第148話 (守屋)(鬼柳)笑顔の理由
──♧24
カツカツ、と先生は黒板に板書していく。小学生でも読めるように書かれているはずなのに、はて、ぼくにはとんと理解が及ばないや。
「助動詞といえば、る、らる、す、さす、しむ、ず、じ、む、むず、まし、まほし。よーく覚えるように」
古文の先生は呪文を唱えた。
効果はバツグンだ。
とてつもない眠気が無情にも、いたいけなぼくを襲おうとしてくる。先生の詠唱呪文には、どうやら眠りの効果があるのかもしれないね。
眠れない夜には側にいてほ……。いや、やっぱり、いなくていいや。
先生も中々にやってくれるじゃないか。昼下がりはただでさえ、まどろみの中だというのに。それにさ、いまさら過去に倣ってもね。いったいどうしろというのだろうか。
でもまあ、同じ失敗をくり返さない為には必要なことなのかもしれないね。過去よりも上手くできるように、ぼくらは変わっていくべきなのだから。
変わるのとはすこしちがうか。成長、だね。ぼくはちゃんとあの頃よりも成長してこれたのだろうかと、ウトウトと舟を漕ぎながら考える。
あの文化祭から、いくつか謎を作るようになった。探偵候補が現れずに、やきもきしていたな。だれもが探偵になれるというのに、だれも探偵になろうとはしなかったからさ。
あの頃のぼくに伝えてあげたいね。大丈夫だよと、安心しろと。いまはただ、せいぜい謎の腕を磨いておくといいさ。そのうち、きみの前にきっと現れるだろうからさ。
ちいさいけれども、きみにとって大きな存在になる探偵が、きっと。
うへへ、と思わず口もとが緩んでしまうや。なあに、ぼくの成長がすこしばかり遅くたって、なんとかなるさ。その探偵はやさしいからね。
ぼくはきっと幸せなんだろうな。鬼柳美保と、出会うことができて。
たとえイヤな顔をしながらでも、睨みつけながらでも、きっと謎を解いてくれるからね。もうさみしい想いはしなくてもいいだろうさ。
すくなくとも、ね。
やっぱり謎は解く相手がいてこそ面白くなるんだからね。黒幕には、探偵の存在が必要不可欠なんだよ。
ダメだね。どうにも口が、にへらとニヤけてしまう。いけない、いけないと思いつつ、ぼくは夢の中へ。
うへへ、いけないなあ。
──♡17
昼下がりの古文の時間、となりの席の守屋くんは居眠りをしている。すこし前までは起きて、にへらと笑っていたのにね。ん、にやにやだったかな?
なにがそんなに楽しいんだか。
幸せそうな寝顔ね、まったく。シャープペンシルをくるりとひと回しする。うーんと、悩んでいると、先生からは勉強しているようにみえるのかな。
考えているのはべつのこと。わたしが悠斗くんと会ったあの日から数日が経ち、あり得ないことが起こったのだ。
家庭の事情が解消されたからと、古越さんがふたたび生徒会長に復帰したのよね。もちろん悠斗くんが停学になったりもしていないと、恵海ちゃんからは訊いている。
「変ですの。ほんのすこしだけ、野蛮じゃなくなりましたのですわ」
とも言っていたかな。
くすっと笑う。
あれ。だれかさんのがうつっちゃったのかな。ダメだ、ダメだと、頬を両手ではたき、ふうと息をつく。
古越さんの事は、きっと守屋くんがまたなにかしたにちがいない。なにをしたかまでは知らないけれど。
前に言ってたよね。あり得ない事がなんとかって。……なんだっけ。うーん、と目を閉じ記憶をさがす。
『ありえない事を省いていって、最後に残った事がどれだけ信じられなくても、それが真実』だったかな。
守屋くんは嬉しそうにそう言っていたけれど、わたしは思うの。本当に省かなきゃダメなのかな、って。
守屋くんは知っているのかな。あり得ない事が起きたときに、そのあり得ない事が、もしも良い事だったとしたらね。
ひとはそれを、『奇跡』って呼ぶんだよ。
「だったら謎は、奇跡のままでもいいのにな」
なんて思っちゃう。
こんなこと言ったら、守屋くんは怒るのかな。ううん、きっと怒らないよね。だって、守屋くんだもの。
……さみしそうに笑うのかな?
恵海ちゃんも、
「おかしいですわ、おねえさま。事件の香りがしますの」
とか言っていたし、ううん、困っちゃうな。
こんな事を考えているわたしは、きっと探偵には向いてないんだろうなと思う。さあ、どうしようかな。
先生の授業を耳にしながら、わたしはそっと目を閉じる。そよそよと柔らかな風が吹きこんできていた。
とろんと、まどろんだ昼下がり。わたしもすこし、このまま探しに行ってみようかな。
──答えは追憶のなかにあるのかもしれない。
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