13
父親は目の見えないはずなのに手際よくお茶を淹れ、熱い湯呑みをわたしの前に置いた。それはさっきまで彼が使っていた湯呑みだった。自分のでも構わないか、と彼はきいてきた。自分が普段使うもの以外のものの場所がわからないのだった。お茶がぬるくなるまでわたしは手をつけなかった。
わたしたちはこたつに向かい合わせに座った。彼はときどきひとり言のようなことをいったが、それらはすべてわたしに向けられた質問だった。わたしはだいぶ遅れてからそれが質問であることに気づいた。そこから返事をするというのは少々気持ちの悪い作業だった。
居間の隅の床に小さなテレビが置いてあり、映像と音声をえんえん垂れ流していた。彼のうしろの壁には仏壇と背の高い本棚が並んでいた。本棚には分厚い紙の束がいっぱいに積み上げられていた。
一問一答を何度か繰り返したあとで、彼は自分の目の暗さについてわたしにたずねた。わたしが彼の盲目を知っていたか、ということだった。四穂からきいていたとわたしは答えた。視力を失った日のことや母親との別れのことはいわないで置いた。ただたんにわたしは盲目を知っていた。それだけだった。
「じゃあ、ぼくはここで、本を読んでいますから。好きにしていていいですよ」、彼の言葉は異国人に話しかけるみたいに丁寧で形式的だった。
彼はこたつの上の紙の束に指を滑らせはじめた。それには点字が打ち込まれているらしかった。指は白い凹凸の上を止まることなく撫でていった。わたしはしばらくその点字を眺めていたが目が痛くなるばかりでさっぱりわからなかった。
それは何ですか、とわたしはきいた。
「雪国です。川端康成の」、指を動かしたまま彼はいった。「知っていますか」
「知ってますけど、読んだことはないです」
「うん。ぼくも今日はじめて読むんですよ。目がみえなくなる前は小説を読みたいとも思わなかったんですけど、目がみえなくなった次の日には、もう文字をみれなくなるのかって、悲しくなったんです」
「目で読むのとは違うんですか」
「さあね。わからない。気にかけて文字をみたことはなかったですから」
わたしはさらにきいた。「本棚にあるのは全部小説ですか」
「読みたければ読んでいいよ」
彼は笑った。わたしもつられて笑った。
十二時過ぎのニュース番組がセンター試験の話題を取り上げた。今年のセンターも雪が降った。いくつかの交通機関がマヒしたが、警察の協力によって事なきを得た。それから一日目の試験問題の出題傾向や難易度を解説し、さいごに受験生に対する激励の言葉をしめくくりにしてコマーシャルに切り替わった。受験生がこの番組をみている可能性はかなり低いと思われた。
わたしは退屈を感じる。新潟の受験生たちはどこよりも雪によるひどい仕打ちをくらっているはずだったが、関東人にはどうでもいいらしい。わたしは受験生の雪道をラッセルしていく姿を想像した。そして大学関係者のラッセル。案外受験生のラッセルのほうが弱々しく線の細いかもしれないと思う。わたしは一キロも離れていないアパートに帰ることすら放棄したのだった。
大雪の日に何をして過ごすべきかをわたしは知らなかった。幼いころそういう環境にいなかったからだ。相模原は乾いていた。雨が降るのでさえまれなことだった。
「そういえば」とわたしは切り出した。
「なんです?」
「四穂のいとこは相模原にいるんですよね。わたしも相模原にいたんですよ。ここにくる前は」
「ああ、マサキ君ね」父親は顔をあげた。「今はもう東京のどこかで一人暮らししているみたいだけど」
わたしの中で、名前のわからない彼と四穂のいとことが交錯していた。
「四穂に似ているってききましたけど」
そういうと、四穂の父親は田中マサキについて話しだした。このあいだびっくりすることがあったんだという前置きを置いて、雪国をうっちゃった。実際、その話はわたしを少しばかり驚かせた。そしてまた同時に、安心させもした。
田中マサキには結婚を考えている人がいた。高校二年生のころから付き合いはじめて、二人で同じ大学に進学し、今はそれぞれ一人暮らしをしている。しかし実際のところは毎晩相手の家を行き来する半同棲生活をしているのだった。今度の正月、田中マサキは実家に彼女を連れてやってきた。彼はまず同棲のことを、両親や親戚連中に打ち明けた。そのとき食器が割れたのだという。
田中マサキは四穂のいっていた通りの人物らしい。物事を順序立てて話すのが上手く、簡明で物静かな口調からふとした瞬間にやさしい冗談をこぼす。大学ではよく勉強していて、その成績は教授のほうにも知られていた。彼女に関しては、外見は人並みだったが大人ごのみされる顔らしく、喋りが田中マサキ同様活きていたので印象はいい。これらすべては四穂の父親の発言である。
田中マサキの両親、つまり四穂の父親の弟夫婦は二人とも進学せず職に就いたので、大学についてはブラックボックス同然だった。田中マサキがひとり息子だということもあって、何もかも完璧にこなさなければならないという幻想に両親はとらわれていた。受験の段になると二人だけが杞憂的にあわあわして、毅然と受験会場に向かう息子に何度となく安心させられた。で、田中マサキが相応の大学に受かって、今度は家を出るという段になると、また発作的にあわあわし、家中を歩きまわったのだという。
彼らの生活が息子に依存していたというのは明らかだった。ほとんどの家庭が、子どものために存在しているといってもいいほど、ある側面に関して特化しているのだ。しかし子どもがいなくなった瞬間、その特化は、解消されるというよりは、どちらかといえば空回りし、消耗していく。
息子の早すぎる家出が両親を一回り老いさせた、と四穂の父親はいうが、彼は電話越しの語り口からその老化を感じたらしい。去年の四月に田中マサキが家出して以来、相模原からかかってくる電話の回数が増えた。前までは二週間から一か月に一回だったものが三日ごとになった。さらにその内容も、息子に電話しても中々取ってくれないし、メールもすぐには返ってこない、たいがい夕方には返信が届くのだがその文面もどことなく素っ気なくて淡白なのだ、というようなものである。これを毎度きかされる四穂の父親は、むしろ田中マサキのほうを哀れに思いながらも口を閉ざしておくのだった。
そういう両親に結婚の話を持ちかけたのだった。母親は持っていた皿をひっくり返し、父親は湯飲みを落として割った。ほかの親戚たちも急の展開に黙りこくってしまった。田中マサキは静まり返る茶の間でたった一人未来のことについて語った。
息子のこれからのあらましをきいた弟夫婦は真っ先に新潟に電話をかけてきた。そこで四穂の父親は、学生結婚という言葉を耳にした。彼にとっては懐かしく、苦々しい言葉だった。
「電話ごしにね」、彼はいった。「ぼくは賛成した。無責任かもしれないけど、ぼくも学生結婚だったから」
「そうなんですか」
風船がゆっくりとしぼんでいくように、父親は沈黙した。色眼鏡が蛍光灯の光を反射していた。
「そしたら学生結婚は上手くいかないっていわれたよね」
彼ははははと笑った。
わたしは無意識のうちに、何も知りませんし、気にしません、と表情していた。
風が強く居間の窓をたたいた。わたしはこたつを肩まで被ってお父さんの顔色をうかがっていた。
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