第2話 彼女は剣を通す
学校に編入して、三ヶ月。
待ち望んだ学校指定ダンジョンへの遠足に、シロは気分が良かった。
「楽しそうねえ」
「そりゃそうですよミカ。資料では見ましたけど、やっぱり実地でこうして見なきゃ、わからないものの方が多いんです。いやあ、ボクはダンジョンってものに初めて触れますからね!」
1クラスは十八人。事前説明通り、
シロたちは最後に回された。理由は、シロが編入生であること、だろう。学校でずっと勉強をしてきた彼らとは、さすがに実力に差がある。
「待ち遠しいですねえ……」
「ほら、落ち着きなさいシロ」
肩を両手で後ろから掴み、とりあえず、うろうろと動くシロを軽く抑える。短い髪は名前の通り綺麗な白色で、背丈こそ低いものの、背筋をぴんと伸ばす姿勢が美しい。ミカは親に厳しい
敬語を基本としているが、何事にも前向きに挑む姿勢を好きになった。明るい性格で、すぐ学校にも馴染んでいて、人付き合いを好んでいるようだ。
たぶん、今回の実地訓練も、ミカがそれほど成績にこだわらなかっただけで、シロが好ましくないから選ばなかったわけではない。
ただ、やはりこれが授業である以上、良い成績を出したいと思うのは当然で、それゆえに三ヶ月しか経っていないシロを敬遠したのが、実情だ。
本人は、さほど気にしていないようだが。
「ほんと、そういうとこ可愛いのよねえ、シロは」
「うん? 何が?」
「気にしなくていいの」
戦闘訓練の成績は、お互いに平均的であり、だからこそバランスも悪くない。どちらかが強すぎると、連携という点においてマイナスが出やすく、好まれないのがパーティというやつだ。
腰に提げたのは剣で、お互いに長剣――。
「はい、では最後、ミカとシロ」
「はい先生」
眼鏡をかけた教員は、ボードにペンを走らせる。
「充分に気を付けるように。今回はワンフロアの調査のみ、いいですね?」
「はい」
「――シロ、返事を」
「へ? ああ、はい、わかってますよ教員殿」
「では行きなさい」
さあ、行こうかと一歩を踏み出したシロは、しかし。
「そうだ、忘れていました」
背後を振り向き、教員を見て。
「……、……――」
ぼそぼそと、何かを小さく呟いて。
「では行きましょうか、ミカ。楽しみで仕方がないんですよ」
「ええ、そうね」
大聖堂の入り口みたいな場所から地下への階段を降りると、ダンジョンの始まりだ。
――そこに、大草原が広がっていた。
「おお、ちゃんと空もあるんですね。地下だとは思えないほどの解放感です」
「最初は驚くよね」
「それに、かなり広いですね。……ああ、先発隊は戦闘に入ってますか」
「え、見えるの?」
「ぼんやりと、ですよ。このあたりは冒険者が定期的に掃除してるようですし、得物を抜かなければ敵対しませんよ」
「へ?」
「魔物だとて、ここで生活していますから。剣を抜けば敵対意志です」
逆に抜かなければ、よほど縄張りを荒らさない限り、攻撃されることもない。
もちろん、ここのあたりにいる魔物が弱いのが前提だが。
「いやあ、ここはまだ地下があったはずですね。一体どうなっているんでしょう」
「ええと、一応出口の方向だけは忘れないでね?」
「ええ、ええ、わかっていますとも」
今にも小躍りしそうな姿に、ミカは苦笑する。どうやら付き合うしかなさそうだ。
「おおよそ4メートルほど階段で降りてきましたが、天井の高さは実際にどうなんでしょうか」
「古い文献も含めて、4メートルだと確認した人もいれば、もっと高かった人もいるらしいね」
「確認したということは、空を飛んで?」
「そういう式を通したらしいけど」
「……空は、ボクには広すぎる。まあいいや、とりあえず二層への入り口までのんびり散歩しましょうか」
「もう、緊張感がないのね?」
