5
以来瓢六玉にも小沢にも近づいていない。必要がないかぎり田園地帯に行かない。わたしはたんぼを目にするたびにあの日のことを思い出して自己嫌悪的な苦みに襲われるのだった。それは躁に対する一種のうつであるように思う。とくに事件直後の大三とわたしとは、人格が裏返ったみたいな脱力した生活を送っていた。
夏休みがまだつづいているという事実がわたしたちを勇気づけたのだろう。残りの二週間は大三の家でTVゲームをして過ごした。晴れの日も雨の日もわたしはゲームをプレイしつづけ、それを大三は眺めていた。
大三が持ち帰ってきた瓢六玉の湯呑みはテレビの画面のすぐ下に置いてあった。わたしはそれがひとりで動き出すのを見たことがない――というと当たり前なのだが、その部屋の中で湯呑みは異質でしかなく、何らかの手段によって瓢六玉へ戻っていくのが普通だろうと思ったのだ。そしてわたしたちは二度とあそこへは行かないと決めこんでいる。となると、湯呑み茶わんは自力で瓢六玉へ帰るべきなのだった。
あるとき、ふと気がついたら、この湯呑み茶わんどうするの、とわたしは口に出していた。たぶん私の中にたまっていたその疑問がついに表面張力でも支えられなくなったのだろう。しまったと思った。でも、口に出してすぐに黙ると不自然にみえるのでないかという観念がわたしを襲って、口が勝手に動き始めた。
わたしは茶わんを瓢六玉に返すべきだと主張したが、大三は黙殺する。彼の顔はゲームの画面を眺めたままの表情でこり固まっていた。わたしは自分がひどくおしゃべりで、しかも意味の無いことをいうように思えて恥じた。同時に寡黙な大三を馬鹿にしていた。自分について話さない人間はたぶん自分について話すことが無いのだろう、そう考えることにした。
しかし湯呑みがテレビの横に置いてあるせいでゲームに集中できないのである。それはわたしたちの瓢六玉、小沢、あるいは田園地帯に対する印象を圧縮し閉じこめていて、見つけるたびにわたしに濃い苦みを味わわせた。何度かわたしは大三のいないうちに湯呑みを見えないところに動かした。が、彼は許さなかった。自分の目の見えるところに置いておきたかったのか、わたしを半ばおどして隠した場所を吐かした。定位置に戻った湯呑み茶わんはわたしたちを見おろしているみたいに見えた。
夏休みが終わりに近づくころには、やるべきゲームはすべてクリアしていたし、対戦相手のCPUの挙動にも飽きていた。それでもわたしたちは外で遊ぶことをこばんだ。密室の中で冷房に吹かれることを望んだのだ。終わりかけている夏は暑さをやわらげ、風はやや涼しいくらいだったから、窓をあけて扇風機でもつけていれば十分気持ちよくなれただろう。が、外側からの目もさえぎる個室をわたしたちは必要としていたのだった。
ある日、大三が珍しく提案してきた。学校で流行っていた目隠しの鬼ごっこをその部屋でやりたいのだという。彼はどこかから手ぬぐいをもってきて帯にし、わたしの目を隠そうとしてきた。どうして大三がそんなことを思いついたのかよくわからない。少なくともわたしはそれに付き合いたくはなかったから目隠しをするのを断った。すると大三は自分自身に目隠しを巻いて勝手に鬼になった。わたしは数歩退いて部屋の壁にはりついた。そしてなるべく息を殺して小さくなった。まるで帰る家を失った小動物のように。
この時の大三は――あるいはいつもの大三だったのかも知れないが――正気でなかった。目かくしをきつく結んで彼はにたりと笑った。両手は宙に浮いて、彼のまわりをまわっている。そして、人型ロボットが振り返るみたいにのそりと向きを変えた。わたしから完全にそっぽを向いていたから、わたしは完全に彼の闇の中に溶け込んでいるのだろうと、思っていた。しばらくのあいだ大三は床のちらばったゴミをけとばしまくっていた。わたしは変わらない場所でより小さくなった。
鮮明に思い出せば出すほどわたしは気恥ずかしくなってしまう。大三の幼稚さはこの夏休みにかけてのピークにたどりついていた。
ただ、実のところ、はじめから目隠しの意味などなかったのだ。ひととおり茶番劇を終えると彼は狙いすましてわたしに近づいてきた。それはあまりにも乱雑で短絡的な態度だった。大三はこちらににじりよってすぐにわたしの肩をつかまえた。わたしは逃げなかったというよりは、ちょうど背後で壁が直角に交わっているところにいたから、逃げようにも逃げられなかった。わたしは悲鳴も上げなかったが、血が熱くなり全身の気力が奪われるのを感じた。
