第10話 ある貴族の謁見
王城への謁見は、一日に三人いるかいないか、という程度のものでしかない。
国王だとて暇ではなく、謁見以外の時間は国政に費やし、その件で呼び出される関係者は、ほとんど王城にいるため、謁見というかたちは取らない。
つまりこのかたちは、執務中の王をわざわざ移動させ、椅子に座らせて時間を取ってもらう行為にほかならず、呼び出されたのならまだしも、呼びつけたのならば、それなりの用件でなくてはならない。
しかし、ダールトンはそれほど緊張した様子もなく、扉を開いてもらい、中に入った。
中央の絨毯を進み、距離をあけて膝をつく。
「ダールトン・メッセ、参りました」
「表を上げろ」
言葉を待ってから顔を上げれば、視線が合う。
五十も近いのに、力強い印象を受ける男は、しばし無言のままだったが、小さく笑った。
「良い、立て」
「失礼します陛下、お言葉ありがたく」
「式典でもなし、俺は面倒より実務だ」
「では、すぐに。戦争誘発の件が終わりました。詳細の報告は情報部から上がるでしょう」
「どうなった」
「現地の人員に、冒険者資格を手にした者がいたため、やや変則ではあるようでしたかギルドが動き、全滅。半年ほど前にこちらから送った情報部員は、ギルドとの交渉の末、無事に戻りました」
「何が変則だ?」
「ギルドの選定基準は不明ですが、影ではなく、個人を雇ったそうです。その本人は今頃、うちの侍女に案内されて軍訓練場を視察中です」
「それはまた、厄介な人員を抱え込んだようだな? どの程度だ」
「戦技帝と同様と判断しました」
「――ほう、アレの名を出すか」
「すぐに評判は上がってくるかと。それに伴って、戦争肯定派の貴族ですが、先日に提出したものが最終となりました」
「事後承諾とはいえ、――まさか、あんな成果を上げるとはな。まあ鉄類、武装類の購入で、国に献上する予定だった者もいたが」
「その逆に、利益をむさぼろうとする者も」
「子爵に風通しを提案された時は、何の冗談かと思ったがな」
「質問をよろしいですか、陛下」
「構わん、適当でいい。面倒は嫌いだと言っただろう」
「下準備はしました。陛下の目に留まることを目的としていましたが、何故、私のような子爵の行動を認めたのか、お伺いしたく思います」
「それか。……息子と面識があるだろう」
「はい。高等部では気軽に会話をするくらいには、親しくさせていただきましたが――殿下は、私のことを苦手としているのではないかと」
「……大臣」
「はい。諸君、すまないが席を外してくれ」
護衛というよりも、見栄えも含めて警備をしていた騎士を四名、部屋から下がらせた。すると国王は、少しずり落ちるよう玉座で姿勢を崩し、頬杖をついた。
「悪いな、俺も休憩だ」
「どうぞ、お構いなく」
「大臣も楽にしていいぞ」
「この状況では、過去の経験から胃が痛くなるのは予想できますので、後ほど休憩をいただきます」
この初老の男は、きっと胃薬が手放せないに違いない。
「ま、あまり聞かせたくない話だと思え。いやなに、知り合いだという情報は得ていたから、息子に聞いてみたら、嫌そうな顔一つせず、やらせろと、珍しく即答してな。どういうことか聞いたら、内容がどうであれ、成果が出ると言った」
「過分な評価ですが、ありがたく思います」
「そうか? 結果だけ見れば、内容を見せた息子が言った結末を同じだが。さすがに、何をどうするかまでは、見抜けなかったらしいが――いや、まずは今回の件を片付けるか。ご苦労だったな、ダールトン」
「は、もったいないお言葉です」
「こちらは、主導したお前が、戦争を引き起こしたい張本人であるという疑惑の払拭、および爵位を一つ上げることでいいな?」
「――いいえ陛下。お言葉はありがたく受け取りますが、どうか、その二つは返上させていただけませんか」
「ほう?」
「今回、主導した私が特に罰もなく、子爵でいることに疑問を抱く貴族もいるでしょう。しかし、その現実を目の前にして、今回のことで私自身が餌となったのだと、理解できない貴族は、その程度だとお受け取りください」
「ふむ……確かに、それを見極めたいのならば、子爵のままが良いかもしれんな」
「はい」
「またとない機会だぞ?」
「下から眺める景色の方が、わかることもありますから」
「――どうかな。俺に言わせれば、お前は下にいるだけで、随分と上から眺めているように見えるが」
「もったいないお言葉です」
まあいいだろうと、国王は小さく笑った。
「確かに、伯爵あたりになって、領地を与えるともなれば、お前は身動きが面倒になりそうだな」
さすがにこれには返答しない。というか、できない。肯定も拒絶も難しい言葉だ。
いずれにせよ、今の立場でまだやりたいことがあるから。
「さて、――ああそう、息子のことだ」
「はい」
