6
その日の夜は四穂と同じ布団で寝た。友人という関係を一旦やめて新しく関係を築くためには性的なコミュニケーションが必要だと思ったからだ。正しいかどうかはわからない。そして性的なコミュニケーションを成立させるためには、個人の能力はいらない。ペアとして良くなり続けるということは、お互いが簡単な喜びを捨てるということだ。実際わたしたちの肉体は正の向きと逆の向きを交互に取りながら婉曲的な形での完成を目指した。そういうのは、立ったままではできない。
終えたのか終わったのか、そのときには二人とも疲れ切っていた。全身を張る皮膚がゆるんで脱げていく感覚の心地よさによってベッドに倒れ込んだ。わたしは気を失いかけていた。どんな競走の後よりも息を切らし、汗を流していた。ベッドの上はぐちゃぐちゃだった。四穂は溺れかけたように胸を激しく波打たせている。髪の毛はべっとりと頭に張り付いている。しかし実は全身に甘味が走っているのだった。
時間をかけて高まりを鎮めると、パジャマに着替えた。室内は汗が凍りそうなくらい寒かったが、わたしたちは全然気にしなかった。カーテンをめくって外を見ると夜空は晴れかえっている。濃紺の中にきらめく星は少ない。雪が夜を照らし上げるから辺りは早朝と変わらない明るさなのだった。
「関東は今日春一番だって」と四穂はいった。毛布から頭を出してわたしを見ている。まるで生首みたいだ。「それでも遅いほうなんだって。今年は寒い冬だったっていっていたのよ」
「いま新潟に春一番が来たら吹雪になるね」とわたしはいった。
「でも春休みなのよ。おかしくない?」
「うん」
「異常なのかもね。わたしたち」
「普通だよ」
「新潟の人たちがって意味」
そうなると否定できなかった。そうなのかもしれないという気がしてくる。新潟に住む人はどうして新潟に住むのか。四穂もお父さんも相模原に住む親戚と一緒に暮らせば、一本の命綱に頼る恐ろしさに苛まれずに済むだろう。普通、それぐらいのことをするだけの負債がこの家にはある。それはまだ屋根を軋ませる程度だけど、いつか押しつぶす。
わたしには質問があった。「答えたくないなら答えなくていいんだけど、この家の収入ってどうなってるの?」
四穂はすぐに答えた。「それが私にもよくわからないのよ。相模原の親戚が月々送って来てくれるんだけどお小遣いにしかならないの。物価が安いから何とかなるだろうって思っているんじゃないかしら。何ともならないわよ」
わたしは四穂のそばに腰かけた。スプリングが軋んだ。
「お父さんは昔、田んぼを埋めて建物を建てる仕事をしていたらしいんだけど訊いても教えてくれないの。具体的な仕事内容とか社名とか給料とか私は何も知らない。でも貯金は大分あるのよ。土地もいくつか持っていて、たぶんそれで私たちは食べているんじゃないかしら。たまにお父さんの携帯に誰かから電話がかかってくることがあるの。するとお父さんは携帯を持って自分の寝室にうつって何か話しているの。相模原からだったらそんなことはしない。明らかに様子が違うもの。お父さんの口座は私が管理しているんだけど、いつもその電話がかかってくる前後でお金が増えるのよ」
その金をわたしも食べたのだろうか。この家に越してきて三週間が経っていた。少なくとも六十食分がわたしの中に入ったのだ。
わたしは四穂と同じ毛布にくるまった。四穂の足は冷たかった。わたしの足が温めていた。
お父さんはここが好きなのよ、と四穂はいった。
「この家が、ってこと?」
「新潟が、ってこと」
「でも雪は燃えないごみだっていったんでしょ」
「それは分析だもの。好きなものほど分析したくなるでしょ?」
わたしは考えてみた。おおむね大三に関することだった。たしかにわたしは大三を分析しようとしていたのだった。
「大三はいい奴だったよ」
四穂は黙っていた。まるで眠ってしまったみたいだった。もう一度、大三はいい奴だったよ、といった。
そのとき四穂は少し大きな声でいった。「今日、大三くんと同じ名前の人を見つけたの。大三って大きいに三って書くでしょ。私が担当した教室に受験生として来たの。受験票に大三って書いてあったわ」
「名字は?」
「なんだったっけ?」
「覚えてないの?」
「覚えてない」と四穂はいう。「大三の二文字を見ただけでびっくりしちゃったのよ」
「どんな顔だった?」
「細長くて結構かっこよかったかもしれない。私、男の人にあんまり興味ないから顔の違いなんてよくわからないのよ。都会っぽい顔をしていたような気もするし、そうじゃないような気もする。とにかく男だったわよ」
他に何か覚えていないのかと再三問うた。
「特別目立ってもいなかったから覚えてない。背は高そうだった」
四穂が憎かった。「受験番号は?」
「そんなの覚えてるわけないじゃない」
思い出すべきだとわたしはいう。あるいは名前や容姿服装のすべてを明らかにするべきなのだ。同名の別人である方が考えやすいのにかかわらず、わたしはそれを大三だと思ってしまった。
「よんぜろよんぜろはちきゅーきゅーいち」と四穂はいった。「その列の一番前の人がはちごーだったの。で、大三くんは前から七番目だった。それ以外の番号はその教室で共通」
「ほんとう?」
「違ったらごめんね」
「よんぜろよんぜろはちきゅーきゅーいち」
「よんぜろよんぜろはちきゅーきゅーいち」
よんぜろよんぜろはちきゅーきゅーいちと唱えながら両手を胸の上で重ねた。目を閉じると右側に四穂のあたたかさがあった。頭の中でよんぜろよんぜろはちきゅーきゅーいちを繰りかえした。その度に、木材にやすりをかけたように、思考は均一に、なめらかになっていった。わたしは頭から闇の中へ落ちて行った。
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