第166話 大粒の涙

 目をつむったままで鬼柳ちゃんは小首をかしげる。ピタリと動きを止め、問いかけてきた。


「それから恵海ちゃんは、その探偵にあこがれだしたの?」


 ぼくはコクリとうなずく。が、そうだ、目を閉じていたんだねと思い直し、声にして届ける。


「うん、そう言ってたよ」


 『それからはわたくしも、あの探偵さんのように、困り、悩んでいるひとへ積極的に声をかけていますのよ』とは、大矢さんの言葉だった。


 胸を張るその姿に、 

『解決はできてるのかい』

 と訊くと、ほっぺを膨らませてそっぽを向いてしまったので、あまりかんばしくはなかったのだろうかな。大矢さんはすっかりと拗ねてしまった。


 でも、まあね。その時、ぼくもわさわざは言わなかったけれど、たとえ解決にたどり着けなくともさ。


 困った時に差し伸べられる手は、やはり嬉しいものだと思うんだよ。それに、刺激を受けて勝手に解決される事もあるやもしれないからね。


 まったく、良いこと言うなあ。さすがはぼくだよ。まあひとつ問題があるとすれば、それを大矢さんに伝えていないことぐらいかな。


「うんうん」

 と自画自賛していると、鬼柳ちゃんは片眼を開けてジロリと睨んでいた。あ、そういうのもあるんだね。


 どうやらもうひとつ、さらに訊きたいことがあったようだ。


「その話が終わって、恵海ちゃんは泣き出したのよね」


 コクコクとうなずく。


「本当に? すぐ? 守屋くん、余計なこと言ってないよね?」


 どうやら信用されてるようだね。中空を眺め、はて、とふり返り、やがて思い出す。そして苦笑いした。


「余計なことは言ってない、かな」


「でも、なにかは言ったのね?」


 その瞳はするどくぼくを攻めたてていた。両の目で睨まれる前に、白状しておくとしようかな。


「ちょっと質問を、ね」


「もう、なんて言ったのよ。一言一句違わずに教えて」


 ぷりぷりと怒っている。


 えーと、なんと言ったのかな。そうそう、探偵の話を訊き終えてぼくは尋ねたんだ。その探偵の推理力にあこがれたのかい、と。大矢さんは、いいえ違いますわ、と答えた。


 さんざん探し回ったあげくに見つかっただけだからね。あこがれる程の推理力ではなかったのだろうか。


 ならばと思い、顔が格好良かったのかい、と訊いてみた。顔も声も覚えていませんわよ、と笑っていた。


 じゃあ決まりだ、まちがいない。


 そのひとが探偵だったからかい、と訊いても大矢さんはかぶりを振った。わたくし、その探偵さんとおねえさましか探偵を知りませんもの。探偵さんというより、その方にあこがれましたのですわ、と。


 たしかに、大矢さんはホームズの言葉にも無関心だったからね。生粋の探偵好きというわけではないのだろう。だから、ぼくは訊いたのさ。


 その探偵のどこに憧れたんだい、とね。


 そう説明し、

「一言一句は違ってるかもね」

 と笑いかけると、鬼柳ちゃんはその言葉をだまって反芻はんすうしていた。


「それで、恵海ちゃんはなんて?」


「最初は、『まったく、守屋さんは分かりませんのね。よろしくて?』といつも通りだったんだよ。説明を待つも、はたと止まるから、目をやった。すると、もうすでにポロポロと涙してたんだよ」


 目を閉じたままの鬼柳ちゃんを盗み見る。瞳はまだ開かれないみたいだね。ふむ、今日はずいぶんとまあ、長考しているようじゃないか。なんてね。かくいうぼくもか。 


 そして最後の言葉だ。


「『……おんなじですわ』と言い残して、教室を飛び出したんだよ。あとはね、鬼柳ちゃんのがよく知ってるはずだよ」


 話を終えると、鬼柳ちゃんは大きく息をはいた。ハア、とも、フウ、とも。まるで胸のつかえも息に混ぜるかのように。


 ようやくパチリと開かれたその瞳を見たとき、なるほどと思った。どうりでぼくには解けないはずだよ。あいにく、その分野には疎いんだ。


 にこりと微笑むその笑顔に見覚えがある。どうやら鬼柳ちゃんは青い香りを嗅ぎ分けたようだった。

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