第9話 ある侍女の一日

 この屋敷の侍女の朝は、それほど早くはない。

 家主が活動を始めるのが八時くらいなので、遅くても七時に起床しておけば問題ない。基本的な作業はローテを組んであって、その多くは屋敷の掃除や客人の接待、出迎えなどだ。

 暇なら運動でもしておけと、家主の方針で戦闘訓練のようなものをしているが、それほど強制されるものでもない。

 女好きの家主だからと言われていて、最初は多少の警戒もしていたが、実際に手を出されるようなことはなかった。


 その日。

 少女と猫の客人がやってきた翌日に、彼女は家主に呼び出された。


 個人で呼び出されることは珍しく、先輩の侍女も一緒だ。これはどんな時でも同じであるし、ここで働く時になった面接も、先輩が同席していた。

「どうだ、仕事には慣れたか」

「はい、ダールトン様。よくしてもらっています」

 傍付きの侍女はケイセであり、侍女長でもある。厳しくはないが、駄目なものは駄目と教えてくれているため、彼女としてはわかりやすく、ありがたいものだ。

「そろそろ一ヶ月だろう、一つ仕事を頼みたい」

「はい、なんでしょうか」

「――ムシロ」

「はいさー、仕込みは充分、向こうの反応も良好、いつでも大丈夫っスよ」

「やり方はわかっているな?」

「三度目ですからね」

「ヘネ、十一時過ぎたら冒険者ギルドへ向かえ。相手はガラの悪い連中だが、何を言われても無表情を通す。あとはギルドの言うことに従って、サインをする。――それだけの仕事だ」

「ええと」

「全てが終わってから、内容はムシロに聞け。二人そろって、五日の休暇をやる、田舎の実家にでも顔を見せて来い。いいな?」

「……はい、わかりました」

「ちゃんと着替えて行けよ」

「あのう……」

 両手を後ろで組み、ちょっと前かがみになったヘネが口を挟む。

「なんだ」

「休暇なら、お小遣いが欲しいなあ……」

 ちょっとした上目遣いだが、ダールトンは表情を変化させない――が、頬杖をついてため息は落とした。

「わかった、わかった。ちょっとした旅行なら、小遣いくらい出してやる」

「やった!」

「ただし、屋敷にいる全員分のお土産を買って来い。私には茶菓子か、お茶でいい」

「はあい」

 こういうことを、素直に言えるのがこの先輩の可愛いところなのだろう。ムシロはただ、一礼をして部屋から出るだけだ。


 じゃあ私服で集合ねと言われ、三十分後にはもう屋敷を出た。


「あの、ムシロ先輩」

「うんうん、相手はちょっと荒っぽいけど、ギルド内じゃそういうことはしないから、安心して。なんだろ、ほら、契約を結ぶ手続きだと思って、相手の言葉や態度に反応しないように。緊張してちょっと硬くなってる感じで充分だから」