「遠足じゃないですか、こんなの。魔物を何匹討伐しろと、そんな話も出ていませんから」
「一応、ここで一日過ごすことになってるのは、覚えてるのよね」
「……、うん、そういう話もありましたね」
「忘れないように」
「ミカが覚えていてくれるので、助かりますよ」
シロの足取りは軽い。
「いやあ、気持ちの良い天気だと思えるくらいに、現実感がありますね。それに空気も心地良い――いっそ、ここに住みたいくらいです」
「この第一層だけよ? 二層は湿度が高く、ジャングルみたいになっているし、ほかのダンジョンも、あまりこうした場所はないようだから」
「でも、やろうと思えば自給自足ができそうですね。食べられる魔物もいますし」
「一人だと夜間の警戒が難しいでしょ」
「それもそうですね。というか、夜もあるんですね?」
「ええ、あると思うけれど」
「外と変わらないんですねえ……」
森のような場所は避け、戦闘中のところの邪魔をせず、シロは歩く。速度もやや早足になっているくらいで、軍人の行軍よりは遅く、散歩よりは速いくらいなものだ。
「思ったより、慣れてる?」
「え? ああ、こちらに来るまでは、魔物と共存しているような田舎で過ごしていましたから、シチュエーションとしては楽なものですよ」
「山暮らしみたいな」
「そう、それです。まったく、ボクには何を好んでそんな生活をしているのか、理解に苦しみますよ」
「……うん? シロもしてたんでしょ」
「こうして、出てきましたからね。娯楽も少なくて、自給自足みたいなのは真似できません」
のんびりと、会話をしながらの移動である。
途中で休憩して、携帯食料や水を飲み、三時間かからずして、二層への入り口まで到着した。
「きっと、冒険者たちにとっては、ここはただの通路のようなものでしょうね」
「そりゃまあ、一層はそういう扱い……かな? 危険がないよう、今日も結構な冒険者が入ってるみたいだけど」
「そのようですね。このあたりの掃除も、依頼として出されているのかもしれません。駆け出し冒険者がやるのでしょうか」
「そういう話は聞いたことがあるね」
「ということで」
両手を合わせて、笑顔で。
「ちょうど監視もいないので、二層を見てきましょう」
「ちょっとちょっと……」
「いえ、もちろん奥までは行きません。入り口からちょっと雰囲気を眺めるだけです」
「……本当に?」
「はい」
「もう……じゃ、すぐ行って戻りましょ」
それなら話は早いと、二層へ向かう階段を一気に――降りようとして。
その半ばにある踊り場というか、休憩室と隣接した広間にて。
彼女が、待ち構えていた。
「おや、教員殿」
「シロ、ミカ。授業では一層のみと、言ったはずですが」
「そうだったかもしれませんね」
「ただ、好都合だ」
眼鏡を外した彼女は、セーコは、腰から細身の剣を引き抜き、その切っ先をシロへ向けた。
「……ミカ、少し離れていてください」
「え? ああ、うん」
距離を取るミカに対し、セーコは反応しない。
「はは……ああ失礼、それで?」
「何故、貴様が
「符丁? ああ、月の影がナンタラとかいう、あれですか。そりゃ知ってますよ、あなたを除いた四人を殺したのはボクですからねえ」
「――貴様」
「他国に潜り込んで火遊びとは、あまり賛成できませんよ? まあ、ボクにとってはどうでもいい話ですが」
「どうでもいい、だと?」
「ええ、理由も行動も、どうでもいいんです。ただボクの前に障害として現れただけですから」
「――わかった」
彼女は言う。
「貴様は殺す」
「どうぞ、できるのなら」
実戦に合図はない。
細身の剣の先端が目の前に来ていて、連続して三度、それをぎりぎりで回避して、半歩下がるのと同調するよう、セーコもまた間合いを詰めてくる。
