第5話 ダンジョンの管理者

 三人とも、全ての行動を忘れたかのよう、動きを止めていた。

 世界に理屈を通した魔術師も。

 その技に至る者なしとうたわれた者の弟子である剣士も。

 ファズカ王国の軍人も。

 全員が身動きできなかったのだから、その立場も、実力もなく、平等に、目の前の光景を受け入れることができていなかった証左だ。


 手袋が浮いている、と気付いたのは、おそらく、間違いない。


 気付いていて動けなかったのは、その手袋が二つあり、その中央やや上の位置に赤色の、やや太い線が三本、浮いていたからだ。

 人間というのは不思議なもので、ただ三つのものしか存在していないのに、自然とそれを、躰が見えない人であると認識してしまうところにある。

 三本の線も、こちらを向けば、人の顔に見えるのだから、おかしなものだ。


 そして。

 ああ――そして。


 上の二本の線が、への字のように曲がって。

 下の一本が、吊りあがるような曲線を描けば――気持ちが悪いほどのだと理解できる。


 我に返ったのは、コンマ数秒、ミカが一番早かった。

 気持ちが悪かったからだ。

 生理的嫌悪で、思わず金切り声を上げたくなる。それを強引に飲み込めば、ひう、と短く喉が鳴った。

 そして、空から落ちてきたナイフを、手袋の右手が掴む。


 それが、合図だ。


「動くなシロ!」


 周囲の景色が黒と白に染め上がる。

 それがアカの使う構造式であると知っているのは、シロだけだ。普段は白と黒の円形五つを繋げた、数珠を手の上に乗せたようなものの周囲に、十個の円を同じよう繋げたものを一つの構造式としているが――ここにあるのは、おそらく二十個以上。

 アカは完全に本気だ。

 だが、動くなと言われた以上、シロが参戦するわけにもいかない。

 右手を腰裏の剣に伸ばしたまま停止していたが、笑ったままの顔が、その空いている左手袋を使い、指先でくるくると円を描くようこちらに示す。


 だから、シロは左手でポーチから紐を取り出すと、すぐに右の手首を、口も使って強く縛り――止血をした。


 アカが叫び、シロが剣に手をかけた瞬間、6メートルはある遠距離なのに、こちらの手首を切断されていたのだ。

 つまり、殺す気だったのならば、首が飛んでいたことだろう。

 おそらく、シロでなかったら切断されたことにすら気付かぬほどの手際だった。

 加えて止血しておけだなんて、優しいものだ。


 アカに余裕はない。


 展開した構造式の半分が、いきなりごっそりと消失したからだ。


 相手も式を通しているのに、構造式が具現していない。まるでそのステップを短縮しているかのように感じるが、それは不可能だ。世界がそれを許していない――ならば。

 隠しているか、そもそも、見せる必要がないのか。

 いずれにせよ、戦闘中に改良している時間がないのなら、その時間を捻出するか、今のままで対応するしかない。

 ――いや。

 そんなのは序の口で、途中からは術式を勝手に相手が通して、まるで自分のもののように扱い始めた。


 冗談ではない。


 理屈の通し方が個人によって違うよう、構造だとて単純ではない。結果が同じであったところで、何もかもが違うし、そもそも構造式は魔力によって組まれており、その魔力波動シグナルだとて、個人差があるのだ。

 誰かが使う術式を、推測することはできる。特に剣士など接近戦闘なら、行動途中で挟まる構造式の具現において、たとえば速力を上げるだとか、力を上乗せするだとか、脚や腕、剣そのものに出て来たら、なんとなくわかる。

 だが、構造式の中身を解析し、その式が何を通すのか把握して、さらには違う魔力で発動させるなんて真似は、それを想定していない式である以上、魔術師における最後の難関に限りなく近い神業だ。


 勝手に式を稼働させられるとわかってから、極力、攻撃式は構築しないようにした。

 発動間際で消されるのも含め、相手の封殺をメインに動いていたが、式として完成しなくなってきて、逃走のために手数を増やしつつ、防御や隠ぺいを含んだ式に変えていく。


 そして。

 いつの間にか、展開した術式が残り二つになった頃、笑っていたその顔が、元通りのちょっと太い三本の線に戻ったかと思いきや、ナイフをひょいとアカの目の前に投げ捨て、興味を失ったと言わんばかりの態度で姿を消した。


 一秒も時間をかけない。


「シロ!」

 目の前のナイフを口でくわえたアカは、すぐシロの肩に飛び乗り、頭を合わせる。シロはまぶたの裏側に移った光景を見て、周囲にかなり隠れた罠が配置されていることを把握した。

 術式は使うな、と注釈もある。

「ミカ、悪いけれど、これと一緒に槍を抱えていてください」

「へ? あ、うん――うおっ」

 剣を掴んだままだった手首を渡し、無事な左腕で抱える。


 そこからは、ほぼ全力で走り出した。


 密林であるため、足元にも草が生えており、一歩間違えればぬかるみに足を取られるし、ともすれば大穴が空いている可能性だとてある。それを空間把握で避けながら、まずはこの場から離れること、次に落ち着ける場所であること――。

