第153話 話の流れ

「失礼します」


 おや、溌剌として礼儀正しい、聞き覚えのあるあいさつが聞こえた。だれがいるわけでもないのに一礼し、ツカツカとぼくらの元へとやってくる。


「お食事中にすみません」


 ふたたび頭を下げる。


「やあ、唐津くんじゃないか」


 声の主は唐津からつ大晴たいせいくん。大矢さんと同じく、ぼくらの後輩にあたる中学一年生だ。短く刈り揃えられた頭髪に、きっちりと上まで止められた学ランは、昼休みの時間といえどもしっかりとホックまで掛かっている。


 見るからに真面目そうな彼は、クラスでも学級委員長をつとめていると聞いた。その真っすぐな瞳と姿勢に思わずぼくも背を正す。


「なんだか久しぶりだね」


「その節はお世話になりました」


 慇懃いんぎんに礼を述べる唐津くんも、以前はこの教室までよく通っていた。彼の目的はただひとつ、大矢さんの世話を焼くためにここまできていたんだよね。


 なにを隠そう、唐津くんは大矢さんのことを好いている。そしてある騒動を経て、彼は大矢さんにその思いの丈を伝えた。残念な結果に終わってしまったけれどね。


 唐津くんは大矢さんに振られた。そしてぼくを振った男でもある。


 おや。そう表現してしまうと、なんだかいらぬ誤解を招きそうな気がしてくるじゃないか。ちがう、ちがう、そうじゃないんだよ。


 唐津くんは、ぼくの誘いを断った男なんだよね。


 あれ、またもや何かおかしいな。言葉はすこし不安定な物なのかもしれないね。


 いや、言葉だけじゃないか。これは、話の流れがおかしいんだ。たとえなんでもない同じ言葉でも、話の流れ次第ではおかしな取られ方をすることもあるということだろうか。


 これからは気をつけていかないとダメだね。


 それにしても唐津くんがこの教室にくるのは久々のことだった。あの騒動の起こる前は、大矢さんが来るたびに彼が迎えにきていたんだったね。


 大矢さんも大矢さんでムダに抵抗をするものだから、毎度引きずられるようにして連れ帰らされていたのがなんだか懐かしく思えてくるよ。


「それで、きょうは何用だい?」


「ええ、大矢にすこし用が。あれ」


 その声に反応してふり返ると、大矢さんの姿がない。いつのまにやら鬼柳ちゃんの影に隠れていた。


 メロンパンにかぶりついてるその背中はやや小さいせいか、隠れきれてはいなかったけどね。


「大矢、なにしてるんだ。先生が探してたぞ」


 どうやら唐津くんは自身が振られたあとも、甲斐甲斐しく、まだ大矢さんの世話を焼いているようだった。おとこだねえ。


「今度はなにをやらかしたんだい」


「うるさいですわよ、守屋さん」

 と鬼柳ちゃん越しに声が飛ぶ。


 メロンパンを机に置き、

「恵海ちゃん。なにをしたか知らないけれど、悪いことをしたら謝らなきゃダメよ」

 と言うと、

「……わかりましたですの」

 口を尖らせながらも納得した。


 ひどい、ダブルスタンダードだ。


「俺もいっしょに行くから謝ろう」

 

 唐津くんが一歩、歩み寄る。すると背中からすこし顔をのぞかせ、

「……んだなはん、わがっだ」

 とつぶやいた。


 おやおや、トリプルだったか。『んだなはん』とはなんだろうね。


 とんだ天の岩戸のようになっていた大矢さんは、唐津くんの後ろをしずしずとついて教室を出ていく。


 さり際に、

「やっぱり謝らなきゃダメな事をしでかしたんだね」

 と笑いかけると、大矢さんは、

「イーッだ」

 と歯を見せるのを忘れなかった。


 うむ、さすがは大矢さんだよ。


 そう、先週はそんな事があったんだったと頷いていると、鬼柳ちゃんが訝しげな視線を投げつけてくる。


「やっぱり心あたりがあったの?」


「どうだろう、確信はないけどね。心理テストをした時のことを思い出してたんだよ」


 ほほに手をやり、鬼柳ちゃんは目を閉じる。パチリと目を開けたのに合わせて問いかけてみる。


「すこし変だと思わなかったかい」


「そうね」

 と答えるその口もとは、すこし微笑んでいた。

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