第34話 与えるもの

 しゃがんで汚したのだろうか。鬼柳ちゃんはスカートの裾をパンパンと払っている。


「わたし、解決したって伝えてくるね」

 

 はて、いったい誰にだいと頭を悩まし。ああ、あのホラーもびっくり、叫んで逃亡していったあの子だと思い当たる。


 元気にしているだろうか。


 ホラー映画で真っ先に逃げる子は酷い目に遭うのが相場と言う。無事だといいな。もっとも、もう酷い目にあった後なのかも知れないけれどと思いを馳せる。


 ぼくの謎はすっかりと解かれてしまったけれど、楽しかったから良しとしておこう。謎なんてものは、解かれてこそが華だろう。探偵役が去る前にと思い、最大級の賛辞を贈ることにした。


「名推理だったじゃないか、鬼柳ちゃん。よっ、この名探偵。いよっ、いよっ」


 誉めちぎったつもりなのに、どうしてかキッと睨んでくる。腰に手をあて、文句まで言ってくる始末だ。


「やめて、探偵って言わないで」


 それはそれは、嫌そうな顔。


「なんでさ」


「だって、おじさんっぽいじゃないの」


 目が点になってしまう。


「何を言う。だから渋くていいんだよ」


 ダメだね、全然わかっちゃいなかった。ひょっとして推理に乗り気じゃないのは、それが理由なんじゃないかと訝しむ。


 納得は得られず、探偵なんてくだらないと彼女も思っているのかもしれない。


 でもまあ、いいさ。収穫はあったから。探偵をやりたがらない理由が何処にあるかは置いておくとして。


 舞台に上げてしまえば、彼女はきちんと真相を暴いてくれるとわかった。探偵役をやりきってくれる性格らしいや。むふふと、ほくそ笑んで記憶に刻んでおく。


 さて、探偵に出来るのはここまでだ。


 残念ながら。いや、残念でもないのか。ぼくはあいにくと探偵じゃないのだから。不敵な笑みを浮かべ、残された中原先輩へと近付く。


 ベートーベンは少女に月の光を与えた。何故そうしたのかを考えた。ベートーベンはその少女を羨やんだんじゃないかなと、ぼくは思う。


 音楽が音を楽しむ事だとするなら、その少女より楽しめる人なんているわけない。盲目の少女にとって音は、世界の全てなのだから。


 少女の姿にただ憧れたんじゃないかな。だからこそ少女に月の光を与えた。尊敬と憧れと、ほんの少しの嫉妬と共に。


 ぼくもそうかもしれない。凛とした先輩の佇まいに憧れている。周りの噂に流される事なく、毅然とした態度を、羨みさえ。


 ぼくにも与えられる物があるだろうか。あるとするなら、それこそ謎くらいな物。


「先輩。次の音楽の授業はいつですか? 明日の三時間目。そうですか、それじゃあ──」


 次の日、音楽の授業中の事。シンと皆が静まる頃合いを見計らうかのようにして、どこからともなく旋律が流れだした。


 にわかに教室はざわめき始める。それもそのはずだった。呪いのピアノ演奏の噂は学校中に広まっているのだから。


「なにか聞こえない?」


「これって、例のあれじゃね」


「月光? 嘘。でもどこから?」


 音楽室入り口のすぐ外。ぼくはこっそり授業を抜け出し、中からは見えないようにしゃがみ込んで月光を流していた。


 そう、これは最初に音楽室を訪れた時に聞かせてもらった演奏を録音したものだ。中原先輩が弾いていたのはもちろんあの曲を除いて、他にあるべくもない。


 『月光ソナタ』だ。


 しばらくざわつき、やがて音楽室のドアが勢いよく開いた。


 げっ、鈴木先生だ。


「こらっ、何やっとる。何組の生徒だ!」


 あわてて逃げ出したぼくを、教室にいた皆は笑いながら見ていた。ちらりと見えた先輩を除いては。


 先輩にはあらかじめ伝えておいた、

「みんなの表情をよく見ていて下さいね。最初に笑った奴が犯人です」

 と。

 

 電話が鳴っているだけだと知る犯人は、可笑しくてたまらなかった事だろう。


 誰が犯人なんだろうな。音楽の関係か。案外、振られたと噂のあったイケメン先輩だったりして。いったい彼は誰に振られていたのやら。まあ、誰でもいいやね。


 四回目の演奏を聞くと死ぬという噂も、五回目となればどうなるのかは未知数だ。ぼくが蒔いた謎の種は立派に育つのかな。魅力的に育ったら、またお邪魔しようか。


 ああ、しまった。もう息があがってきた。ぼくは走るのが苦手だったんだ。

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