第21話 怪談の側
「と、言うと?」
捻った頭は先輩をふり返らすことくらいはできたようだ。まあ、ちょいと捻くれた考え方だったかも知れないけれど。
「だって誰もいない部屋なんてないじゃないですか。その曲を耳にした人がそこにいるんですから」
「なんだそれは」
珍妙な顔をされる。
先輩はくいっと小首を傾げ、口元に薄い笑みを含んで見上げてきた。さらりと肩に乗る髪、ぱっちりとしたその視線に、思わず吸い込まれそうになる。
「つまりはですね。その部屋には訪問者がいただろうということです」
「それは、そうだろう。そうでないと怪談話は幕を開けない」
何を言っているんだと。困った奴だと、眉をしかめられる。
ぼくはといえば、ある猫に想いを馳せていた。猫の名は、シュレディンガーの猫。思考実験に登場する、世界一有名な猫だ。実験はこう締めくくられている。
箱の中身は開けてみるまでどの状態でもありえる。誰にもわからないのだ、と。
「解釈の違いなんですよ。その部屋はずっと毎日、訪問者が来ようが来まいがお構いなしに、曲が流れていたかもしれないじゃないですか」
「だとしたら?」
「怪談側になってみて下さいよ。その部屋は音楽が流れているのが当たり前だった。なのに突然やってきた訪問者が不気味だ、怪談だと騒ぎ立てる。迷惑、極まりない」
ふう、と息をつき首をふる。
それから傾げる。おや? ぼくはいつの間にか、怪談側として語っているような気が。仕掛ける側、黒幕として。なにか相通じるものでもあったのかな。
先輩はなぜか怪談の味方をする後輩を、不思議そうに、あきれて見つめてくる。
そしてクスクスと笑いだした。
「変わったやつだな、君は」
愉快そうに笑う先輩からはすっかり険がとれていた。そうやって笑えばどれほどの人が救われのかと思うほどの良い笑顔で。近寄りがたさは、もう感じ得なかった。
「君は、名はなんと言うんだ」
「ニ年の守屋です」
「そうか、守屋君。私はもう少し練習をしていくとしよう。良かったら君も聞いていくと良い」
ピアノの演奏が始まる。こうして誰もいなくはなくなった音楽室から旋律が流れる。曲の名は月光。今度は少し、淋しげではなかったかもしれない。
響きわたる、月光。
なめらかに動く白くて長い指。弱々しいようでいて、所々に力強く。不思議な音色をしていた。これは確かに、夜に聞こえたら怖いものがあるかもしれない。
しかしよくもまあ、あんなにすばやく、左右別の動きができるなと感心する。ぼくは動きを目で追うことすらままならないというのに。
どう逆立ちしようが到底無理な芸当だ。なにせ逆立ちもできないから、どうしようもない。
先輩の演奏はきっと上級者のそれだろう。全国に勝ち上がる腕だ、大したもののはず。相当な練習を積んできたのだと思う。
ピアノと向きあう真剣な横顔を眺める内に演奏は終わった。最後の音色が心地よく消えていき、ゆっくりと手が引かれていく。顔を持ちあげ、瞳がこちらを向いた。
なにか言った方がいいかと頭を悩まし。
出てきた言葉は、
「あの……。格好よかったです」
パチパチと拍手を贈った。
もっと気の利いたコメントを返したい所だけど、どうにもまぬけな感想になった。しかたない、音楽はぼくの手に余るのだ。
先輩はふふっと、小さく微笑する。
多分、ぼくの感想が嬉しかったわけじゃないだろうから、何を笑ったかは訊かない方が身のためだった。
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