黒幕のすゝめ
第172話 レジスタンス
ぼくは激怒していた。
学校教育の横暴さに、先達の功績をないがしろにするかの如く非道な行いにだ。傍若無人なふるまいをするあの校長を、必ず引きずりおろさねばならぬと憤っていた。
いつもの放課後、いつものがらんとした教室の片隅で。いつもは内に秘めたる憤怒の面持ちを顕にし、ぼくこと、
空は清々しくスカッと高く、青々しい秋空をみせているそんな日のことである。
ぼくの身体はあまりの怒りに熱をも帯びて、カッカッと身体が火照ってきているのではないかと見紛うばかりだったと思う。ぶるりと身を震わせると、頭の中をよぎるのはあの言葉を置いて他にはなかった。
どうした怖いのか、肩が震えておるぞ。なにを言うか笑わしおる。ただの武者震いにすぎぬわ。逸る怒りを抑えきれぬのよ。
おお、一度は口にしてみたいあの有名なやり取りをするチャンスが、ぼくの人生において巡ってくるとは思いもしなかった。
このチャンスを見逃す手はないだろう。
あとは隣の席に座る小柄な女の子、鬼柳美保が。神妙な面持ちで、ただ武士のように問いかけてくれるだけでいいのだ。たったそれだけのことでぼくの夢が叶う。
ちらちらと視線を送ってそわそわと言葉を待つ。ほら、鬼柳ちゃん。もののふの心を思いだしてごらんよ。と待ち呆けていると、さっきよりもぶるぶると肩が震えた。
──いや、ちょっぴりと肌寒いかな。
よく見てみると窓がすこし開いている。そこから冷たい風が吹き込んでいたのだ。どうりで肩が震えるわけだ。
ひとり納得してから視線を戻すと、
「言うほど怒ってないでしょ、守屋くん」
片目を瞑り、あきれた風に言われる。
ざんねん、望んだ言葉じゃなかった。
とまあ、鬼柳ちゃんの言う通りだった。ぼくもさほど怒っているわけではないのだけれど。それでも愚痴のひとつくらいはこぼしたくもなるというものだった。
肌寒い風が容赦なく吹き込んでくるものだから窓を閉めようかと身体を起こしかけた所で、ぼくの身体を電流が走り抜ける。窓を閉めることは早々にあきらめて、不平不満を口にする。
「天は人の上に人を造らず。人の下に人を造らずというじゃないか。かの有名な福沢諭吉先生の著書、『学問のすゝめ』にあるありがたい一節だよ」
「ん?」
鬼柳ちゃんはキョトンとし、まあるくなった大きな瞳でぼくを見てくる。
「学校教育者ならね、学問を広めるために邁進した大先生の気持ちを汲んでしかるべきだと思うんだよ。教育者たれ、ってさ」
「それは。そうなんだけどね」
電流が走るので首はふれない。視線を左右にふることで反意を示す代わりとする。
「それなのにだよ。先生たちも、校長だってそうさ。やれ序列だ。やれ順番だのと。ぼくはとうてい納得できやしないね」
「守屋くんの気持ちはわかるんだけどね」
と、困り顔。
ああ、何てことだと嘆く。もしや既に、鬼柳ちゃんも奴らの魔の手に染まってしまったとでもいうのだろうか。いけないよ、選民思想は身を滅ぼす危険すらあるんだ。
「あのね……」
それだけには飽き足らず、ぼくをすらその毒牙にかけようというのか。そうはいかない。ぼくは最後のひとりになってでも、プロパガンダに屈したりなんてしない。
「いや、そうじゃないんだ、鬼柳ちゃん。ひとはみな平等であるべきだよ、上も下もないのだから。手は横にのばすべきさ。手と手を取り合って協力しあうものだよ」
「……言ってることは立派なんだけどね」
じっとりした半眼の面持ちでやや見上げながら、薄っすらとした笑顔で言われる。
「でもね、守屋くん。福沢諭吉さんはね。なにも組体操のことを言ってるわけじゃなかったと思うの」
「おや、そうなのかい」
なんとぼくは、体育祭で人間ピラミッドの土台に選ばれてしまっていたのだ。ぼくに土台になれと言うだなんて、そんなの。
どだい、無理な話である。
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