「どうにも、あいつはお前を苦手としている。うちの長女は引きこもって本ばかりを好む魔術師で、次女は訓練場に足を運んでは怪我をしている。となれば、この玉座は息子のものなんだが……お前と、レノ子爵がいる限り、座りたくはないと口にしていてな」
「……やはり、嫌われているのでは?」
「ははは、そうかもしれん。――十年前の事件が、関係しているのか」
「それは……可能性はありますが、私は殿下から直接聞いたわけではないので、返答しかねます」
「報告は受けている、お前の口から聞きたい」
あの頃は、その事件の性質もあり、何度も事情聴取があった。もちろん国王の耳にも入っていただろうし――逆を言えば、嘘や偽りは危険だ。
「どこから話しましょうか……そうですね、では、殿下と出逢った頃の話から」
順序を立てて。
長くなり過ぎず、かといって短すぎず。
「私とレンテンシャは一年の頃に顔を合わせていましたが、図書室の隅にあった談話室に殿下がいらっしゃったのは、二年の頃でした。随分とお疲れのご様子でしたね」
「ふむ……そういえば、授業はサボってばかりだったと、聞いていたな」
「そうです。少なくとも私とレンテンシャは、いつもそうしていました」
「失礼。陛下、私が口を挟んでも?」
「なんだ大臣、説教以外なら構わないぞ」
「ありがとうございます。……貴君の成績は優秀だったはずだ。高等部までの授業内容に関して、何か思うところはあるか?」
「個人的には、今の形式だったからこそ、手を抜けたのですが……高等部までは、あくまでも基礎です。それを覚えることによって、どうなるのか。また、どうして覚えなくてはならないのか、それを除外しているからこそ、
「読み込めば、か」
「はい。だから私たちは、躰を動かす授業や、実験などには顔を出していました。しかし、難しいかと」
「なんだ大臣、軍では当たり前のことだろう?」
「それを高等部の学生にやらせるのは、さすがに偏りが大きすぎます」
「落伍者を拾うまで手が回らんか」
「ええ」
「それでは駄目だな。だがお前のことだ、ただサボっていたわけではないんだろう?」
「自主学習に
「だろうなあ。……お前たちは息子を利用しようとは思わなかったのか?」
「レンテンシャに直接聞いたことはありませんが、私は思いませんでしたね。今の貴族にも言えることですが、――殿下と繋がりを作ることの責任を、軽く見過ぎています。それまでも知り合いになるのを避けていましたから」
「では、息子が来た時は、面倒だな、と?」
「拒絶するほどではありませんでしたが、率直に申し上げるのならば、その通りです」
「しかし、馴染んだのだろう?」
「私とレンテンシャがそうであったよう、お互いに干渉せず、ただ同じ時間を潰すよう、勝手にしていただけです。もちろん、会話がなかったわけではありませんが、距離を取ったやり方は、殿下も気を楽にできていたようです」
「ああ、その頃からは肩の力を抜いて家に戻っていたようだ」
「そして、十年前になる三学年の時に、彼女がやってきました。まあ、一気にうるさくなったので、本気で場所を変えようかと思ったくらいです」
騒がしい女性だった。
「私やレンテンシャを連れ出しては、外で動くような遊びに参加させたりしていましたね」
「心を許していたのか?」
「――まさか」
それはない。
「私はかつても、今も、レンテンシャにだとて心を許したことはありません」
「ふむ、それも聞いておきたいんだが、そもそもレールノア・レンテンシャとはどういう関係だ? 友人ではないのか」
「訊かれた時には、友人であると返していますが、実際にはそれほど親しくはありませんよ。業務提携はそれなりにありますが、どちらかといえば手が出せない敵に限りなく近いでしょう」
「……敵か」
「同業者という意味合いでもあります。ただ、お互いに手出しができない均衡を作ってはいますが」
「ほう?」
「そうでないと、お互いにどちらかを潰しますからね。危険視しているのは、私もあちらも同じですから」
「なるほどな」
「それは、当時も同じです。――私も彼も、誰も信用しない」
「あの女もか」
「そうです。失礼ながら、殿下がいらっしゃった時でさえ、常に疑念は抱いていましたから」
「ともすれば、息子がお前らを利用するために近づいた――と?」
「はい。きっと殿下から見た私たち三人は、仲が良く見えたのでしょう」
「そうだろうな。そう見えていたはずだ」
「だから、私たちが彼女を殺した事実こそ、殿下が苦手とおっしゃる理由かもしれません」
そう。
あの時、二人はその女性を殺した。
「イルミディース教の信徒であると気付いたのは、偶然でした。魔力で作られた痕跡が足首に刻まれており、それが水で濡れた時に露出しました」
「よく気付いたな?」
「疑っていましたから。特に、人なら気にしないところを、常に隠し続けるのは難しく、必ずそこに不自然さが作られます」