先手、主導権を握り、攻撃では最短であり、最速とされる突きを主体としている――が、残念ながら突きの最速とは、最初の一手のみである。次の一撃からは、腕を引き、さらにそこから腕を伸ばして突きをしなくてはならず、それは最速ではない。
しかも、一度わかれば、それこそ最速の初撃を回避してしまえば、あとは単調だ。
――そのくらいの理解は、使う側もしているだろう。
なのに。
「先端に毒も塗っていないんですか……」
かすったら終わり、という緊張感すらない。
ただ、その戦闘スタイルはある意味で完成していると言えた。
顔を狙ってから、首や胴体、それから手などの末端まで狙ってくる。腕を伸ばし切った距離を見極めていると、わずかな踏み込みの深さから、その距離を誤認するのだから、錬度は高い部類だろう。
だから、避ける時は左右を意識した方が良い。逆に言えば、意識させてしまえば、攻撃の汎用性も高くなる。
そして、シロが半歩踏み込んで剣を引き抜こうとすれば、距離を取った。
判断が早い。
場慣れはもちろん、きちんと鍛錬をしている証拠だろう。
「突きを選んだのは、女性だからですか?」
返事はなかったが、シロは剣を引き抜く。
剣を持つ大勢は、その扱いに筋力を使いがちだ。その点、突きは主に背筋であり、
先ほどシロが口にしたよう、毒でも塗っておけば、より簡単だろう。
だから、真似をする。
剣の切っ先を下に、それこそ腕をだらんと下げた状態で、構えとは思えないその姿勢から、まっすぐに、最短で、――突く。
大きな金属音と共に。
根本から剣が折れた。
「ああ……忘れていました」
これは自分の得物ではなく、配布された量産品の剣だ。
いわゆるひし形になっている剣で、中央に硬い芯を通し、そこに肉付けをして剣の形にした、それこそ廃材の鉱石を寄せ集めてでも作ることができる、量産品だ。学校の訓練では充分であるし、突きの威力で折れるなんて想定はしてないだろう。
いや。
この場合は、セーコの頭蓋骨の硬さ、か。
剣は脳の半分ほどまで貫き、折れた半分以上をその身から生やしたまま、ゆっくりと後ろに倒れた。
「またやってしまいましたね。一応、ギルドからは尋問もしたいので、可能なら生け捕りをするようにと、そう言われていたのですが」
吐息を落とし、頭を掻きながらミカを見る。
「どうも、ボクはまだ加減というやつができないらしい。――さて」
シロは柄だけになったものを捨てて、笑みを浮かべた。
「どうしますか?」
一切の迷いなく、ミカは腰にある剣を外し、放り投げ、軽く両手を上げた。
「降参」
「わかりました」
二度ほど手を叩くと、隣にある、普段は冒険者たちが休憩している部屋から三人の男が顔を見せた。
「ごめん、また殺してしまいました」
「いい、いい、わかってる」
「――確認と、頼みが一つ」
「はい、なんでしょう」
「私以外の
「間違いありません」
「……ああ、俺か。そうだ、殺しているし、お前が最後の一人ってのは初耳だ」
「ありがとう。じゃあ頼みはシロに」
「え、ボクですか?」
「寮で使ってる私の部屋、デスクの一番下の引き出しを外して、その床下に収納があるの。そこに証拠品があるから、……そうね、支部長に渡してくれる?」
「――なるほど、隠滅されると困る代物ですか」
「私の立場をはっきりさせるために必要なものだから」
「手回しが良いですね」
「どのみち、失敗は織り込み済みだから」
「わかりました、やっておきます」
「お願いね。じゃ、私も一緒に拘束して、ギルドに行くから」
「おう、下手な真似はしないでくれ。――面倒が増える」
「はいはい」
こうして、シロの仕事が一つ終わった。
なんというか、やや消化不良だ。まともな戦闘をすることもできなかったから。
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