第139話 (守屋)自由の塔

──♧15


 古越さんはぼくの姿を見かけ、最初こそ驚きはしたものの、すぐにニコニコと笑顔をふりまいた。


「あれ、守屋君じゃない。どうしたの、こんな時間に」


 こんな時間にはお互い様である。返事をするのも億劫に感じ、絵を持っていた右手を掲げてみせる。


「あ、それ文化祭の絵? よかった、参加しくれるんだ。見せて見せて」


 返事を待たずにぼくの手から絵は奪われ、広げられた。ふんふんと、彼女は頷きながらぼくの絵を批評していく。


「うんうん。よく描けてるね。でも、もうちょいこの辺とか、細かく描けたらもっと良いんだけどなあ」


 ダメ出しされた。


「もっと早く来てくれてたら、色々教えてあげれたのになあ」

 と残念がる。


 古越さん、か。


 とくに親しいわけではないけれど、こんな子だったかなと思った。いや、ぼくが知らないだけで、元からこんな子だったのかもしれない。


 なにせ、ぼくの目は節穴だから。何も見えてなんかいないのだから。


 ひとしきりのダメ出しが終わり、

「まあ、もう時間ないから仕方ないね。オッケー、オッケー。『自由の塔』に貼り付けなよ」

 と絵を返しながら、そう言う。


 あの塔はそんな名前なんだね。


 ふと気が付くと、古越さんはその手に絵の具の水入れを持っていた。ぼくの視線を察してか、その水入れを軽く持ち上げてみせる。


「ああ、これね。塔の仕上げをしてあげようと思ってさ」


「仕上げ?」


 もう塔はすでに完成していたけどな。それはもう、ぼくの絵を貼る場所もないくらいに。


「じつはね、私」

 と得意げに微笑み、古越さんはない胸を張る。


「あの塔の制作リーダーなんだ。私の指示の下、塔を作ったんだ。なかなか良い出来になってると思うよ」


 ふぅん。それでさっき、ぼくの絵にもダメ出しをしたというわけか。『なってると思う』に、『絵の具の水入れ』か、と思ったけども、ぼくの関わる事じゃないなと思い直す。


「じゃあ」

 と、その場を離れようとしたら呼び止められた。


「あれ、守屋君どこいくの。絵、貼りに行こうよ」


 君から離れようとしたんだとも言えず、

「絵を貼る場所がないから、先生に訊いてくるよ」

 と説明した。


 あ、と大きく口を開き、古越さんは満面の笑顔で見つめてきた。


「塔、見てきたんだよね。どうだった?」


 はて、どうだったかな。古越さんはリーダーだと言ってたから、塔の評判が気になるのだろう。当たり障りのないことを言っておこうか。


「どれも自由そうな絵だったよ。良かったんじゃないかな」


 喜色満面、まるで自分が誉められたかのように手放しで喜んでいる。それほどに思い入れがあるのか、とあきれながらも感心した。


 古越さんは照れくさそうに、

「私、まだ完成みてないんだ」

 と、はにかむ。


 無言のままでいると説明された。


「みんなの絵は知ってるんだ。ぜんぶ私がみてきたから。あとは組み上げるだけって所で、クラスのみんながさ。ねぎらってくれたんだ」


 労い、ね。と鼻白む。


「『今まで頑張ってくれたから、あとは任せて』だってさ。『明日完成を見るの、楽しみにしててよ』って、さきに帰されちゃったんだよね」


 サッと水入れを持つ手を入れ替えた。ポチャリと水がとび跳ねる。そんな事はおかまいなしに、グッと前のめり気味に古越さんは話す。


「そうは言われてもさ、気になっちゃうし。最後の手直しはやっぱり、私がやっておかなきゃと思ってね」 


 へえ、さいですか。


 しかしまあ、マジメなものだね。半時間もかけずに描いたぼくの絵が、思わず見劣りしてしまいそうじゃないか。


 この絵は本来ならやり直しかなと考えながら、くるくると絵を丸めていく。丸めたついでにポンと肩を叩いた。の音色よろしく、これにて幕切れだね。


「ぼくは行くよ」


 返事を待たずに歩き出した。


 ひたむきに真っすぐと、文化祭への情熱は注がれている。古越さんのその姿は、いまのぼくには眩しすぎて直視できなかったんだ。

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