第19話 音楽好き

 ──はて、気のせい、か。


 何か聞こえたような。歩くのをピタリとやめ、目を閉じて音に集中する。耳をよく澄ませてみると。


 うん、やっぱり音がする。わずかに何かが鳴っていた。でもこれはなんの音だ。


 ここ特別教室の集まる別棟は、教室から遠くて生徒が寄りつく様な所じゃあない。運動場ならばいざ知らず、お化けが出るとまで噂される別棟に誰がいるというのか。


 特に音楽室は防音上の理由からなのか、三階の隅っこにあった。端も端のへき地と呼ぶ様な場所だ。それに何より、使う予定のない教室にはカギが掛かっていたはず。


 そんな場所からどうして音がするのか。例の古典的な怪談話を思い出し、まさかと笑いつつも、差しだす足は自然にそろりと忍び始める。


 音楽室へ近付き、音の正体が判明した。やっぱり聞こえていたのはピアノを弾く音。閉め切ったドアから音がもれ出していた。ドア越しだからか、鈍い音が耳へと届く。


 近寄り、耳をそばだてる。


 音楽に疎いぼくにはこの旋律が何という曲なのかはわからない。とめどなく流れるメロディーは静かな様で、どこか不気味さを感じさせる、物悲しい曲だった。


 なんの曲だろう。


 ごそごそとスマホを取り出す。ただいま時刻は、十二時三十分。幽霊がでるにはまだ日が高く、外は明るく思えるけど。


 とあるアプリを起動する。


 例え鼻歌からでも楽曲を検索してくれるという、それはそれは便利なシロモノだ。この怪しく流れる旋律を分析してみよう。


 ふふん。科学武装とはこういう事をいうのだよ、怪談くん。どうだ科学の力は凄いものだろう。怪談相手に、ひとのふんどしで得意がってみる。


 よく洗ってから返すことにしよう。


 さて、それじゃあ早速。音を取り込もうじゃないかとタップすると、

「ポポン」

 とアプリの起動音がした。


 旋律がスッと影をひそめる。


「──誰かそこにいるのか」


 おや?


 中から聞こえた声と共に、ピアノの音色は消え去っていく。これには驚いた。まさかぼくも、怪談の方から声をかけてくるとは思ってもないことだった。


 足音がし、ゆっくりドアは開けられる。ドアの前に屈んでいたぼくが見上げると、すき間から顔を覗かせたのは、中原紗奈、そのひとだった。


 胸元まで伸ばしている、ツヤツヤとした美しい黒髪。ぷっくりとして色艶の良い、整った唇。パッチリとした瞳は涼しげに、真っ直ぐぼくを見つめていた。


 なるほどね。


 遠目でみた時から思ったけれど、近くでみると尚のこと美人じゃないか。あの時、朝礼で熱視線を送った男子生徒の気持ちもわかろうかというものだった。 


 中原紗奈はとくに驚いた様子もみせず、無言のままマジマジと眺める。ドアの前に潜んでいたぼくは、彼女にどうみえているのだろう。


「ああ、いや、邪魔しちゃいましたかね。ピアノの音色が聞こえたもので、ついつい」


 ハハハと、努めて明るい声を出そうとするけれど、出てくるのはあいにく苦い笑いばかりだった。その言葉を信じたのか、信じてないのか。


 中原紗奈は、

「ふぅん」

 と悩ましげな表情をみせた。


 すこしだけ、音楽室のドアが開かれる。ちょっと前のめりになった彼女が訊いた。


「まあいい、見かけない顔だな。君は音楽が好きなのか?」


 まいった、ぼくにそれを聞くか。音楽には疎いんだ。さて、どう答えたものか。


「とくに」

 とはさすがに答えにくい。


 ましてや正直に、

「怪談見たさで、冷やかしに来ました」

 とは口が裂けても言えないし。


 さあ、どうしよう。

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