第123話 (守屋)猫の手を借りた

──♧10


「見まちがいではありませんの?」


 ググッと詰め寄る大矢さんに、テニス部の彼は少々たじろいだ。何せ物理的に距離が近いからね。きっとお嬢様は、パーソナルスペースがひとよりも狭いのだろう。


 しかしテニス部の彼は照れながらにして、ハッキリとした声で返す。


「全校集会で何度も見ましたし、まちがえないですよ。俺が見たのは生徒会長でした」


 しかし、こちらも負けてない、

「窓を割る瞬間も、ご覧になりまして?」

 とさらに一歩近づく。


 ゴクリと彼の喉が鳴った。


「瞬間は、まあ、見ていませんよ。ボールを探してましたからね。でもガシャンと音がした方を振り向いたら生徒会長がいて、俺の姿を見て逃げ出したんです」


「そうですの、ね」


 空をあおぎ、さらに一歩前へ、プルス・ウルトラ。どうやらお嬢様に限界はないらしい。


「でも──」


 彼が両手を前に出しギブアップしてしまったところで、大矢さんの袖を掴み、制止を促す。


「どう、どう」


「守屋さんは失礼な方ですの!」


 おや、ぼくへのパーソナルスペースはずいぶんと広いではないか。


「もういいですか? 部活に戻ります」

 と、テニス部の彼はそそくさと立ち去ろうとする。その背中に質問を投げかけた。


「ごめんよ、最後にもうひとつだけ質問。生徒会長が逃げたのを見てから、先生の所に行ったのかい?」


 彼は口をツンと尖らせ、でもすこし心苦しげな表情をした。


「告げ口しただろって言いたいんですか。しかたなかったんです。顔を出した先生と目があって、俺が犯人だと思われたんですから」


 そう言って去っていった。


「行ってしまいましたの。困りましたわね、彼は生徒会長が犯人だとしか言ってませんのよ」


 他にもいろいろ言っていた気もするけれど、概ねは、まあ、

「そうだね」

 と答えておく。


 ただ、その答えはお気に召さなかったようで、大矢さんはおよそ探偵らしからぬ発言をする。


「『そうだね』じゃありませんの。このままでは、わたくしの推理が外れてしまいますわ。いけませんの」


 ふぅむ、大矢さん。それはいけない思考だね。推理ありきの調査は、探偵としてはやっちゃいけないタブーだよ。現実をねじ曲げて推理に当て始めたら、探偵は終わりだよ。


 すこし危惧を抱くね。


「でも彼も犯行の瞬間は見ていませんでしたわね。弟がどこかに隠れていれば、」


 ねじ曲がった推理を現実に戻してあげようかと、辺りをぐるりと手で指し示す。


「いったいどこに隠れるってのさ」


 職員室の周りには花だんがあるくらいで、背丈の高い物は何もない。見晴らしもよく、隠れるような場所はまったくと言っていいほどになかった。ここで誰かを見落とす心配はいらないだろうね。


「にゃあ」


 強く言いすぎてしまったのかな。大矢さんが壊れてしまったようだ。


 戸惑うぼくに指を指し、もう一度、

「にゃあ、ですの」

 これはもうダメかもしれないな。


 頭を抱え出したぼくの腕を彼女はガシッと掴む。おや、パーソナルスペースはどうしたんだいと思う間に、クルッと身体を回された。


「ほら、守屋さん。ネコさんですのよ、ほらほら」


 ぼくの背後には白と黒の混沌カオス、まだら模様のネコが佇んでいた。見晴らしがいいから、ちいさな闖入者ちんにゅうしゃも見落とさないのが、これで証明されたわけだ。


「ほら、ほら、ですのよ」


「大矢さん、急にほらほら言ってどうしたんだい?」


「え……」

 と絶句した。予想を裏切られたかのような表情に見えるね。


「守屋さん、ネコさんでしてよ?」


 これにはぼくが腑に落ちない。


「ん、ぼくは別にネコ好きじゃないよ。かわいいとは思うけどさ」


「ええっ。ネコ好ぎでゃーねぁーのだが? 餌あげでらったじゃねぁーか」


 そこまで驚くことだろうかね。はて、どう言ったものだろうか。


「ネコは、その、恩返しだよ」


「ネコの恩返しなんですの?」


「いや、ネコに恩返しだね」


 まるでわかる様子はなかった。当然と言えば当然だね。ぼくに詳しく話す気がなかったからね。


 言いにくい事なんだけどさ。ぼくは、──ネコに借りがあるんだよ。


「ヘクシュン」

 と、またくしゃみが出た。あれ、せっかく決めたってのにどうにも締まらないね。


 ……ネコアレルギーかな?

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