第176話 男の流儀

 それからというもの、ぼくは和島くんに顔を覚えられてしまったのだろう。ちょこちょこと声をかけられるようになった。


 それ自体は構わないことなのだけれど、彼と会う時、会う時、どうにも間が悪い。


 あれはうっかりと教科書を忘れていったときだったろうか。ふたつ隣りのクラスまで借りにいったのを和島くんに見られた。


 あるいは、たまたま掃除当番にやる気が湧かないときもそうだったか。ホウキ片手に手持ち無沙汰としていたぼくに向けて、友だちが丸めた紙くずを投げるものだから振らないというのも失礼な話だった。


 空振り三振は男の勲章にもなるけれど、見逃し三振は男の恥になろうというもの。


 ブンと、バットもといホウキを振った。いつもなら空を切るばかりだというのに、ここぞとばかしに会心の手応えを感じた。そして当たり慣れてないぼくだったから、力の加減もまるでわかっておらず。


 ライナー性のするどい打球は掃除中だからと開いていた窓をすり抜け、廊下に向かって一直線に飛び出していった。


 ゴミ捨てに向かう、和島くんの足元へ。


 他にも、他にもと。ぼくと和島くんの思い出話は枚挙にいとまがなかった。そんな時に彼がとる行動はいつも決まっていて、間違いは間違いだとしっかりと正すのだ。


「真面目にやったらどうだ」

 とか、

「気が抜けているな」

 だったり、バリエーションも豊富だ。


「もう、片付かないじゃないの」

 っていう時もあったかな。


 ああ、ちがうちがう。それはぼくを後ろから睨んでいた鬼柳ちゃんの言葉だった。


 指摘された身としては返す言葉がない。笑ってごまかすのが常になりつつあった。まだぼくに反論の目でも残っていればよかったけれど、まあ、大概ぼくが悪かった。


 ほんのちょっぴりと、ね。


 その度にぼくは己をかえりみて猛省し、もう聖人君子になれたんじゃないのかなと思っては、そうじゃなかったと和島くんに思いしらされる日々を過ごしていた。


「まったく、和島くんには困ったものだよね。うっかりと品行方正になっちゃうよ」


 もうほとんど清廉潔白と化していたぼくは放課後の教室でぼやく。ぼやきの相手である鬼柳ちゃんは妙ちくりんな顔をする。


「前にも同じことがあった気がするわね」


 すこし苦い顔で、困ったように笑う。


「そうですの? さすがお姉さまですわ」

 と、当の本人は覚えがなさそうである。


 さすがの大矢さんだった。そこに痺れる憧れ、……憧れはしないなと思い留まる。


 組体操の練習もいよいよ佳境をむかえようとしているらしく激しさを増すばかり。ぼくの筋肉痛は最高潮になりつつあった。まともに帰れそうもなく教室で休んでいると、心を疲弊させたふたりもやってきた。


 あちらはあちらで中々に病みつつある。


 いったいどんなダンスが完成しようとしているのかと気がかりでならない。もしもこの身体がまともに動いたのならば、一も二もなく覗きにいくというのに。ぼくは、完成してしまう前のダンスがみたいのだ。


 そんなことを言うと電気の走る身体になにをされるかわかったものじゃないので、差し障りない会話でお茶を濁そうとした。それ故に、ぼくのぼやきである。


「和島くんは昔から、ああ、なのかね」


「んー、まあ。正義感のつよいひとよ」


「わたくしのようにですのね」


 そりゃ、困ったものだとぼくも苦い顔。


 どうやら鬼柳ちゃんは和島くんのことにも詳しいらしかった。訊いてみたところ、去年は同じクラスだったと言う。


「鬼柳ちゃんもなにか言われた口かい?」


「まさか。守屋くんじゃないんだから」

 

「そうですわのよ。お姉さまを、守屋さんといっしょにしないで欲しいものですわ」

 と、ぼくとあまり変わらない口も言う。


「でもね、他のひとにも言ってたの」


 鬼柳ちゃんは肩をちょいと持ちあげる。それを見て、ぼくだけじゃなくて良かったと胸をなでおろした。

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