そこでお遊びは終わるはずだった。そうでなければゲームにならない。しかし大三は目かくしをはずすわけでなく、わたしをとらえた近さからさらに近よって、手を滑らした。大三の手のひらは特定の意志によってわたしの胸、わき腹、うちももをさわっていた。まるで新作の洋服の出来をたしかめる服屋の店員のように丁寧でスマートだったが、執拗でもあった。内ももまで及んだ手はその先を確かめないかぎり帰りそうにはなかった。抵抗しなかったわけではない。抵抗したが大三の圧に押し負けたのだった。
彼は耳も塞いでしまったかのようにわたしのいうことにもろともしない。わたしは嫌がっていた。といってもこれを全く逆の意味としてきく人も少なくないのでないか。だからもっと正確にいう必要があるのだが――文字通り、わたしは嫌がっていた。
大三はやがて飽きて離れた。一瞬のうちに消えてなくなるろうそくの火のように、彼はわたしの上を去っていった。それで目かくしをはずして横目でじっと見おろしてくる。彼の考えていることが読めなかった。実際普段から読めなかったのだけれど、このときは動物的にはるか遠く離れていた。わたしが感じていたのは、失望を疑いと出処のわからない期待だった。自然でない彼の行動をわたしは推理し、さぐり出そうとしていた。もしかしたらわたしに好意をもっているのかもしれないと安直に思った。でもそれは思っただけで、何ら説得力のない仮説に過ぎない。むしろそれを否定することのほうがかんたんである。だが、言うまでもなく、十歳になったばかりのわたしには判断がつかない。わたしはなんとなく、大三がわたしに対して好意を持っていると思うようになった。その方が自分が納得でき、大三のことも許せてくるからだ。
大三はふと気づいたのか、TVの横の湯呑み茶わんを取り上げて、わたしにわたしてよこして、はじめて言葉らしい言葉を話した。お前があそこに返してこいよ、と彼はいった。だからあげるよ、いらないから。以降、一言もしゃべらない。大三に触られた感覚だけが残っていた。
その日、わたしは湯呑み茶わんを持ち帰って、自分の勉強机に置いて、飽きるまで眺めていた。飽きはいつまでも来なかった。机の上でそれをころがしたり滑らしたりして遊んだ。球体の真中から先端までを切り落とした形をあらゆる角度から観、光の反射の具合をたしかめた。自分の机の上にあると、ガラス茶わんは多くの歴史を背負いこんだ遺産みたいだった。わたしはそれを瓢六玉に返しに行く気をなくした。鯉の一匹で困ることはあっても、湯呑みの一つで困ることはないだろう。あるいはあの主人は盗まれたことにすら気づいていないかもしれない。盗んだのは大三だ。わたしはもらっただけ。もらいものを大切にしているだけ。湯呑み茶わんを自分の服につつんでたんすの奥にしまった。安心して眠れるような気がした。
夏休みが終わると大三と遊ぶ機会は少なくなった。元々、一度に多くの友人と遊ぶ人間でなかった彼は学校でも限られた人間関係しか持たなかった。わたしは学校であまり大三に話しかけないようになった。男子と女子との間で物事の認識のし方に違いが現れる時期だったのだ。その二つの集団の間には見えないけれど大きな隔たりがあった。放課後に家まで帰る短い道のりだけがわたしたちの一緒にいられる学校生活の一区間だった。しかし夏休み明けを境に、大三は終業すると一人でさっさと帰っていくようになった。毎度姿を消すように教室を後にするのだ。そして置いていかれたわたしは小石をけりながら帰った。放課後の予定がわたしにはなかった。
当時大三は中学受験用の塾に通いはじめていたのだ。これを知るのは大分あと、小学校を卒業するころなのだが、わたしは半分くらい大三のことを忘れていた。六年生では大三とクラスがわかれて、わたしは別の新しい友達をつくっていた。学校でも大三のことを見なくなった。本当に彼が通ってきていたのか知らない。わたしは洋服につつんでタンスにしまった湯呑み茶わんのことも忘れた。
卒業し、中学に上がると大三は完全に消えた。小学校の同級生はみんな同じ中学に進むようになっていたのだが大三だけがいなくなった。でもとくに気にならなかった。
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