第140話 (守屋)生意気の涙

──♧16


 ひと気のない廊下は寒々しい。よって音もよく響く。パタパタと駆ける音が聞こえていた。褒められたものではないだろうけど、咎める道理もない。それは先生がすべき事だ。


 せめて衝突事故にはならぬよう、せいぜい気をつけるとしようかな。しかして音は徐々に近付いてくる。 

 

 難儀なものだね。


 音は目の前までやって来て、

「おい、お前」

 と生意気な声をあげた。


 生意気な声は黒いランドセルを背負い、半パンを履き、黄色い帽子はポケットに突っ込まれ、みるからに低学年の身なりで問いかけてきた。


「ねえちゃん、しらないか」


 知らないね。姉ちゃんも、君も。フルフルと首を振ると、なあんだ、という顔をしながら、その子はくるりと方向転換した。


 ランドセルに古越悠斗と書かれているのがちらりと見える。


「……古越さんの弟か」


 つぶやいたら、どうにも聞こえてしまったらしい。


「え、なんで知ってんだ」


 その子は驚き、ぼくはあきれる。なんで知らないと思う相手に、姉ちゃんの居場所を訊いたのか、と。


 まとわられてもつまらない。


 ぼくもくるりと向きを変え、

「六年三組、姉ちゃんなら教室だ」

 言うが早いか職員室へと向かう。


 パタパタと駆ける音がふたたび聞こえてきたので、問題ないだろう。ぼくは職員室に入り、担任の田中だか、鈴木だかに事情を説明した。


 なにやら小言を言っていた気もするけれど、のれんに腕押し、ぼくの耳に念仏だ。


 いや、小言かな。

 いやいや、馬だったかもね。


 担任も自由の塔をまだみていなかったのだろう。どこに絵を貼れとも言えないようで、いっしょに教室へ向かう事となった。渋々だろうね。


 異変にはすぐ気付いた。


 教室の外まで泣き声が聞こえてくる。担任が教室のドアを開けると、泣き声はより大きく響く。教室の中はまあ、それは凄惨なものだった。


 何があったのかと思うほどの荒れようだ。中央にそびえ立っていた塔は倒れ、崩れ、破けている。元は塔の一部だったであろう欠片が、教室の方方まで散らばっていた。


 古越さんはへたりと座り込み、わんわんとむせび泣いている。どうも言葉にはならないようだ。その傍らに先ほどの悠斗くんが佇んでいる。


 声にこそ出していないが、彼もしゃくり上げ、いまにも泣き出してしまいそうだった。くしゃりと顔を崩し、どうにか泣くのを堪えているといった所だろうかな。


「なにがあった、大丈夫か」


 担任がかけ寄り、事情を訊き出そうとはしているけれど、泣くばかりではそれも難しそうだね。ぼくは教室内をぐるっと廻ってみるも、だれかが隠れているような気配はない。


 歩いている内にカツンと、なにかを蹴飛ばした。古越さんの持っていた水入れか。中身は空っぽだった。


「おれが、おれがやったんだ!」

 と声があがる。


 悠斗くんがすこし落ち着き、先生に自首していた。それを聞き、古越さんはよりいっそう泣きじゃくり出した。悠斗くんもその言葉を皮切りに、涙があふれだしてしまった。


 担任はホトホト困り果て、

「親御さんを呼んでくる」

 と、ふたりを一層泣かせる言葉を残し、教室をあとにしようとする。


 ついでだとばかりに、

「悪いけど守屋、すこし片付けといてくれ」

 と添えて。


 ぼくをも泣かす気らしいね。


 古越兄弟は泣きわめくばかりで動かない。しかたなくぼくは、塔の欠片を教室の隅へと集めていく。


 ビリビリに裂かれた欠片は、手で引き裂いたような形状をしていた。中にはぐっしょりと濡れた欠片もあって、すこし気持ち悪かった。


 黙々と片付けていく。悠斗くんはなにが気に入らなかったのだろう。先に教室にいたはずの古越さんは悠斗くんを止めなかったのだろうか、などと考えながら。


 あらかた片付けが終わったころに担任は戻り、ぬけぬけと言い放つ。


「悪いな守屋。まあまあ綺麗になったじゃないか」


 へえ、そいつはどうも。

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