第11話 小さな背中

 ナンパ男と一括りにされちゃかなわない。


 ちっぽけではあるけれど、ぼくは己の名誉を守らなければならなかった。あわててスマホを取り出し、落としそうになりながらもとある画像を開く。


 そして彼女に向かって、さながら黄門様の印籠のようにして見せつける。ええい、控えおろう。この写真が目に入らぬか。控えい。とは、心の中で思うだけにしておく。


「さっきの男の写真だよ。必要ないかな?」


 その写真は、ぼくが不審者になりながら、こっそり街路樹から隠し撮りをしたもの。


 下着どろぼうの常習犯らしきあの男は、警察に記録があるだろう。被害者である彼女が写真を持って警察にかけ込めば、御用だ、御用だ、となるんじゃないかと思う。


 揺すりのネタにでも出来ないかな、と考えて撮ったのはナイショだけども。


 彼女は大きな瞳をまるっとさせ、写真をまじまじと見つめる。

「あ、そういうこと」

 優しげな目つきになった。


 ハハー、とひれ伏さないのがテレビとはちがう所だけど、どうやら誤解は解けたらしい。名誉は無事守ることができた。


「じゃあ、──パンツ隠してたことは、これで許してあげる」

 いたずらに笑った。


 うっ……。


 ベランダから飛び降りてきた時だな。ポケットに隠した所をちゃっかりと見られていたか。それとも、男の逃げた方を指した時、指す手を変えたのを見逃さなかったか。


 なかなかに目ざとい。


 ひれ伏すべきは、ぼくの方だった。御用だ、御用だ、と。名誉は本当に危うかったらしい。


 なにはともあれ、彼女のスマホに画像を送った。はて、このアドレスはどうしたものか。削除するかどうかを悩み、まあ、一応残しておくことにする。


 そういえば名前をまだ知らなかった。


「なんて名前だい。 いやなら訊かないけども」


 その場合、ぼくの中のきみは、『パンツの君』になってしまうけれど、それも致し方ない。


 手を組んで、もじもじとしながら、

「みゆ」

 とつぶやいた。


 待てども、つづきはなかった。


「あの、名字は?」


「……あんまり好きじゃないの」


 ふぅん、そっかそっかと頷く。


『あんまり好きじゃないのみゆ』さんという名前だったか。あら、まあ、変わった名字もあったものだ。


 さて、帰ろうかなと思ったら、

「訊かないの?」

 と訊いて欲しそうにしてきた。


 くすりとする。


「良かったら、名字も教えてもらえるかな」


「きりゅう……。鬼に柳」


 鬼、か。


 あの男を追うときの、鬼気迫る表情の彼女を思い出した。うん、ピッタリだ。なにも名に恥じることはない。


「なによ」

 と、睨まれる。


 にやりと緩んだ口もとを見られたか。鬼が漏れ出し、彼女は語気をすこし強めた。


「ううん、なんでも。鬼柳さん、ね」


「だから、名字は嫌いなんだってば」


「そうは言われても」


 初対面の女子を名前呼びする気はなかった。なんだかすこし気恥ずかしいじゃないか。


「じゃあ。鬼柳ちゃん、ね」


 変わらず不服そうだけれど、ぼくも簡単に主義を曲げる気はない。落とし所としては、妥当な所じゃないだろうか。しばらく睨み合うと、はあ、と彼女から折れてくれた。


 こちらも名乗るのがフェアかと思ったら、

「強情なんだね、守屋くんは」

 ため息まじりに名を呼ばれる。


 おや、どこかで名乗ったっけ。


「なんで名前を知ってるの?」


「え、だって」


 訊いてみると、同級生だとわかる。なんと、同い年なのか。彼女、鬼柳ちゃんは、全クラス、生徒の名前を覚えていると言う。実際、たいした記憶力だった。


 彼女に、探偵の素質を感じる。


 もう用が済んだのか。鬼柳ちゃんはくるりと方向転換して歩きはじめる。


「お姉ちゃんの下着だからね」

 と、言い残して。


「それってちいさなリボンの付いてる、可愛らしい、水色パンツのことかい」


 首を傾げて、背に声を投げたら、声が届いたのだろうか。わざわざ引き返してきて、

「このっ」

 ぼくの足をコツンと蹴飛ばしていく。


 あっ、いたっ。野蛮だなあ。お姉ちゃんの物だったら、そこまで怒らなくてもいいだろうに。


「でも、ありがとうね」


 不意に無邪気な笑顔が向き、ちょっとドキリとしてしまった。なんだい、ちゃんと可愛いらしい所もあるじゃないか。


 去り行くちいさな背に、期待を重ねて眺めた。あの時、あの一瞬で確かに推理していた。彼女ならば、つまらない探偵役をこなしてくれるだろうか。


 待ちつづけるのは、もう飽きた。


 謎なき探偵に、意味などなし。


 いいよ、謎なら。ぼくが用意するから。この守屋すすむがね。どうか、頼むから、お願いだから、ぼくを失望させないでおくれよ。解けるものなら、解いてみろ。


 探偵なんてくだらない。

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