第4話 その猫は理屈を通す

 それから四日後、二人揃ってダンジョンに入ることとなった。

 学生たちが使わない時間帯を見計らえば、広がる草原も静かなものだ。

「……そろそろ突っ込もうと思ったんだけど」

「はい、どうしました? いやあ、二度目ですがやはり新鮮ですね」

「いや、なんで肩に猫を乗せてるの」

「なんだ、そんなことですか。アカさんはボクの保護者ですから」

「保護者……?」

「逆ではありませんよ。さあ、とりあえず二層に下りるまで、軽く走って移動しましょうか」

「え、ああ、うん……まあいいんだけど」

 釈然としない、という顔をしていたが、説明は後だ。

 無理のないペースを探り合いながら、シロは障害物を避ける方向で移動経路を取った。


 お互いに、制服ではない。


 肌の露出を控えるため、長い袖のものを着ているが、長かったのか、シロは袖を二つ折りにしている。ミカは槍を肩に乗せているが、シロは腰裏から尻の付近に剣をげていて、走るたびに揺れてはいるが、邪魔にはなっていなさそうだ。

 小尻である。

 羨ましい。

「ん? どうかしました?」

「ううん、なんでも。もうちょい速度上げられるよ」

「じゃあ、二層に入ったら休むくらいのペースにしましょうか」

 ものの二十分で二層入り口に到着した。

 階段を下りて、途中のスペースで休憩所に顔を出したシロは、挨拶と許可証を見せる。

「ああ、こっちも話は来てる。入り口付近はそれなりに見てるが、あくまでも魔物の侵入を避けるための配慮でしかない。今じゃほとんど奥地には行かないから、気を付けてくれ」

「わかりました。ちなみに気を付けるのは、魔物を引き連れて戻ってくるな――ですね?」

「ははっ、察しが良いな」

 なんてやり取りをして戻れば、ミカが顎に手を当てて待っていた。

「どうしました?」

「ん……そっちは?」

「終わりました、行きましょう」

「うん」

 階段をさらに下へ。

「……あの一撃なんだけど」

「はい?」

「シロは、けん制のつもりだった?」

「ああ、あの女への一撃ですか。そうですね、結論から言えば、上下の攻撃をするためのけん制でした。ボクは、速度に任せて同じ攻撃を連続させるなと、教わっていましたので」

「彼女がやってた、連続突きのような?」

「利点は見つけられました。点での攻撃を重ねれば、それは面の攻撃になる、ということです。ただ、可動域を考えた場合、顔や胴体はもちろん、脚にも届かせることができるはず――なので、まずは顔へ意識をもっていき、そこから足を狙う」

 つもりだったのだが。

 実際には、けん制の一突きが回避されず、そのまま当たってしまった。

「そもそも、速度は壁を超えないと通用しませんからね」

「え、なんで」

「見えない攻撃は、脅威だと思いますか?」

「もちろん。だから受けや回避の訓練をするんでしょ」

「その目的はつまり、見えない攻撃にどう対処するのか――だとして、基本的には対処されることが前提になります。だからそれが、壁ですね」

「――対処されているとわかっていて、速度を追及するのなら、その上を行くしかないってことか」

「そうです。だから新鮮でしたよ、まあ楽しめました」

 楽しめた、か。

 それほど楽しそうには見えなかったが。


 八メートル以上、地下へと潜れば、入るよりも前に湿度を感じて、視界が開ければ飛び込んでくる景色は、緑ばかりだ。


「おお、空を覆うほどの緑ですね。これは驚きました、南方にはこういう湿地帯があると聞きましたが、――足元はそれほどぬかるんでいなさそうですね」

 ああうん、こっちは楽しそうに見えた。

「私も情報でしか知らなかったけど、ハウズ湿地帯よりは歩きやすそうかな」

「では少し歩いて、休憩場所を探しましょうか。どのみち、この環境に慣れる時間も欲しいですし」

「そうね」

 入り口付近では、環境に馴染んだとは言えない。シロがどうするかは知らないが、ミカも多少は慣れておきたい。

 軍部では、環境への適応は一週間とされるが、さすがにそこまでは求められていないだろう。

 十五分ほど歩いたが、ツタも茂みも多く、足を取られやすい上に、頭上にも障害物があるため、かなり歩きにくい。開けた場所は発見できなかったため、大きな木の傍で休むことにした。

