第24話 こんな噂

 先輩はわずかに口を開けたけれど声にはならず。すぐに閉じ、ブンブン頭を振った。


「何、大したことではない。今日は演奏が録画できそうにないのでね」


「それはまた、どうして」


 頬に手を添え、はたと考える素振りをみせる。憂うその姿すら絵になっているのは流石としか言い様がない。


「紛失──、いや。やはり家に忘れてきたのだと思う。君もせっかく演奏を聞きに来てくれたのだろうに、すまないな」


 いえいえと首をふり、ふぅむと頷く。


 これまで一人で練習してきた弊害だろう。録画機器の有無が練習の要と化していた、それを忘れたなら練習になりそうもない。ぼくに音楽の心得でもあれば話は別だろうけれど、望むべくもなかった。


「守屋君。私はもう、今日は家に帰ろうと思うのだが。君はどうする」


 はて、それは何を意味するのか。もしやこれは、一緒に帰ろうと誘われている? ぼくが有頂天になるのを見計らったように先輩は言う。


「君はまだ遊んでいくのか?」


 その手にはプラプラと揺れる、音楽室のカギがさげられていた。


 ああ、なんだ。ドキドキして損をした。戸締まりを気にしただけか、と肩を落とす。ちょっぴり悩んで、もう少し遊んでいきますと返事をした。


 あきれる先輩から、

「戸締まりは頼んだよ」

 とカギを預かった。


 去って行く先輩を笑顔で見送ってから、はて、なんだろうねと首を傾げる。


 さっきの先輩の話は嘘が混じっていた。ぼくの鍵盤遊びが聞こえたから寄った、と言っていたけれど。


 どうしてそんな嘘を付いたのか。


 それじゃあ先輩はなぜ、音楽室前にいたのかという話になる。教室からはそこそこの距離があるはずだった。練習せずに帰宅するのなら、こちらの棟に寄る必要は最初からなくなるのだから。


 そして極めつけはこれだとカギを揺らす。


 音楽室のドアはなぜ開いていたのかだ。授業でも音楽室を使うから、先輩がカギを返さなかったのではない。音楽室を最後に出るのは先生だ。閉め忘れでもないだろう。


 なのにカギは開いていた。


 だから先輩は、一度この音楽室を訪れているのだ。カギを開けて中に入り、練習をしようとして録画機器がない事に気付く。教室に忘れたと思い、探しに行ったんじゃないのかな。


 先輩はそれを、持ってきたと思っていた。そのつもりで来ているのだ、間違いない。それは本当に家に忘れてきただけなのか。


 あるいは──。


 ピアノを弾きもせずに鍵盤の前に座る。あごに手をやって、少し考えてみる。


 音楽室の怪談の噂。激励会からずっと感じている違和感。中原先輩から聞いた話。ベートーベンのエピソードの既視感。先輩の滲ませた嘘。練習が出来なかった理由。


 ふむふむ。うんうん。なるほどね。と、こねくり回し。そういう事だろうと至る。いまここでなにがどうなっているのかが、ようやく見えてきた。


 確認のために電話を一本かけてみよう。あらかじめ調べておいたのだ。小林くんには感謝しかない。どうやって調べたかは、聞かないほうがよさそうだったけど。


 プルルと電話をかけて確信した。そしてこれは何たる好都合だとほほ笑む。運よく偶然も重なってぼくの味方をした。おかげ様で手間が省けるというものだった。


 よし、これで謎は完成だ。


 お待たせたしちゃったかな、鬼柳みゆ。さあ、ぼくと遊ぶとしよう。まずは手始めに、噂を広げる所からするとしようか。


 うん、そうだった。始めるのならきっとこの言葉しかない。それは様式美に則って美しくいこうじゃあないか。ほら、何度も目にしてきたであろう、あの言葉だよ。


「こんな噂を知ってるかい?」

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