第163話 またひとり

 なにかに引っかかりを感じるな。はて、なんだろうか、と背もたれにもたれかかる。ギッと音が鳴った。


 突然に話が止まったからか、

「それでどうなったの?」

 と気が付けば、鬼柳ちゃんは身を乗り出し、のぞき込んでいた。


「あ、うん。えーとね。時間も忘れて遊んでいると、Aさんに言われたそうだよ。『あれ、腕時計はどうしたの?』って」


 背を起こし、話を再開する。


「ん、なくなってたの?」


「そうみたいだよ。公園、空き地、田んぼ、近所のお店と、遊び回ったらしくてね。子どもの、ましてや大矢さんのする事だからさ。きっとどこかに落としちゃったんだろうね」


 その苦い笑みは、納得したといったところだろうか。


「大矢さんはそれこそ、泣きそうになりながらも時計を探すわけさ」


「お気に入りの時計だもんね」


「それに約束もあるからね」


 小首をかしげながら、

「約束?」

 と悩み、すぐにうなずいた。


「ああ、門限ね。アラームが鳴ったら、帰らないとダメだもんね」


「そう、門限があった」


 わざとらしく、ひと差し指を立ててみせる。鬼柳ちゃんはチラと見たが、なにも追求はしてこなかった。


「時間制限があるわけだから、さらに大矢さんは焦っただろうね。友だちにも頼んで、いっしょに探してもらったそうだよ」


 ひと差し指で噺家はなしかのようにベンベン、と机を打つと、しらっとした顔つきで見られたのでやめた。


「手始めに、いちばん近かった公園を探したらしい。この学校からも近いよね。ほら、あの大きな木がシンボルの小さな公園だよ」


 なにかと縁のある公園だ。ただしぼくはあの公園の名前を知らない。


「うん、あの公園ね」


 鬼柳ちゃんも名を呼ばないので、ぼくが知ることはないのだろう。


「遊んだ遊具のまわりを探しても見つからなかったみたいだよ」


「そんなに遊具もなかったよね?」


 どうだったかな、と思い出すぼくの記憶はあやふやだった。しかし、そこはさすがの鬼柳ちゃんだ。抜群の記憶力で指折り数えだした。


「埋まったタイヤと、そう、バスケットゴールもあったね。あとはベンチと、象さんのすべり台かな。あ、砂場もあったよね?」


「象だっけ、豚じゃなかった?」

 と記憶を揺さぶってみる。


「豚のどこを滑るのよ」


 そりゃ、まあ、うん。


 どうやら鬼柳ちゃんの記憶にまちがいはなさそうだね。と負け惜しみを言っておこうか、心の中でね。


 半眼の瞳に促される。


「公園を探し終わって、さあ、どうしようって時に、Bさんが『もう帰らないと』って言い出したそうだ」


「帰っちゃったの?」


 すこし悲しそうな顔をしている。


「習い事をしていたらしくてね。五時には向かわないとダメだったみたいで、謝りながら帰ったそうだよ」


 ぼくはなぜ、見知らぬBさんの弁明をしているのだろうか。疑問符を浮かべながらもつづける。


「田んぼを探しつつ、空き地に向かおうかとしてたら五時のチャイムが聞こえたそうだよ。時間切れだね」


「公園にはスピーカーがあるから、よく聞こえるものね」


 知らないけれどうなずいておく。


「それでも大矢さんは、あきらめなかった。探しにくい田んぼはそこそこにして、空き地へ向かったらしい。空き地は探しやすいけど、それでも見つからなかったそうだよ」


 これを話すときの大矢さんを思い出し、ぼくはすこし声を落とした。


「もうすっかり暗くなったみたいでね。付き合ってくれてた友だちもひとり、またひとり、『ごめんね』と帰っていったそうだよ」


「うん」 

 と言う声もすこし悲しげだった。


「最後のお店に向かうときは大矢さんひとりきりでね。もう、我慢できずに泣いていたそうだよ」


 『仕方ありませんものね』と大矢さんは淋しげに笑っていた。『お友だちは悪くありませんのよ』とも。


「そして店の中も外にも時計はなかったんだってさ。絶望だね。そんな時に、声を掛けられたそうだよ」


「だれに?」

 と小首をかしげる。


 ぼくは棒読みで笑ってみせた。


「ハーハッハッハ。『高笑いする探偵』にだってさ」

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