第20話 月光
音楽が好きか、どうか。
これは中々に難問だ。好きだと嘘をつくのは簡単だけど、それを好む人の前でつく嘘はすぐにばれる。好きな曲はと聞かれただけで、言葉に詰まる姿が目に浮かぶ。
そして、好きじゃないとも言いにくい。それなりの嘘を用意しても、その場合は音楽室にきた別の理由が必要になってくる。しかもその理由が、またもや嘘になってしまうにちがいない。
嘘を嘘でぬり固める嘘つきのジレンマ。八方塞がりになること請け合いだった。
言い淀むぼくを目に、中原紗奈はにやりと意地の悪そうな顔で笑う。そんな笑顔にも関わらず、魅力的に映るっていうのだから不思議なものだ。
「大方、君も怪談話を聞いてきたのだな」
図星。言葉もない。
彼女はそうかと言い残し、返事も待たずにさっさと音楽室へ戻っていく。そこにはさっきまでの表情は見当たらず、スンッとした顔が冷たく映った。
もう用はない、と言われたに等しい。
しかしながらドアは開け放たれたまま。これはぼくが中に入ると思ったから閉めていないのか。まだ心のドアを閉めきられたわけではない、と考えてもいいものか。
──歓迎されている?
恐る恐るといった様子で歩みをすすめ、ひょっこりと顔を出して中を覗いてみる。ガランとした音楽室、夜中にきょろきょろと目玉を動かすであろう歴代の音楽家達のほかには、中原紗奈の姿しかみえない。
意を決し、彼女に続いて音楽室へ入る。ちらりと視線を寄越しはしたけれど、特に拒絶されるわけではなかったので、ピアノの前に座る彼女の元へ近付いていった。
譜面台には楽譜が置かれていた。素早く目を走らせるけど、オタマジャクシが悠々と泳いでいるばかりでぼくにとっては暗号でしかない。
音楽はどうにも不得手だ。
タイトルだけはかろうじて理解できる。『月光』というらしい。さっき弾いていた曲かな。どうもクラシックは全部おなじに聞こえていけないや。
中原紗奈は表情を失くしたままだけど、瞳はきょろり、珍しそうにこちらを見つめていた。なので訊いてみる。
「先輩も、怪談話を知っていたんですね」
「だれもいない部屋から、月光が聞こえてくるというやつかな」
聞こえてくると噂される曲は月光だったのか。ぼくの知らない情報だった。そして先輩は、どうやらその噂を信じていない。
そうでなきゃ、呑気にピアノを弾いちゃいない。すると残念な事に、それは怪談が存在しない証明となるわけだ。
ああ、無念だ、おばけは出なかったか。まあ、最初からわかっていたことだった。噂はやっぱり、噂止まりなのか。
ガクリと首を垂れる。
「だれもいない音楽室、──ね」
独りごちる先輩は、感情を感じさせない面持ちで、ポロロンとなにかの拍子を弾き始めた。
そして、バンと鍵盤を叩きつけ、
「私はここに居るじゃないか」
とつぶやく。
大きな音にちょっと驚いた。
さらりと長い黒髪が先輩の横顔を覆い、どんな表情をしているかは伺いしれない。意外にも激情家だったりするのだろうか。
ちょっぴり怖い。
何だか近寄り難く感じるのは、ただ美人なばかりではないのかも知れなかった。
無言のままじゃ、ちと気まずい。はて、なんと声をかけたものかと、ない頭を少しばかり捻り。
「あのお、ぼくも居ますけど」
「言葉の綾だ」
あきれた声が返ってくる。
そう言って儚げに薄く笑む先輩の姿が、どこか淋しそうにみえてしまった。それならばと、もうひと捻りしてみる。
「言葉の綾というなら。その手の怪談話はまったくの不出来じゃないかなと、ぼくは思いますけどね」
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