第22話 謎の香り

 どうせ訊くのなら、もっと別の事をだ。


「先輩は、いつも音楽室で練習を?」


「そうだ。もうコンクールまで、幾ばくも日がなくてね。学校に無理を言ってここを使わせてもらっている」


 先生も公認なんだなと得心する。


 まあ、そりゃそうだ。教室の鍵を借りないといけないのだから。とすると、先生が一緒だったりもするのだろうか。今は席を外しているだけか、戻ったあとなのか。


「先生とふたりで練習、ですか?」


 ぼくなら息が詰まる。


「いや、私も無理を言った身だ。そこまではさすがに頼めない。練習はいつもひとりでやっているよ。録画をして聞き直したり、動きの確認をしたりと。いろいろよ」


 ピアノは上手く弾けるだけではどうやらダメらしい。所作と言うか、そういう物が欠かせないのだろう。演奏する先輩の姿は、良し悪しのわからないぼくでさえ美しいと感じた。


 あれはひとりで磨きあげた練習の成果。そしてなるほど、納得だ。録画して見直すのならひとりでも練習は可能だ。


「もっとも、今日は珍しいお客さんが覗きに来たけどな」


 そう言うと先輩は悪戯な笑みを浮かべ、ちらりと見上げてくる。実際ただの闖入者であるぼくとしては、お客さんと呼ばれただけマシだったのかもしれない。


 ついこの間、変質者だと疑われたばかりなのに、気付けば今度は闖入者だというのだから。引く手数多というのも全く困った物だよ。我ながら節操のない物だった。


 さて、お次は何になってしまうのやら。次こそは黒幕でありますようにと願うと、先輩はぼくの目を覗き込んでくる。


 ただじっと目を逸らさないままにいた。ぼくはその瞳にすっかりと魅入られ、妙にドギマギとしてしまう。何か声をかけねばと気ばかりが急く。


 口を開きかけると、視線は外された。


 先輩は壁の時計に目をやって小さく息をつき、やおらにすっきりと立ち上がった。


「時間だ、どうやらここまでのようだな。もう直に午後の授業がはじまる。君も早く教室に戻るといい」


 鍵盤のフタをバタンと閉じて、さっさと帰り支度を始めてしまった。それに倣ってほくも、開きかけの口をパクンと閉じる。そして横に引き結んだ。


 その様子をみて先輩は、

「怪談がみたくなったら、またおいで」

 にやりと不敵に笑う。


 結構、根に持つタイプらしい。これからは気を付けるとしよう。


 先輩とはこの場で別れ、姿がみえなくなる所まで行ってからパチンとほほを叩く。何だかフワフワした気持ちになっていた。夢見心地でいる。ダメだね。調子が狂う。


 でも色々とわかった。この怪談話の噂、どうやらお化けは出てこないと見た。


 なんてね、と肩で笑う。


 それはあたり前で問題はそこじゃない。問題なのはお化けが出ないにも関わらず、そんな噂が流れていることの方にあった。


 いったいだれが、なんの目的で?

 

 フワフワとしている場合じゃなかった。もっと集中しないと。教室の戻り道すがら考えを巡らせる。この怪談話の出どころは思ったよりも近くにありそうだぞ、と。


 しかもそれは、先輩の近くにいるひとに関係がある。なぜなら聞いた噂話よりも、先輩の知る方が細部に明るかったからだ。


 ほんのりと魅惑的な、謎の香りが漂ってきたような気がする。


 もう少しだ。あと少し待つがいい、鬼柳みゆ。教室の帰り道、廊下の窓から小さな彼女の姿が見えた。なにも知らずに呑気に授業を受けている。


 ん、授業を、受けて?


 こりゃまずい、もう授業が始まっていた。遅刻じゃないか、早く戻らないと──。

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