第8話 手のひらに収まる謎

 身を隠し、こっそり様子をのぞきみる。傍からみたら、ぼくが不審者と呼ばれかねない状況だ。


 おや、変だな。


 ぼくは不審者を追っていたはずなんだけど。まるでミイラ取りの様だ。不審者を追う内に、不審者になってしまった。


 不思議な話だよ、まったく。


 くつくつと笑うと、あの子の声が耳に届く。そっと耳をそばたてた。とても怒っているようで、ハッキリと声が聞こえてくる。


「下着、返しなさいよ」


「だから、持ってないし。とってないって。さっきから、そう言ってるだろ?  お嬢ちゃんの、見間違いだっつうの」


 つられて、男の声も大きかった。ヒートアップしているのか? 下着どろぼうの、必死の抵抗というものに違いない。


 でも、思わぬ方向に舵をきる。


 あの子は下唇を噛み、悔しげに眉をひそめ、大きな瞳で男を睨みつけるに留まった。


 おや、と思う。


 どうして、彼女が悔しそうな顔をするのか。ぼくは、犯行の一部始終をみていた目撃者だ。犯人はあの男でまちがいないはずなんだけど。


 ポケットを漁り、スマホを取りだす。カメラの機能で、男の顔をズームにしてよく見てみる。ぼくの不審者具合いはまさに絶好調。うなぎ登りの、天井知らずだった。


 でも、やっぱりひとちがいじゃない。あのとき見た下着どろぼうだ。犯人はそいつだと、声にならぬ応援をし、ことの成りゆきを見守る。


 彼女の睨みをまったく気にも留めずに、むしろ男はニヤついてみせた。


「お嬢ちゃんよ。そこまで疑うんだったら、身体検査でもしてみるか。ほれほれ、こっちにおいで。ただ、もしなにも出てこなかったら、わかってるよな?」


 男はズボンのポケットをパンパンと叩き、余裕を浮かべた表情で腰をフリフリ、ふり出した。 


 なんだろう。こんな状況だというのに、ずいぶん落ち着いているように思える。こんな窮地と呼べるような状況にも関わらず、だ。


 なら、初めてじゃないな。たぶん常習犯だ。こんな窮地も、一度や二度ではないのだろう。


 その上、彼女にズボンをまさぐらせようとしている。正真正銘の、立派な変態なんだろう。


 おっと、立派じゃなかった。


 でもそれなら、あの男には逮捕歴があるやもしれない。バレないようにゴソゴソしながら。はて、あの子はどうする気かなと、高みの見物を決めこむ。


 彼女も察したのか。男の提案にはのらず、一定の距離を保ったままで警戒している。大きな瞳は鋭く男を捉え、睨みつづけている。

 

 ふぅん、そうか。


 もう、だいたいの状況は呑み込めた。あの子は男を追い、ほどなく捕らえた。追いつめて、盗ったものを返せと問いつめたんだろう。


 けど、男の様子はおかしかった。


 ぼくが男をみた時との、唯一のちがい。男は手ぶらになっていた。下着を詰めこんだはずのあのカバンを、いまは身に着けていなかった。


 どれだけ盗ったのかは知らないけれど、あの膨らみのないズボンのポケットに、収まりきるようなものじゃない。


 男の妙な自信からすると、盗難物はすでに、逃げながら隠したのだろう。辺りを見回してみるけれど、それらしい物は見当たらなかった。


 ふたりの様子をうかがうけれど、膠着状態のままで、動きはない。すこしは謎の香りがするかと思えば、尻切れトンボに終わる


「とんだ期待外れだ」

 つぶやき、ぼくは重い腰をゆっくり上げた。


 こんなのは、本当の謎じゃない。


 そうさね。ぼくからもプレゼントしようか。手のひらに収まるほどの、ささやかな、ほんの小さな謎を、さ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る