第23話 少女の光
月光ソナタ。
どんな曲か調べてみたら、ベートーベンがこの曲を作った時のエピソードがすぐに出てきた。
ある夜。ベートーベンが出歩いているとどこからともなくピアノの音が聞こえてきたそうだ。音に導かれるまま行くと闇夜の中には盲目の少女がひとり、ピアノを演奏している場面に出くわしたらしい。
月明かりに照らされ、幻想的に、少女はただ楽しそうにピアノを弾いていた。その姿を目にしたベートーベンは心を打たれ、深く感銘を受けた。
光を見ることの適わなかった少女にも、月の光を感じてもらおうと作ったとされるのがこの曲、月光ソナタ。という事になっているそうだ。なるほど、美談だ。
とても素敵だけど、これは作り話だったと後に判明してしまったらしい。ぼくはこのお話嫌いじゃないけれど。
でも、気になる箇所がひとつ。
作中のベートーベンは、少女に月の光を与えようと作曲した。なぜ彼はそうしようと思ったのだろう。感銘を受け作曲した、で終わってもおかしくないお話だ。
そして、どうしてだろう。
盲目の少女の姿が、ぼくには中原先輩の姿と被って見えている。何かぼくにも、先輩に与えられるものはないのか。
いやいや、何を考えているんだか。
ぼくはベートーベンじゃなかったやと、そんな事はわかっているのに考えてしまう。なんだかずっと妙な感じだった。先輩が気になって仕方ないと言うつもりか?
激励会で先輩を見かけたあの瞬間から、おかしくなっていた。何かが引っかかっている気がしてならなかった。
もやもやする。
だから音楽室に足繁く通うのは避けられない話で、それは翌日すぐのことだった。
放課後、音楽室に向かって廊下を行く。またおいで、と言ってもらえたので足取りは昨日よりも軽やかだった。また廊下まで美しい調べが流れているかと思ったけれど、今日は静まり返っていた。
おや、と思いながら音楽室のドアに手をかけたらなんの抵抗もなしにスッと開く。中を覗いてみたけれど、先輩の姿はどこにも見当たらなかった。なんだ、毎日練習しているわけでもなかったのか。
ざんねん、無駄足だった。
そこそこ長い距離を歩いてきたのになと思い、せっかくだからと中へ入っていく。誰もいない音楽室は寒々しく、肖像画だけがこちらを見ている空間はどこか異質。
怪談めく為の場所だった。
何となしにピアノの前に立ち、鍵盤の蓋を開けてみる。白と黒の鍵盤がずらり並ぶ。思ったより数が多く、ドがどれかもぼくには分からない。目に付いた鍵盤を軽く叩いてみる。
ポーン。
今どの音が鳴ったか分からないけれど、なんだか楽しい。考えてみれば鍵盤に触るのは小学生のピアニカ以来なかった事だ。
ポーン、ポーン、ポーン。
続けざまに鍵盤を叩く。もちろん、先輩の様に音楽にはなってないけれど、音を楽しむのが本来の音楽だったはずだ。だったらこれも十分に音楽をしていた。
と、自分を慰めると、
「随分と稚拙な怪談のようだな」
突然に声がした。
声のもとを辿ると、いつの間にか先輩がひょっこりとドアから顔を覗かせている。恥ずかしい所を見られていたらしい。
そそくさと照れ混じりに手を離して隠す。まるで何事もなかったように話しかける。先輩も深くは追求してこなかった。目元は少し笑っていたけれど。
「いまから練習ですか?」
「そのつもりでいたのだが」
眉根を下げる。
「いや、今日はやめておこうと思ってね。鍵盤遊びをする音が聞こえてきたからな。少し覗いてみただけよ」
追求はしなくともイジリはするようだ。今度は目だけじゃなく口元も笑っている。ならば、と素知らぬ顔で応じた。
「何かあったんですか?」
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