「水の流れがどっかにないかしら」

「そうですね、三日くらいの滞在予定ですし、魔物の様子と水場の確保くらいは考えたいですね。まあ、なんとかなるとは思います」

「……でも、なんでダンジョンに? 目的は、観光?」

「似たようなものです。というか、ボクよりもむしろ、アカさんの目的なんです」

 言えば。


「――そうだ」


 短い男の声が発せられた。


「……え?」

「間抜けかよ、現実を受け入れるまでに九十秒も必要なら、カウントを始めさせるぜ」

 まったくと、赤い色の目をした黒猫は、どこからか取り出した煙草を器用に掴むと、式を通して火を点けた。

「認識系の式が通してある。特に頭上だ、閉塞感を抑え込んでいる」

「アカさんには解除できますか?」

「ダンジョンそのものに干渉しなけりゃな。そう難しい論理式じゃない、書き換えられた自分の認識を、改めてやりゃいい」

「なるほど」

「……えーっと」

「おいシロ、こいつは上等な間抜けだぜ」

「はあ、それは知っています」

「いや……うん、まあ、うん、うん、受け入れる。ええとそれで、ダンジョンの話ね。一層の天井が人によって高さが違う――っていう話とも繋がるの、それ」

「その話はクソ面倒だ」

「えー……?」

「人の認識によって作られた現実が、どれほど虚構を生み出すのか、その論理式を聞きたいのか?」

「ごめん、果てしなく難しそうで理解できないと思う」

「だろうよ。だがまあ、どうやらシロの認識が正しいな」

「なんか報告したの」

「報告というか、感想ですね。ボクがダンジョンの一層に入って気付いたのは、随分と過ごしやすい場所だ、ということです」

「まあ、冒険者も手入れしてるし、だからこそ学校で使えるようになってるんでしょ」

「それは副次的なものだな。空があり、時間があり、明るくなって暗くなる、地下特有の圧迫感は少なく、岩盤の崩れや有毒ガスなどにおける危険性もないほど広い」

「それは……そうだけど」

「間抜けなお前は知らないだろうが、どんなものにも理屈が存在するんだよ。特にこの場合、過ごしやすいってのは――問題だ」

「……?」

「王城には裏道があるのを知っているだろう。間抜けなりに、どういう時に使うかはわかるな?」

「緊急時の退避経路でしょ」

「そうだ」

「そうだね。そして、日常的には使わない」

「……え、ダンジョンの話よね? ちょっと待って繋げるから」

「遅い」

「結論から言うと、そもそも人間にとって過ごしやすい場所にするメリットが今のところない――ということです。であれば、どういう状況ならメリットがあるのか」

「早いって。だから、つまり、避難場所になるってこと?」

「なる、じゃねえよ。かつて、なっていたと考えるのが普通だ。おそらく、地上において、今のような当たり前の生活ができなかった頃にな。ここに確証はない、古い文献を調べる必要がある」

「たとえば、こういうのはどうです、アカさん。街道の封鎖どころか、隣の街に行くことすら困難な状況があった」

「どういう状況だ?」

「ボクにはわかりません。ただ、その影響は地上のみで、地下にはなかった」

「可能性は薄いが、ありえなくはない。だがその場合、ダンジョンが人為的に掘られたものではないことを前提にしろ」

「……そうでした、忘れてました」

「人為的なものじゃないのは、確実なの? たとえば、一層と二層を繋ぐ階段だって、休憩所があるけど、あれって人工物でしょ」

「ある意味ではそうだが、おそらくによって作られたものだろうな。人が集まってやったものならば、周囲に休憩所などの建造物があってもおかしくはない。風化したとも考えられるが、俺は否定的だな。――今とは状況が違う」

「……状況が違うのは、わかる。わかるというか、私には知識がないけど、今と昔で環境が違うんだろうなと、なんとなくは。でも、ダンジョンの組み換えっていうのはなに? そんな話は……もしかしてあれ? ダンジョンマスターの存在ってやつ?」

