第152話 試される心

 ケンカ別れではないのなら、なにが大矢さんをこの場所から遠ざけたのだろうかと記憶をたどっていく。


 先週のことか──。


 いつものように大矢さんは、ぼくら三年生の教室でたむろしていた。あの日はそう、三人いっしょにお昼を食べていたんじゃなかったかな。いや、ふたりが食べている隣にぼくがいた。が、より正確なんだよね。


 卵焼きにパクリとかぶりつく。


 母さんが作ってくれた弁当に舌鼓したづつみを打っていると、からあげ弁当を頰張っていた大矢さんがゴソゴソと、ある本を取り出した。


「みほ先輩、心理テストをいたしましょうですの」


 お嬢様は相変わらずはしたないことで、お箸を片手に、取り出したる本をぺらりとめくり、じつに器用なものだった。


 きな粉パンを口いっぱいに含んでいた鬼柳ちゃんは、おそらく声が出せなかったのだろうか、コクコクと頷いていた。まだ口もとにきな粉が付いたままだよ、鬼柳ちゃん。


「じゃあ、これですわね。草原で四つ葉のクローバーを探しています。何個見つけることができまして?」


 いちご牛乳をくぴりと飲み、ようやくきな粉パンを飲み込んだ口で、

「ふたつ、かな。恵海ちゃんは?」

 と問う。


 どうやらきな粉は取れたようだ。


「わたくしは、とにかくいっぱいですわね。抱えきれないほどの四つ葉のクローバーがいいんですのよ」


 両手を大きく広げている。それはまた、大量すぎやしないだろうか。


「大矢さんの通った後には、ぺんぺん草も生えないだろうね」


 思わず口を挟んでしまう。


「む、そういう守屋さんは、どうなんですのよ?」


 からあげをほっぺたに隠し持っているのだろうか。ぷくっと膨らんでいるほっぺたを見ながらに答える。


「そうだなあ。ぼくは愛してくれるひとは、ひとりいればそれで充分かなあ。クローバーはひとつだね」


「え」

 という言葉と共に、膨らんだほっぺたはゆるゆるとしぼんでいく。


 ぺらりとページを繰る。忙しなく動く瞳が、くわっと大きくなった。


「守屋さん。どうして答えを知ってるんですのよ」

 と、ふたたびほっぺたは膨らむ。


「おお、どうやら合ってたみたいだね。その作者ならどう考えただろうかな、と思っただけさ」


 にやりと笑ってみせると、

「そんなのずるいですわよ」

 と返ってくる。


 両手に抱えていたはずのクローバーは、いつのまにか放り出され、その両手は空へと突き出されていた。


「守屋くん。心理テストで作者の気持ちを考えちゃダメなのよ」


 あきれた声が届く。


「おや、そうなのかい」


 国語のテストで、あんなにも作者の気持ちを考えろ、考えろと言ってくるものだからさ。ついつい、ね。


 何千人、何万人ものひとが作者の気持ちを考えてきたんだ。もうそろそろ考え尽くされてもいい頃じゃないのだろうか。作者はもう、とっくの昔に丸裸にされているよ。


 なんてことを考えながらも、和気あいあいと過ごしていたはずだ。大矢さんが寄り付かなくなるほどの事はまだ起きてはいない。ならば、その後のことが原因なのだろうか。


 ペラリ、ペラリとページはめくられ、質問はまだつづいた。


「道を歩いていると、何かが落ちていました。それは何でして? あくまでも、物でお願いしますわ」


「ぼくはね、そうだな──」

 と答えようとしたら、

「守屋さんはもうダメですの!」


 さいですか。


 しかたがないね、と大人しくブロッコリーにかぶりつく。つるっと箸がすべり、ブロッコリーはコロコロと転がってしまった。あらら、とあわてて拾いに行くと、それを目にした鬼柳ちゃんはにこりとして言う。


「そうね。道に落ちていたのは、ブロッコリーかな」

 と。


 さては、ぼくを見て答えたな。


「もう、守屋さん。邪魔をしないで欲しいんですのよ」


 大矢さんの手は、よく空へと向かうものだ。そしてなぜかぼくが怒られる。まったく、困ったものだね。


 うう、と唸りながらも心理テストの本をペラペラと繰り、大矢さんはちらりと半眼の面持ちで見てくる。


 はて、なんだろうか?


 このときの意味ありげな視線は、ぼくしか知らないのだろうね。鬼柳ちゃんは目の前のメロンパンに、うっとりと心を奪われていたからさ。

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