第147話 (守屋)今度こそは

──♧23


「忘れるはずないじゃないか」

 とは言えるわけもないので、むっつりとする事で返答としておこう。


 遠巻きにチャイムの音色が聞こえてくる。いつのまにか授業のおわる時刻になっていたみたいだね。楽しそうにはしゃぐ、小学生の声も届きはじめてきたよ。


 わずかばかりの休憩時間でも遊び倒してやろうと、いそいで外に繰り出してきたのだろうか。元気だな。


 その弾む声にかき消されてしまうくらいの小さな声で、古越さんはつぶやく。たとえ聞こえなくても構わない、と思ったのかもしれないね。


「もうあんな顔、見たくないんだ」


 自分の罪をかぶらせたばかりに、悲劇は起きてしまったからね。本来ならあの言葉は古越さんに。いや、彼女にだったら、もともとその言葉は使われなかったかもしれないね。


「だから、邪魔しないで」


 きろりと目を剥くその姿に、かつての泣いてばかりだった、あの日の少女の姿を重ねみる。そうか、強くなったんだね。


 弟を守れるほどに。


 古越さんの生徒会長としての評判も、ぼくは訊いてきていた。優しさと厳しさを備え持ち、どうやら周りからの信頼も厚いようだった。


 肝心かなめの確認をひとには任せずに、かならず自分ですると訊き、文化祭のトラウマなんだろうなとは思う所だけどもね。彼女もまた、裏切りに臆病になっているのだろう。


 三年間で培ってきた信頼と信用を古越さんはすべて投げ打ち、犠牲にした。そうまでして、彼女はいったいなにをしようとしたのだろうか。


「邪魔ってのは、悠斗くんを守ることのかい?」


 言葉を切る。

 視線が合う。

 言葉を繋ぐ。


「それとも、復讐の事かい?」


 返事はなく、口もとだけで薄く笑っていた。それは今日はじめてみせる、古越さんの笑顔だった。


 弟を守りたかったのも、嘘ではないのだろう。きっと真実だろうね。でも、他にもなにか方法はあった気がするんだよ。不慣れな黒幕にならったせいかもしれないけれど、それはすこし不自然だとも言えるよね。


 暗く、重くのしかかってきただろう、心への傷。


 弟への懺悔なのかもしれない。優等生の姉がすべてを投げ打てば、『お姉ちゃんじゃなくてよかった』と言った親のメンツは、いったいどうなるのだろうか。きっとそれは、潰れてしまうのかもしれないね。


 古越さんがなにを優先したのかは知りようがない。それは彼女だけの秘密だろうね。ただ、ひとつの物事にかけられた想いは、ひとつとは限らないのかもしれない。


 そう思うんだ。


 沈黙が下りるぼくらの耳には、愉快そうにはしゃいでいる小学生の声だけが響いていた。


 沈黙なら、古越さんが破った。


「アンタ、結局なにしにきたの?」


「なにって」


 なんだろう?


 言われて戸惑う。はて、なにをしにきたんだったかな。


「確認だよ」

 とにへらと笑う。


 癇に障ったのだろうか。片眉だけを器用に吊り上げ、言う。


「守屋、なんか変わった? アンタそんな奴だったっけ?」


「自分がどんな奴なのか、とはね。むずかしい事を言うじゃないか。それは、その、哲学なのかな」


 微笑みと『ともに』贈る軽口は、何なく撥ねつけられてしまった。


 古越さんはもう話すことはないとばかりに、まるで話は終わったというように、ギーコギーコとブランコを漕ぎ始める。


 にべもしゃしゃりもない、ね。


 もうこちらを見ようともしない古越さんを背に、公園をあとにした。別れの挨拶はしなかった。きっと返ってはこないだろうからね。


 なんか変わった、か。


 自分がどんな奴なのか、それは哲学じゃなくてもむずかしいものだよ。変わったような、変わっていないような。


 さて、どうなのだろうかね。


 いまのぼくが変わってみえるのなら、それはきっと、鬼柳ちゃんの影響が大きいのだろう。彼女はぼくにとって、特別なひとだから、さ。


 でも、変わるキッカケということならば、古越さんもそうなんだけどね。わざわざ言うこともないかな。


 なにをしにきたの、ときみは訊いたね。


 確認を取りにきたんだよ。やっぱり、どうやらぼくにも責任があるようだね。大丈夫さ、今度はうまくできるはずだよ。


 でも、本当はさ。ただ、謎を解きにきたんだよね。だってさ──。


 だれも謎を解こうともしないなんてさ、そんなの、とてもつまらないじゃないか。

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