よりも。


 ケイセが得意とする攻撃方法を、先にやられた現実の方が悔しい。


 初撃を出す前に見抜かれ、その上で先にやられて、回避どころか防御もろくにできず、受けてしまった現実は重い。

 重いが、だからといって落ち込むのは後だ。


 奥歯を噛みしめ、迷わずに剣を引き抜いた。


 そこからは、動き回るケイセが防御に回り、シロは動かずに攻撃をする展開となる。

 理屈としては、こうだ。

 刃物で素振りをしたところで、空気を切断している。ならば、切断という事象、その威力を遠くへ伝えることも可能だろう――それは、魔術的な理屈の通し方に近いが、現実にするのは彼女たちの技術だ。

 同じ技を、アイラは使えない。

 ちらりと上官を見ると、臨戦態勢になっている。まあそれも当然で、シロはケイセの相手をしながらも、観客全員を意識しているので、それを感じ取れるアイラが反応して当然――では、あるのだが。

 残念ながら、もう既に三度は殺されている現実には、気付いていない。

 気付くべきか? いや、まだきっと早い。

 自分の攻撃が当たる予測が立ち、それを現実とするのなら、相手も同じことができて当然だと認識し、それを読む。

 シロが初手で回避したことで、あるいはきっかけになるかもしれない。

 攻撃する側ではなく、される側に立ち、読み合いをするのが戦闘だ。


「ふん」


 その攻撃の予測を、煙草を取り出そうとする動きで、今、ダールトンが回避した?


「禁煙ですよ、子爵殿」

「……そうだったな」

 偶然なのか、見えていたのか、ミカには判断がつかなかった。


 おおよそ十五分ほどして、シロは軽く両手を上げた。


「では、このくらいにしましょう。あまり長く居座っても、本来の訓練を邪魔しそうですから。――やあミカ、ナイフをありがとう」

「ああうん、勝手にやられたんだけど、壊されなくてよかった」

「そんなことはしませんよ。ナイフは万能で、使い込んでこそ手に馴染む。新品は切れ味も良いですが、扱いにくいですからね」

 さてと、軽く手を叩く。

「帰りましょうか。ケイセさん、動けますか?」

「――はい。ダールトン様、もうよろしかったのですか?」

「ああ、用事は済んだ。邪魔したな、アイラ少佐」

 まったくだと、肯定の言葉を飲み込んだ。

「あまり訓練の邪魔をするな」

「そうしよう」

 それが半ば強がりだとわかったが、周囲の目もあるので、最適な対応だろう。

 まだだ。

 シロの実力の底は、まだ見えない。


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