 戦闘開始前に言っていたよう、川の近くがいいだろう。


 移動は、五分で済んだ。

 いや、済ませたというべきか、足を止めたシロはかなり息が上がっている。


「ミカ、手を」

「え、ああ、どうぞ……う、んぐ」

 川辺まで移動したミカは、そのまま胃の中を吐き出した。

 気持ちが悪い。

 生理的嫌悪が限界を越えた――あれは。

 あれは、駄目だ。

「シロ」

「ああはい」

 口で止血していた紐をほどき、斬れた手首を傷口に近づける。手のひらに乗せるようにしてやれば、アカの構造式が三つ浮かび、しびれるような痛みと共に、傷口がくっついた。

「っ……この痛みには、まだまだ慣れませんね」

「五分以上だな? 二時間は動かすな」

「わかりました」

 以前から使っていた、板をポーチから取り出すと、右手の甲から肘の手前に乗るようにして起き、それを紐で縛っておく。これで、使わないよう意識すれば大丈夫だ。

 念のため、指先を動かしてみるが、きちんと繋がっている。


 ――慣れたものだ。

 以前は訓練で、腕やら脚やらをよく切断されていた。


「アカさん、あれが管理者リーパーでしょうか」

「おそらくはな。あの野郎、俺の論理式を

 それが、術式をごっそり解除した方法だと、ようやく気付くことができた。

「論破、ではないのですか」

「そうじゃねえと、真正面から叩きつけたんだよ、クソッタレめ」

 大きくため息を落としたシロは、肩から下りた。

「だが、まあ、俺らが生きてんのは、今回が単なる忠告だったからだろうな」

「ボクなんか、とっとと止血しろと合図までくれましたからね」

「どうにも、人間臭さを感じたな……」

 ついには、川の中に頭を突っ込んだミカが、半目でこちらを見た。

「……よく平然としてられるね?」

「いや、充分に困惑していますし、悔しいですよ。ボクは何もできませんでしたから」

忸怩じくじをかみしめてんのが、わからねえのか間抜けは」

「じゃなく、気持ち悪くないの? しかも人間臭さとか、冗談じゃない」

「ふん、お前の墓場には、死因が生理的嫌悪だと描いてやろう」

 ミカは軍人だ。まだ若い部類だが、大尉という肩書きもあり、人の屍体もそれなりに見てきた。

 最初は気持ち悪くて吐いたが――そういうレベルのものではなかった。

「いや、お前の反応が正しいんだろうな」

「そうなんですか?」

「正しく、アレがことわりから外れていることの証左しょうさだ」

「……どういうこと? 魔族とか、そういうの?」

「世界の理から外れているという意味だ。説明は面倒だから端折はしょるが、俺らは理の内側で生活してるんだよ」

「まだアカさんでも届きませんか」

「まあな」

「忠告ということは、やはり原因はアカさんですね?」

「それも正解だ。つまり、術式を使ってやろうとすんなってことさ。――さて、罠を解除してくる」

「大丈夫ですか?」

「わからん。探りを入れた瞬間に発動する式もありそうだったから、可能な限り安全を確保してからやる。少しでも盗まないとな……」

「では、こっちでベースの設営は簡単に済ませておきますね」

「おう。一応、魔物もいるから気を付けろ」

「わかりました」

 切り替えが早すぎると、濡れた髪を後ろでまとめたミカは、腰を下ろしてため息を一つ。

「なんなのもう……」

「うん? ミカは見向きもされなかったことが不満なのですか?」

「それは正直、助かってる。……生きててよかった」

「アカさんが主導権を握ってくれましたからね」

「あと、ベース設営ってことは、やっぱり数日は滞在するのよね?」

「ええ。それとも、一人で戻りますか?」

「方向は覚えてると思うけど……ううん」

 果たして。

 どちらが、怖いだろうか。

 一人で戻るのと、ここで過ごすのは。

「わかった、付き合うよ」

「焦りは禁物です、少し休みましょう」

「うん。……浅い階層でも、あんなのが出るのね」

「魔物とは違いますが、アカさんの調査レベルがそれだけ高い、ということでしょう。話していたよう、たとえば洞窟を壊そうとすると、ああいうのが出てくるんです」

「でもそれさ、かつて試したことがありそうなものだけど?」

「ええ、その時には出現せず、しかし今回は来た――それは?」

「……実際に、いや、現実的に、

 つまり、かつてはそれが不可能であり、そして今回、アカの技術ならばそれが可能であった。

 だからこその忠告。

 そのままやるつもりなら、こちらも用意がある、と。

「ボクもあのレベルまで強くならないと、アカさんに付き合えませんからねえ」

「シロは充分に強いと思ってたんだけど」

「そうですか? 自分では、そう思っていないんですが……どんな相手でも、まだまだ学ぶことは多いですからね。時間がある時にでも、手合わせしましょうか?」

「……考えておく。それよりも、手は大丈夫なの?」

「ああこれ、もう繋がっているので大丈夫ですよ。慣れたものです、以前はよくやってましたから」

「以前っていうと、そういう訓練とかで」

「似たようなものです。魔物に食われたことはないですが」

「そう……」

「ミカは、やはり槍が一番馴染んでいるんですね」

「といっても、槍一筋ってわけじゃなくて。軍では、あらゆる武器を使えることが推奨されてるから」

「ああ、どんな状況であっても戦闘が可能なよう、小石や木の棒でさえ扱う風習ですね。話には聞いていますが、実際にやったことはないので、いずれやりたいですねえ」

「いずれって……」

「いやあ、焦ってはいませんよ。いずれにせよ、ここを出たらファズカ王国に行くんですから、機会があれば」

「あんまり期待しないで」

「もちろん、迷惑をかけるつもりはありませんよ」

 二人はしばらくの間、そんな会話を続けた。シロとしては、ミカが落ち着かなければ一人で行動もベース設営も満足にできない。くわえて、右手が動かせないので、どうせ作業効率は落ちる。

 ――結果から言えば。

 三日間の滞在で、次の襲撃はなく、大きな魔物の被害もなかった。

 まだ早い。

 二人の出した結論は、そう一致した。


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