第136話 代わりの探偵

 適切な言葉が見つからなかったのだろう。ごめんねと、鬼柳ちゃんは先に謝り、カバンを持つ手を握り直す。


「その……、家族はもう壊れていたのよ。守屋くんが壊すまでもなく、その前にね。それが遅いか早いかだけの違いだったの」


 長い瞬きをして、大きな瞳を覗かせた。真っすぐにじっと、ぼくを見つめてくる。


「依頼したのは、お母さんなのね」


 ぎゅっと唇を結んで隠した。


 ぼくには目を閉じたままにしてきたことがある。それは、探偵の影には必ず依頼者がいるということ。考えないようにしてきたことならそのほかにだって沢山あった。


 どうして母さんは、探偵である田中さんとの面識があったのだろう。


 母さんが急にパートで働きはじめたのはいったいなんの為なんだろう。


 ぼくに探偵のゲームを薦めてきた理由。それも自分のスマホじゃなくて、父ちゃんのスマホで遊ばせた理由。


 決まっている。依頼者だったからだ。


 ぼくらの家族は家族という皮を被った、探偵気取りと、容疑者と、依頼者だった。それぞれがべつの方向ばかりを気にして、おたがいの姿を全く見ていやしなかった。無人の時間ばかりが増えたぼくらの家で、姿を見るもへったくれもないものだ。


 空っぽの家は、家族の姿そのものだ。


 そんな歪な形をしていたぼくら家族の本当の姿が、あの日。探偵の手によって白日の下に晒されてしまうことになった。


 きっとその時だろう。


 ぼくはなにかに憧れることが怖くなり、だれかを信じることにほとほと疲れ果ててしまったんだ。そっと瞳を閉ざしてからというもの、ずっとそのままにしてきた。


 だと言うのに。


 いまもまた探偵の手によって、これまで必死に目を逸らしつづけてきた家族の真実が白日の下に晒されようとしている。今度はぼくも目を逸らせないやもしれない。


 ただ、今度の探偵は違った。


 どうやら優しいみたいだった。それはぼくがかつて憧れていた、あの平和な世界にいるアニメの探偵たちのように。まるで彼らのように柔らげな表情で探偵は言う。


「お父さん。ううん、『お父ちゃん』ね。きっと、何時かわかってくれると思うの。守屋くんに悪気はなかったんだって」


 ちいさな探偵のかけてくれるその言葉はなによりも大きな物に感じた。それはぼくがだれかに言って欲しいと、ずっと願っていた言葉にちがいなかった。


「……だと、いいな」


「うん、大丈夫よ」


 にこりとほほ笑む鬼柳ちゃんの笑顔で、朝に届いていたラインの事を思い出した。ポケットからスマホを取り出し指差す。


「これはどういう意味だったんだい?」


「守屋くん、どうせ謎を見つけたらわたしの所に持ってくるじゃない」


 くいっと顎を持ち上げ、腰に手を当てて息をつく。ぼくはもう一度、文面をじっくりと読み返してみることにした。


『守屋くん、つらかったね。すこし休んでてもいいよ。また探偵に憧れるようになるその日まで。推理したくなるその日まで。──わたしが代わりに探偵をしてあげる』


 優しいんだな、と肩の力が抜けた。


 ぼくが再び探偵に憧れることはもうないのかもしれない。だけど、この小さな探偵の行く末をもう少し見てみようかなと。もう一度信じてみようかなと、そう思った。


 素直にお礼を言うのはなんだか気が引ける。ぼくはせいぜい粋がって、おどけた。


「あれ、鬼柳ちゃんも探偵と呼ばれるのは嫌なんじゃなかったっけ?」


 ちらと見てその細い腕をしっかりと組み直し、わざとらしく困ったような顔を作りながらに鬼柳ちゃんは言った。


「そうなの、困るわ。でもね、守屋くんが探偵を嫌いになったら悲しいじゃないの」


 ん、どうにも腑に落ちない。


「どうして?」


「だって、なんでしょ」


 言われてハッとした。


 言葉にされるまでは分からなかった。なんだそんなことだったのか。探偵をずっとくだらないと言いながらも。思い続けていながらも。それでも離れなかった理由は。


 そんな簡単なことだったのか。


 クツクツと湧き上がる笑いは、とても堪えることが出来そうになかった。笑った。ぼくは声を出して笑った。

 

「ハーハッハッハ」

 とそれはそれは高らかに笑った。


 晴れやかだった。とても心が軽かった。こんなにも心から笑ったのは、いったいいつ振りなんだろう。


「何、何? どうして笑ってるの?」


 空を見上げて笑いだしたぼくを、鬼柳ちゃんは不思議そうな顔で見ている。ぼくはただただ、笑うしかなかった。


 だって仕方がないじゃないか、名探偵。こうでもしなきゃ泣いちゃいそうなんだからさ。

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