「世間的に語られるものとは、違うぜ」

「一般的には、ダンジョンの支配者でしょ?」

「支配、ねえ。じゃあ聞くが、イルミディース教の大典たいてんとされる魔導書は、支配者と呼ぶのか?」

 まだ、三十年ほど前の話だ。

 イルミディース教の信徒たちが国家を構え、武装を所持し、周囲の安寧を壊すために活動を始めた。

 それ以来、各国がこぞって、宗教に政治を絡めることを禁忌としている。

「……あまり、詳しくはないけど、魔導書があったおかげで、強い力を得たんだと聞いてる」

「違うね。――魔導書が、強い力を得たんだ。人間が得たわけじゃねえ」

「うん?」

「ダンジョンの中には複雑な式が通してある。こいつがかなり高度で、当たり前に理屈を通しただけじゃ完成しないくらいの式だ。しかし、たとえば、ある魔術品を手にするだけで、それなりに自由な造りかえができたとしよう。これがお前らの考えるダンジョンマスターだな?」

「そうね。細かくはともかく、大筋はそういう印象を受けた」

「それがわかっていて、何故わからないんだ? 間抜けだからか?」

「むっ……」

 さっきから間抜け間抜けと繰り返されれば、さすがに気になってくる。横を見れば、シロが欠伸あくびをしていて、こちらの視線に気づいて――もにょもにょと口を動かし、欠伸の余韻を消してから、頬杖をついた。

 いや、途中で欠伸を止めろとは言わないが、なんだろう、複雑な気分だ。

「逆の考えをするんですよ。仮に、魔術品に意識があったとしましょう。まあ、意識というか魂はあると思いますが、それはさておき、そちら側からの思考です」

「そちら……自分は動けない、魔力がないと動かない、誰かが起動しないと駄目――」

「その状況で手にした間抜けを、選ばれた者と言うのは勝手だが、俺に言わせれば犠牲者か、哀れな生贄だ。その視点でイルミディース教を考えてみろ」

「――っ」

「わかったか? 強い力を得る、なんてのは、世の中においては利用されてるのと同じだ。その視点からダンジョンマスターを考察すりゃ、まあ、ありえるだろうと思うさ」

「アカさんにも難しいですか?」

「難しいというか、面倒だな。このジャングルにしたって、陽光もない場所にこれだけの植物が密集して枯れずにいて、さらに特有の魔物が生息しているんだぜ? 構造式を完成させるのに二十年はかかる」

「アカさんでそれだと、一般の魔術師は一生かけて半分ですね」

「ただ、それが魔術品なら別だ。人間という媒体がありゃ、あとは勝手にできるし、たぶん条件付きだ。途中放棄する例は少ないだろうから、魔術品側に使用制限があるはずだ」

「自分を基準に考えてますね。普通の人がこれだけ大規模な式を通したら、魔力の問題で死にますよ」

「そういえば、……そうだな」

「そろそろボクの疑問、いいですか?」

「なんだ」

「ダンジョンは倒壊しないのか」

「なるほど? 続けろ」

「鉱山と洞窟は別物ですよね? しかし、鉱山は倒壊し、洞窟は――そういう話は、アカさんの方が詳しいでしょうけれど」

「そういう記載はなかったな」

「まあ極論にはなりますが、たとえば真下を掘ったり、上を攻撃したら、崩れるのかなと思いまして」

「二択なら、壊れる」

「つまり、壊せない理由があって、限りなくその可能性は低い――ですね」

「さっきから探りを入れているが、どうも警報装置アラームみたいなものが組み込まれているようだ」

「緊急時に誰かが?」

管理者リーパー

 短く、アカは呟いてから煙草を消した。

「そういう記述が残っている」

「ダンジョンの管理人――ですか」

「それ以上の記術は、ない。ないんだが、逃走しろと書いてあったのは覚えている。また、逃げ切れるとは限らない、ともな。実際に目にして、問題ないのなら調査も続けられるが、どういう存在かわからない以上、あまり潜ってもいられない」

「じゃあ、その警報に触れてみますか?」

「馴染んでから、折りを見てな。まだ、どこのラインまで大丈夫なのかもわからん」

「アカさんの慎重なところ、ボクも見習わないといけませんね」

「ふん、お前は充分に慎重だ」

「……確かに、楽しむことはあっても、強引なことって、あまりなかったかも」

「ははは、時と場合によりけり、ですかね。アカさん、そろそろ場所を移動しましょう。できれば今日の夜を過ごすベースの場所を確保しておいて、先に準備したいんですが」

「そうだな。川の流れが近くにある、そこを中心に探してみるか」

 さあ行こうか。

 ――は、立ち上がろうとする瞬間にやってきた。


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