第73話 責任
お茶をひと口含む。緑茶を飲むのは久しぶりだった。香りが良い。すこしは落ち着けた気がした。まったりとした気持ちを取り戻し、ぼくはゆったりと話しはじめる。
「まずはですね。いままで鬼柳ちゃんと会ってきました」
「ふぅん。美保ちゃんとね」
「美っ──」
言葉に詰まってせき込んだ。
妖艶に微笑う中原先輩。そうか、美保ちゃんと呼んでいるのか。せっかく落ち着いたというのに、また動揺してしまった。
コホン。
「鬼柳ちゃんが黒幕だったこと。一連のさわぎ。白紙の証書は、三人による自作自演だったことを鬼柳ちゃんが認めました」
「……それが君の見せる解決なのか?」
パッと開かれた瞳は、どこか柔らかみを感じさせてぼくの心をザワつかせる。
「そうあわてないでください。まだ、これは前提条件なんですから」
ぼくはわざとらしく、
「オホン」
と喉を鳴らして推理を披露していく。
「はじまりは鬼柳ちゃんです。ぼくのために謎を作ってくれた。中原先輩もそれに協力してくれた。おそらくはぼくのために」
先輩はふふっと笑い、
「君への感謝の気持ちだ」
と笑顔を向ける。
「いやあ、照れちゃいますね。だけど先輩には、もうひとつの思惑があったんです」
榎本琴音ちゃんを求めたときには、もうひとつの目的は決まっていたはずだった。
「先輩はぼくに言いましたよね。『期待しているよ、守屋君』と」
とつぜん話題が飛んだものだったから、すこし戸惑ったようだ。それでも口もとには余裕が。目もとには期待が見て取れる。
「ん、ああ。たしかに言ったな。いまも期待しているよ」
「期待しているって、前向きな、希望に満ちた言葉ですよ。世界の命運を託したり、奇跡を求める時にはぜひとも使いたい」
膝に乗せた手を、ぐっと握り込んだ。
「でもですね。悲しいかな、世界はそんなにドラマティックじゃないんです。映画の世界じゃないんだから、ヒーローや勇者になんて──。そう簡単にはなれませんよ」
ぼくは、だれかに期待されるような大層なヒーローにはきっとなれないのだろう。まあ、なりたいと思ったこともないけど。
「それならですよ。ぼくら一般人が日常的に一番多く、『期待している』と言うのはどんな時なのかわかりますか?」
さらりと長く、美しい髪を指でくるくるといじりながら先輩は考えている。その姿さえ艶めかしく見えてくる。
「助力を得る時。大会、とかだろうか」
ゆっくりと頭を振り、はっきりと言う。
「期待している。幸運を祈る。goodluck。これらはね。運否天賦、天任せ、他人任せ。全部が全部、自分じゃ手出しのしようがない、ギャンブルに挑むときにいちばん使われている言葉なんですよ」
吸い込まれそうな瞳をじっと見つめる。
「先輩はぼくをギャンブルに使ったんだ」
髪を指にくるっと巻いたままで、先輩は固まった。瞳はこちらをじっと見ている。
「ギャンブルか。たしかに、言われてみればそうなるのかな。私は君に委ねたんだ」
くすっと笑い、
「賭けた、とも言えるか」
と言う。
悪びれる様子もない。
勝手に賭けられる身にもなって欲しい。そんなの責任重大じゃないかと、ぼくは賭けられたウマに代わって代弁しておこう。まったく、勘弁願いたいものだと。
「先輩はこの事件の真相を、ぼくが正しく解けるのかどうかを賭けていたんです」
「分のある賭けだとは思わないか?」
不敵に笑みを浮かべる先輩に、ぼくはなんと答えれば良かったのだろう。
「守屋君、君はたしか解決にたどり着いたと言っていたな。ならば私が何を賭けたのかも当然、知っているのだろう?」
指を離した髪が、ハラリと揺らめいた。真剣なまなざしが遠慮もなしに突き刺さってくる。刺さる視線がいたかった。
先輩は母親と揉めた時に感謝していると言ったけれど、君のせいだとも言った。
ぼくのせい──、なのか。
責任がある──、のか。
はあ、とため息をついた。
「どうなっても知りませんからね。ぼくは責任を負いませんよ」
キョトンとした顔でぼくを見て、
「責任か。なんだ、取ってくれないのか」
と悪戯な笑顔をし向けてくる。
……この顔はからかっている顔だな。
そして口もとに笑みを含んだまま言う。
「では、賭けの結果を聞こうじゃないか。私は勝ったのか、負けたのか」
ぼくは深く息を吸ってから話し始める。
「先輩はアガサ・クリスティのABC殺人事件をもう読みましたか?」
「君は、ネタバレを気にしているのか」
と首をかしげる。
「読んだことがない者や、これからいずれは読むだろうという者への配慮ならば、私 には必要のないことだ。もう読了済みよ。つづけてもらっても一向に構わない」
そう、なら安心だねと続ける。
「ABC殺人事件は、ある物を隠すために法則にのっとった犯行が起こります。先輩も同じように、あの連続の白紙の証書の中にある想いを隠していたんです」
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