「つまりお前は、既に当たりをつけていた、と?」
「ええ、レンテンシャが同じ認識を持っていたのは、気付いた瞬間に視線が合ったことでわかりましたが」
「そして、殺したのか」
「すぐにではありません。殿下に見届け人になってもらう必要がありました」
「そこは利用したんだろう?」
「事実、その通りです。――ほかに手がなかったものですから」
「警備を呼ばなかったと、問題になっていたな」
「はい。しかし、疑っていたとはいえ、さらし者になるのは避けたく思いました。彼女自身も、そして私たちも」
イルミディース教は、それだけ危険視されており、次を出すわけにはいかない。
さらし首をするなんてのは、よくあることだ。
「俺がそれをやる、と?」
「あるいは。それに、ただの学生がやめてくれと、止められるものではありません」
だから、
「殺したのは、お前だったな」
「はい。右目から奥へナイフを差し込みました」
「何故、右だった?」
「私は右利きで、背後から行ったからです。正面からではどうしても、威力が弱くなりますから」
それと同時に、殿下に見せつける必要もあった。
「右足の切断は、レンテンシャが」
「共犯の証か?」
「――いえ、どうしても私には、足を切断することができなかったのです」
「ほう?」
実際には、順序というか、今後の問題であった。
足を切る理由はいらないが、切らないのには理由が必要となる。そう、今回のよう説明を求められた場合に。
「昔馴染みに、足が不自由な女性がいまして、私にはどうしても――それが屍体でも、足を奪うことはできませんでした」
「そういえば、戦技帝の弟子がお前のところに一人いたな」
「ええ、今はもうだいぶ良いのですが、片足を引きずってでも剣術を学び、今では私の護衛もしています」
「そしてお前が燃やした、か」
「はい。あの時の行動が正しかったのか、今でもわかりません。ただ学生であった自分の、できる限りだったと思っております」
「随分と、手際よくやったようだな」
「心を揺らしているようでは、そもそも結果として出せません」
イルミディース教に慈悲をかけるな――そう教えているのは、国である。そして国とは、王のことだ。
もっとも、それはこの大陸全土での教育だろうけれど。
「その頃からでしょうか、あまり殿下が顔を見せなかったのは」
切断された足首を見て、吐いていたのを覚えている。
――だから、遺体を燃やす前に、入れ替えることができた。
今は瞳に魔術品を入れ、義足と繋げることで別の、ケイセの名を使い、彼女は生きている。
そもそも、イルミディース教の信徒だから、その刻印があるから、殺すなどという行為は短絡的だ。本人にも事情は聞くべきだろう。
もちろん。
拒絶したのならば、迷うことなくダールトンは殺していたが。
「以上が事の
「うむ、休憩の話としては充分だ。本題の方も受け入れておこう」
「ありがとうございます。では、訓練所の様子を見回り次第、戻らせていただきます」
「そうか、ご苦労」
退出を見送り、中に入ってきた騎士に軽い挨拶をしてから、大臣を伴って執務室へ戻る。
「――大臣」
「はい陛下」
「あれは裏があるな」
「ええ。ですが、それが何かまではわかりません」
「あれは優秀だ。わからないことまで承知した上での行動だろう。今回の風通しにしても、レンテンシャの妹が情報部から出向したことに、あいつは特に触れていない」
「そうでしたな。加えて、まだ子爵のままやることがある、と」
「ああいう意志の伝え方は、ほかの貴族にも見習わせたいものだ」
「……陛下が気に入りそうな相手ですねえ」
「そう嫌そうな顔をするな、面白いではないか」
「殿下は、面白いだけでは済みませんよ」
「だろうな。苦手にするのも頷ける話だ」
まったく、と彼は苦笑する。
「あいつは既に、屋敷という国を背負った王と同じだな。気にしておけよ、大臣。レンテンシャも同様にな」
「はい陛下」
「ああいう有能なやつは、とっとと伯爵くらいにして、地方を任せた方が良いんだがなあ」
「貴族の風通しを、現役でやったのは、随分と久しぶりですな」
「――そういえば、そうか。地方を任せた連中の多くは、やりたくでもできなかった連中か……ふむ、これはあれだな、あいつらも耳にして戻ってくるかもしれん」
「引き抜かれはしないでしょう」
「そういうタマではなさそうだがな。――さて、業務だ」
「はい陛下、今日中に終わらせるべき書類を先に」
「わかっている。いるが、俺の代わりを早く用意してくれ」
「それはできません」
まったく。
わかっているとはいえ、書類仕事なんてのは、腰と尻を鍛えるばかりだ。
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