第72話 おまんじゅう

 それはデートに誘った相手に言うセリフじゃなかったのかもしれない。鬼柳ちゃんのぷらぷらとしていた足は轟音を奏でて、ぼくの足をスカっと蹴っ飛ばしていった。


 今度は逃げるヒマもまったくない。


「連れていってあげる」

 と、すこしツンツンとした風に言う鬼柳ちゃんには丁重にお断りを入れておく。


「場所だけで大丈夫だよ。だってさ、デートはふたりきりでしたいものじゃないか」


 今度はあきれ果てているのだろうか。口を開けたままで固まってしまった。


 ようやく動き出したと思ったら、

「守屋くん。お土産もいいよね」

 と笑顔で、再び呪文を詠唱しに行った。


 ありがたいね、甘い物は心を落ち着かせる。ぼくの財布にはありがたくないけど。プリプリとしながらではあったけど、鬼柳ちゃんは中原先輩の住所を教えてくれた。


 鬼、もとい。ぐるぐると赤いマフラーを巻き直した鬼柳ちゃんを見送って、ぼくは教えてもらった先輩の家へ向かって歩く。歩きながら、中原先輩に電話をかけた。


『もしもし』


「先輩、今から会えませんか」


『随分と不機嫌そうな声だな、守屋君』


 不機嫌にもなるというものだ。


「いま、先輩の家へ向かっています」


 しばし沈黙。


「解決にたどり着いたと思います」


『そうか。なら、家へ招待しよう。そのまま来てくれても構わない』


 電話を切って先輩の家へと向かう。これが何にもないただのデートだったなら、天にも昇る気持ちになれていたのだろうか。ぼくの足取りは次第に重くなっていく。


 別れの時は、確実に近付いている。


 先輩の家に着いたら玄関でぼくを出迎えてくれた。すごく立派で大きな家である。


「やあ、いらっしゃい」

 

 先輩はフリフリとしていて可愛らしい、まるでドレスのような服装をしていた。


 先輩の美貌と相まって、さながらお姫様のようにも見えてくる。綺麗だなと見惚れてしまうぼくの視線に気付いたのだろう。袖を掴み、困ったような顔をして言った。


「似合わないだろう? 母の趣味なんだ」


 似合いすぎるほど似合っていた。このまま街へ繰り出したなら、いったい何人の男が振りかえるというのだろう。ただそれはこの場合ほめ言葉になるのかわからない。


「綺麗、です」


 恥ずかしがりながらも、ぼくは言った。この言葉がぼくの精一杯だ。ふふっと先輩は微笑ってくれて、部屋へと案内される。


「さあ、ここが私の部屋だ」


 初めて入る女の子の部屋だ。本来ならば期待と緊張、戸惑いと様々な感情が押しよせてくる物なのだろうと妄想を膨らます。


 でも押し寄せてくる感情は虚無だった。


 なぜなら通された部屋はがらんとして、中には一組の布団がぽつんとあるだけだったから。当然、色艶のある話ではない。


「これは揉めた結果ですか?」


「いや、これは揉めて敗けた結果だよ」


 やれやれ、とでも言い出しそうな雰囲気で首を振っている。中原先輩は親と揉めたと言っていた。この卒業シーズン、揉める理由なんてものはだいたい決まっている。


 いつから揉めていたのかは分からないけれど、きっと進路の事で揉めたのだろう。そして先輩は敗けたのだと言う。


「春から、どこへ通うんですか」


「県外の音楽校だ。荷物はもう全部、そちらに送ってしまったよ」


 何でもない口調で、何でもないことのように言う。何ともないのだろうか。


「……言ってくれないんですね」


「君は、聞かなかったじゃないか」


 困った笑顔を作る先輩に何も言えない。言葉に詰まってしまう。確かに聞きはしなかった。どこか遠い存在だと思っていた。黙りこくってしまったぼくに代わり、先輩は優しく声をかけてくれる。


「まあ、落ち着きたまえよ、守屋君。とにかく茶でも出そうじゃないか」


 そう言って先輩は、どこからか持ち出した座布団を手渡してくれた。部屋でしばらく待つと、お茶とおまんじゅうを手に再び現れる。意外に和風が好きなのだろうか。


 お茶をすすりおまんじゅうをひとくち。確かに甘い物は心を落ち着かせてくれる。教えてくれた鬼柳ちゃんに感謝しとこう。


 先輩はお茶には手を付けず、言った。


「さて、聞かせてもらおうか。君の見せる解決を」


 その言葉に意気込んで話そうとしたら、おまんじゅうがのどに詰まる。慌ててごくりとお茶で流し込む。あぶないあぶない。


 ふうとひと息。落ち着いていこう。

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