その手のひらに

第149話 ふたりきり

 コン、コン、コン。


 にぶい音が教室内をこだまする。


 定期的につづく連続音だった。つづかなくて定期的でない連続音を、ぼくは聞いたことがないけれどね。


 そういえばどこかで読んだ覚えがあった気がするよ。どこかの国の拷問だったかな。こんなのがあったような、なかったような。おぼろげで不確かな、そんな記憶なんだよね。


 たしか、身動きを封じられた状態で水滴をポトリ……、ポトリ……、と頭に垂らされるんだったかな。


 一時間、数時間、数日、と経つころにはだれもがみな発狂してしまうのだとかいう噂だよ。ああ、考えるだけでもおそろしいよね。数日も動けないなんてさ、そんなのだれだって発狂してしまいそうじゃないか。


 みたいなことをぼくがおどけて話す間も、その音は決して鳴り止もうとはしなかった。


 コン、コン、コン。


「守屋くん。ううん、守屋もりやすすむくん」


 鬼柳きりゅう美保みほは、そのちいさな身体に似つかわしくないほどの大きな瞳で、じろりとぼくを見つめた。


 視線がバッチリと合ったが、気にせずにつづける。


「冗談はさておいてさ、無機質に連続する音にはある種のプレッシャーがあると思うんだよね。眠れない夜に聞こえてくる時計のカチカチ音はやたらに攻撃的だしさ、テスト中に聞こえてくるシャープペンシルのカチカチ音だって──」


 ぼくの考察をさえぎり、鬼柳ちゃんは抑揚のない声で、ゆっくりと静かに、でもはっきりと言った。


「わたしはいま怒っています」


「はい……」


 ぼくは怒られています。


 例のごとく、放課後の教室は閑散としている。活力あふれるクラスのみんなは、ひと時もこの場には留まろうとはしなかった。


「こんな所に一緒にいられるか、俺はとなりの部屋へいくぜ」

 と言ったかどうかは定かでないけれど、教室にはふたりきりだった。


 ふたりきりと言っても、そんなに艶っぽいものではない。ぼくと鬼柳ちゃんの間には机の壁が隔たり、向かい合わせに座るさまは、まるで。


 取り調べ室のようである。


 灯りを落とし、電気スタンドでもあればムードが出るかもしれない。


 ここでひとつ問題が浮上する。どちらが刑事で、どちらが犯人なのか。フェルマーの最終定理のような難問にあえて答えを出すのならば。

 

 犯人はぼくなのだろうね。なんとか、解なしにならないものだろうかと知恵を絞っているところだった。


 しかし、ぼくは怒られ、取り調べられている。身動きもあまり取れないなか、コン、コンと耳に届いてくるのは、連続音。


 おや、拷問なのかもしれないね。


 鬼柳ちゃんは机の足をコツ、コツと鳴らしているのだろうけれど、きっと上履きのせいだろうね。音が柔らかくなってしまい、にぶく、コンコンという音に変わっている。


 ボム、ボムかもしれない。


「それで、心あたりはあるの?」


 どの擬音が似合うのだろうかと、考えはじめたぼくを鬼柳ちゃんは見逃さなかった。しかたないので、はて、とその問いかけに頭を悩ませてみる。さて、どうだったかな。


 いつもと変わらない日常をすごしていたと思うんだけどな。


 謀略、計略、はかりごと。うん、いつも通りの日常だよね。いや、変わらないというだけで、ひとから見れば日常ではないのかもしれない。


 いつも通りの、『非日常』をぼくはすごしていたはずなんだけどな。教室の中をぐるりと見回し、ひとつだけ、いつも通りではないことに思い当たる。


 本当は、最初から気付いていた。


 いま教室にいるのはふたりきり、だったからね。いつも通りと言うのならば、『さんにんきり』になってないといけないところだ。


「心あたりと言われてもね」

 

 言いつつ両手を広げて、首をすくめてみせる。ひょっとしたら、それがいけなかったのだろうか。


 バン、と机に手を付き、鬼柳ちゃんは身を乗り出した。まるで本物の刑事のようだった。いやうそだね、本物はまだ見たことがなかったや。


 迫力のある本物の、ドラマの中の刑事のようだった。略すと、ド迫力なのかもしれないね。


「なら、どうして恵海ちゃんは、泣きながら教室を出ていったの」

 とするどい声があがった。


 そうなんだよね。大矢おおや恵海えみは涙を流していた。


 ほんと、なんでなんだろうね。

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