第10話 人畜無害な黒幕

 やっぱり、彼女はすばしっこい。


 ほんのちょっと目を離しただけなのに、彼女はもうとっくに脇にある茂みの前にたどり着いていた。ちょびっと逡巡し、茂みに手を入れてごそごそと探し始めた。


 ぼくの視線に勘づいたのか、男も後ろをふり向いた。


 茂みを探る彼女に気付き、

「やべっ」

 声を上げて飛び出すけれど、すでに遅い。


 彼女は茂みから小型のカバンを取り出し、近付く男からはパッと離れ、ふたたび距離をとる。


 カバンの中身は、確認するまでもなかった。さっきまでの余裕はどこへやら。男から笑みが消えた。そして、形勢不利とみるや否や、一目散に逃げ出した。


 足の痛みは和らいでいるのか。男は一心不乱にあたふたと駆けていく。逃げるその背を見送っていると、残った彼女とふと目があった。


 ぼくは最初から追いかける気がないけれど、彼女も男を追わずにいる。意外な反応に驚く。


 ほっとしたのか。ずうっと険しかった彼女の表情に、ほんのりと柔らかさが戻っていく。笑顔とまではいかないけれど、大きな瞳からは鋭さが抜けていた。


 ジロリとぼくをみつめ、何も言わず近付いてくる。ちょっとばかしの気まずさ。払拭するべきかと思い、にへらと笑いかける。


 去って行く男を指さし、

「追わなくていいの?  逃げてるみたいだけど」

「うん。とりあえずは、これが戻ればいいの」

 大事そうにカバンを抱えこむ。


 ふぅん、冷静な判断をするものだ。


 あの男に逃げる意志がある内は、追いかけても平気だろうけど。しんに追いつめられた男が、本気の暴力で訴えかけたとき。


 大人の男と小柄な彼女がやりあえば、さすがに分が悪くなる。たとえ勝利をもぎとったとしても、きっと無傷ではいられなかっただろう。


 彼女に加勢でもあったなら、話はべつだろうけど。あいにく近くに味方は居なかった。そもそもぼくは、手伝う気がない。


 まあ、応援くらいならするけど、さ。

 

 カバンを後ろ手に隠しながら、彼女はツカツカと目の前までやってくる。思わず苦笑した。べつに隠さなくたって大丈夫なんだけどな。ぼくに盗る気はないんだから。


 すると黙ったまま、右手をスッと差し出してきた。はて、なんだろう。差し出された小さな手をじっと見返す。


 共闘から生まれた友情、友好の証かな?そうか、これは熱い展開なんだなと思い、ぼくも手を差し出そうとしたら、怪訝な目つきで返される。


 おや?

 

「そうじゃなくて、返して」


 上目遣いですこし恥ずかしそうにしながら、きろりと睨んでくる。いったいなんのことだと首をかしげ、ああ、パンツのことかと思い出す。


 すっかり忘れていた。逆の手に持っていたパンツを、はいどうぞと手渡しながら、笑顔で問いかけてみる。


「きみのLINEを教えてくれるかな」


 おや、今度はどうしたんだろう。


 口を真横に引き結び、眉根にはシワを寄せて、とても不快そうな顔で、なおさら睨んでくる。


 ふぅむ、なんでだろう。


 彼女は視線を外さずに、じりっと一歩あとずさった。うん、それはあれだ。熊にあった時とかにする奴だった。なんだか警戒されている。


 戦友に向ける物にしては、すこしつれない態度だったと思う。後ろ手に持っていたはずのあのカバンも、いつのまにか胸に抱き抱えるように守っているし。


 訊き方を間違えたかいなと、頬をかく。思い込みも随分、はなはだしい。彼女はきっと、ナンパされたとでも感じているのだろう。


 まったく、困ったものだね。


 こうみえてもぼくは、人畜無害な、ただの謎好きの、黒幕だというのにさ。

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