「あ、はい」

 詳しくはまだ聞くな、とのことらしい。

 ともかく余計なことは考えず、やるべきことだけを考えて、言われた通りにやるだけだ。

「そうそう、これも仕事」

「はい」

「ちなみに演技はできる?」

「ちょっとわからないです」

「大げさなものはいらないから、雰囲気に合わせてね」

「できれば、やってみます」


 ギルドに入ると、もう先方は到着していて、腰のあたりに触れるムシロの動きで、ヘネは先頭に立って歩き、無言でテーブルに腰を下ろした。

「――あんたが、ヘネか」

 男が二人、見るからにガラが悪い。

 平常心だと言い聞かせ、相手の目を見てから、すぐ奥にいる受付を見た。

 早く終わらせたい。

「……なんとか言ったらどうだ? あ?」

「おそろいのようですね。今回、仲介するのはギルド員、アルスと申します。まずはお互いに書類を」

 軽く手を振るようにして、ムシロへの合図。だってヘネは何も持っていない。

「はい、先に申請のあった内容と合致しました。本契約はギルドの元、規約通りに行われ、これらを反故にすることはできません。よろしければ、こちらの二枚にサインを」

 ペンも渡されたので、同じ書類であることを確認しつつ、サインを渡した。

「それでは、こちらがお互いの控えになります」

「――チッ、ボロい商売だな? 二度はごめんだ、覚えとけ」

 それがどういう意味かもわからないまま、とりあえず視線だけで相手を見送った。

「ではヘネさん、契約通り、フーシーアのギルドへ半額送っておきますね」

「――、ええ、ありがとう」

「こちらこそ」

 ここで、ムシロに視線を送ると状況的にまずいのかなと思い、書類を片手に立ち上がり、周囲に軽く視線だけ送ってギルドを出た。

 まだ、黙ったまま。

 ああそうか、しばらく監視があるかどうか見極めるのかなと思って、適当に歩いていると、じゃあ馬車を確保しようと小さく言われ、故郷に帰る予定に気付いた。


 まともに会話を始めたのは、馬車で移動を始めてからだ。


「その書類、大事にしておくこと」

「あ、はい。それで先輩、一体どういうことなんですか?」

「うん、じゃあ仕込みから。街道ってさ、整備されてるでしょ」

「……? はい、それはまあ、こうして移動するためですから。田舎の方だと、石畳が綺麗に敷き詰めてあるって感じでもありませんけど」

「一応これ、商人も使ってるんだけど、ほかに道があるのは知ってる?」

「いえ、そこまでは」

「仕入れが大きい街ばかりとは限らないから、それなりに商人は経路を持ってるの。わかりやすく言うと、距離が短いけど危険な道は、護衛さえ雇うことができれば短時間で済むけれど、商品の値段に護衛ぶんを上乗せしなくちゃいけなくなる。でも逆に、整備されているけど距離が長い道は、途中にある休憩所や宿を使う必要があるよね」

「なるほど、使い分けをしているんですね」

「でね? いわゆる通行税や――周辺の宿なんかが利益を得るのは、わかるでしょ」

「はい。馬車での移動でも、必ず同じ場所に泊まるようになっていますし、宿は個人の支払いですから。お金がかかるので、野宿をする場合もあります」

 ファズカ王国に来る時、ヘネは野宿を選択した。慣れてはいたし、あまり金を使いたくなかったからだ。

 通行税というのは、街道を使う際に必要なもので、これは馬車の代金に含まれており、運送業の人が支払うものになる。

「さて、ここで新しい経路を発見した。下準備をして、手回しをして、宿になりそうな場所も確保する。――同業者は困るよね?」

「それはつまり、宿を支えたり、街道を作る本職の人ですか?」

「作るというか、まあそう、うん、支配人みたいな役割があるの。だから、それを売ったわけ」

「はあ、なるほど……?」

「弟二人の学費を稼ぎに来たんでしょ?」

「――ええ、はい、私はそうです」

「だからその学費。五十万ラミルくらいあるから、足りるでしょ」

「……はい? あ、いえ、足りるのは足りるでしょうけれど、その?」

 懐に入れた、先ほどの書類を手で触れて、けれど引き抜かずに。

「――これが?」

「そう、それ」

 五十万。

 一ヶ月の給料はおおよそ一万ラミル。これはたぶん一般よりも少し低いが、実家の農業だとせいぜい、そのくらいだ。過不足なく生活はできているが、ここから学費を捻出するとなると少し大変である。

 だから、王国へ仕事を探しに出てきたのだ。

「あの」

「や、あの人はやれって言っただけ。実際にやったのはあたし。でも名義はヘネだから、その金はヘネのもの」

「最後のだけ理解できません……」

「ねー、あの人は本当、女に甘いから。でもまあ、こういう別のところでの資金稼ぎは、あたしの仕事だから。それに、――このまま仕事を辞めても良いよ」

「まさか」

 それは違う。

「そんなことはありえません。このお金を受け取った以上は、いえ、そうでなくとも、私はまだ何も返せてはいませんから」

「あ、そう。受け取るもなにも、冒険者ギルドでヘネの名義の契約を結んだ以上、どうやってもお金はヘネのものだけどね」

「そこは……なんというか騙された気分です」

「うん、勝手に名前を使ってやったのも、選択権を与えないためだし。誰にでもやってるわけじゃないよ? あの人が許可した子だけ」

「あの方が」

 侍女服も着ていないし、今は仕事ではないため、極力ダールトンの名前は出さない。

「許可しなくては、そもそも雇われないのでは……?」

「もちろん事前調査は、クーズ先輩がやってるから、安心だけどね」

「それぞれ役割が……いえ、というか、普段の屋敷での仕事とは別にやっておられるのですね……?」

「うん」

「だから先輩はよくサボるんですか」

「う、ん……? それは単純に、片付けとか掃除とかが苦手だから、かな? ヘネ、今度あたしの部屋、片付けてくれない?」

「乱雑な部屋に住める人は、勝手に掃除すると怒るじゃないですか……」

「それはそう」

「もう……」

 ともかく、あまり現実感はないが、実家に戻ってからだ。

 ――あとになって聞いた話だが。

 どうやら、屋敷で働いている侍女たちは、似たようなことをされているらしい。

 それは、今回の手配をしていた、ムシロも同様である。


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