第4話 空から降ってきた女の子

 飛び降りてきた下着泥棒は、あわてたせいだろう。着地に失敗したようで、転倒してゴロゴロ転がっている。


 むくりと起きあがり、何度かうしろをふり返りながら、ノロノロと逃走しはじめた。

 

 片足を引きずるようにしている。おそらく、転んだ拍子に足を打ったんじゃないかと思う。それとも捻ったのかな。


 逃げる男を、そのまま見送った。


 そりゃそうだ。追いかける気が、ぼくにはない。ただまあ、せめてもの情けだ。通報くらいはしておこうと思い、ポケットを叩いてスマホを探す。


 すると──。


 タンタンッ、カンッ。


 おや、何の音だ。と思うのも束の間。ぼくの目の前に、ひとりの女の子がふわりと舞い降りてきた。

 

 最初は、白いシーツでも降ってきたと思った。なにせこの街は、パンツが降ってくるのだから。例えシーツが降ってこようとも、不思議じゃない。


 でも、そうじゃなかった。


 ひらひらなびいて見えた純白のそれは、女の子が身に纏う、白いワンピースだったようだ。


 男とは違い、女の子は華麗な着地を決めた。白いワンピースの彼女は、自分がスカート姿であることを忘れているのか。


 ふわり、まくれ上がるスカートにはまるで目もくれず。その小柄な体には似つかわしくないほどの大きな瞳で、きろりと眼前を見据えていた


 はて、いくつくらいの子だろうか。


 とても小柄だった。顔が小さければ、手も小さい。肩までは届かない、ふんわりとしたショートボブ。丸みを帯びているせいか、余計に幼くみせる。


 そんな全てが小さな彼女の中で、ただひとつの例外。瞳だけは大きくみえる。じっと前を見据えた瞳がきょろりと動き、どうやらぼくの姿を捉えた。


 まるで小動物のようにビクリと身を震わせ、固くする。すくなからず驚きの色をのぞかせた。すでに大きいと思っていたその瞳が、さらに大きくなった。


「やあ」

 と、友好的に手を挙げてみるかな。


 案外、ハイタッチで返してくれるかもしれない。もしくはもう片方の手も挙げて、自らホールドアップとするか。


 ううむ、ここは悩みどころだ。


 考えている間に彼女は片手を地面につき、前傾姿勢になる。そして鬼気迫る表情で前を見た。いまにも飛びかかってきそうな姿は、野生の猫のようだった。


 まったく、だれだっけ。女の子が降ってきたらドラマになるなんて、無責任なことを言ってのけたのは。


 始まろうとしているのは、ドラマみたく、感動して涙する物じゃなかった。痛みに涙する、バチバチに激しいアクション映画らしい。ホラーや、サスペンスにならないように祈るほかにない。


 まったく、まいったね。……やられ役は、ひょっとしてぼくかな? 


 ポケットの中の右手を、ぎゅっと握りしめる。うん、夢じゃない。夢であって欲しいけれど、柔らかな感触がそこにはある。


 彼女が降ってきた瞬間。とっさにしまい込んだこのパンツは。はて、あの大きな瞳に映っていたのだろうか。


 パンツ片手に、

「ぼくはパンツなんて、見たことも聞いたこともないよ」

 と言い訳をするか、ポケットに隠すかの二択だったけれど。


 はてさて、どっちが正解だった?


 下手に動かない方が良い。いや、動くわけにはいかなかった。だってぼくは足も遅ければ、ケンカも弱いから。


 と言うより、殴り合いのケンカなんて、生まれてこの方したことがない。口喧嘩なら腕におぼえもあるけれど、長らくはそれすらご無沙汰だった。


 争う前に、煙に巻く。


 いつからか、それがぼくのやり方だった。さて、どう煙に巻いてやろうかと様子をうかがっていると、女の子はいつの間にか閉じていた瞳をゆっくりと開けて、小さな口をそっと開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る