7
わたしが話し終えたとき、四穂は「それで終わり?」といった。
「お終い」とわたしはいった。
彼女は天井を見上げてふうんと鼻を鳴らした。「その話って全部ほんとうなの?」
「もちろん」
「学校で目隠し鬼ごっこが流行ったとか、古い料理店でから揚げを食べて喧嘩したとか、大三くんにセクハラされたとか、改札の前でフラれたとか」
「ほんとう」
「嘘はひとつもないの? 一から百まで?」
「ゼロから百までほんとう」
四穂はふたたびふうんといった。「それって誇張も含まれないってことよね? 確認だけど」
わたしはうなづく。
「でもね、思うんだけど、誰しも昔話をするときは、多かれ少なかれ嘘を織り交ぜてしまうものなんじゃないかしら。嘘でないにしろ誇張だったり、時系列を入れ替えたりしちゃうことがあると思うのよ。そうさせるのは意識かもしれないし無意識かもしれない。実際の出来事をありのまま話せる人ってものすごく珍しいんじゃない?」
四穂は冴え冴え笑っていた。
「なら、信じなくていいわよ。酔いどれの出任せでいい。というか今すぐ忘れてもらいたいくらいよ」
「そういうつもりじゃないのよ。あなたの話を信じたくないわけじゃなくて……なんとなくだけど違和感があるのよ」
なんだこの女、とわたしは思った。
四穂は左右に首を振って鼻歌を歌うようにうなった。
「こういうのってほんとうはいわないほうがいいのかもしれないけど、大三くんって実在の人物なの? それとも想像の上での友だちとかじゃなくて?」、四穂は息継ぎして「思春期の子どもってさ、よくいうじゃない、見えない友だちを作るって。想像力豊かな人がなりやすいの。そういうのって一クラスに一人はいなかった? 普通に話していても変わったところはないんだけど、一人でいるときに誰かと一緒にいるみたいに見えるの。友だちの多い少ないにかかわらずね。ちょっとした癖みたいなものなの」
「知らないわよ」
「そういうのがあるの」
「ずいぶん詳しいのね」
「わたしの友だちにも、見えない友だちを持ってる子がいたの。色々教えてくれたのよ。独り言をいっているうちに誰かとの会話になって、するとその会話の相手が形を持ち始めるんだって。ある日突然紹介されたのよ」
わたしをからかっているわけでなく、彼女は本気でその可能性を指摘しているのだった。四穂はわたしにすり寄ってきた。
わたしはいう。「残念だけど、大三は実在した。だって、わたしは大三に襲われたわけだし、フラれてさえいるのよ。それが架空の存在なわけないじゃない」
しかし、四穂にいわせると、人の記憶というのは自分が思っているほど確かなものではないのであって、後からいくらでも都合のいいように作り替えることができる。わたしが寝ているうちに誰かがわたしの頭の中をいじくりまわして元の記憶とはまるで異なった記憶を残していく――ようなことがいつも起こっているのだという。わたしは自分と大三が接触したと思っているけれど、それも単なる思い込みなのかもしれない。彼女はわたしに分かりやすいようにそう主張した。
「つまり何が何でも信じたくないってことでしょ?」
四穂は首を振る。「あの話は信じるけど、信じている内容が嘘かもしれないってこと」
二人して黙った。お互いの意識が直線上でぶつかって釣り合っていた。わたしはそれをずらそうとする。
「嘘なら嘘でいいわよ。作り話だと思ったなら、作り話として楽しめばいいでしょ。つまらなかったら、嘘でも本当でもどうでもよくなるでしょ? わたしの話、おもしろくなかった?」
「おもしろかった。これはほんとう」
「そう」
「でも」、四穂はつづけようとする。「どうにか大三くんの存在したことを示す方法はないわけ? 写真とかなんでもいいのよ」
小学校の卒業アルバムを探せば大三の顔写真が手に入るはずなのだが実家に置いてあるし、わたし自身、アルバムで彼の顔を見たことはなかった。もしかしたらそこには本当に大三は写っていないかもしれないのだ。
「あるわよ」といった。わたしには思いついたことがあった。「飄六玉から盗んできた湯呑み茶わんがある」
わたしには自信があった。湯呑み茶わんを見せれば誰もが大三のことを理解できるというような、あるいはそこまででなくとも、納得させられるような気がしたのだ。しかし、「そんなのただの茶わんでしょ。何にもならないわよ」と四穂はいった。
そのときのわたしは衝撃を受けたのだった。後からよく考えると湯呑みはたしかにただの湯呑みでしかないのだ。わたしと四穂との間には大きな段差があった。どちらが高い方にいるのかは知らないがその段差は乗り越えることも飛び降りることもできないくらいには高い。これがわたしと四穂との差であった。わたしは湯呑みを湯呑み茶わんとして扱ったことはあっても、湯呑み茶わんだと思ったことは一度もないのだ。
高校を卒業して新潟に越してくるとき自分のたんすを整理した。どの服を捨て、どの服を向こうに持っていくか分別する必要があった。たんすの最下段を漁っているとき、最奥からとっくの昔に失くしたと思っていた気に入りの子ども服が出てきた。もちろん着られるわけがないのだが、懐かしくなったので取り上げて広げた。すると、膝の上にかたいものが落ちてきた。湯呑みだった。それは約八年以上もたんすの中で眠っていたのだった。膝の上に落ちた瞬間に、わたしには何もかもが思い出された。まるで水風船がはじけるように、圧縮された情報が一斉に放たれた。最近三年間に忘れて過ごしてきた過去が帰ってきて、わたしをおかしくさせたり、悲しくさせたりもした。それはわたしにとっては記憶の固まりなのだった。それがたまたま湯呑み茶わんの形を持っているというだけだ。
「でも、見てみたくはあるわね」と四穂はいった。「そこまでいわれたら気になってくる……。ねえ、参考までなんだけど大三くんってどんな顔をしてたの?」
「少し女っぽい感じ」とわたしは答えた。
「じゃあもしかして女っぽい感じが好きなの?」
薄い暗がりの中で四穂の黒目がうるんでぷるぷる震えていた。その眼がわたしを見つめ、わたしの返事を待っている。
わたしは膝を揃えて少し肩を落とした。
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