第9話

イオリの家を出て、駅までの夜道をイオリと一緒に歩いた。

 イオリのお母さんのキャラには圧倒されたが、歓迎してもらえてよかったと思った。息子が誰かを家に連れてくるというのは、親としてはやはり嬉しいものなのだろう。

 俺は、ふと初めて出来た彼女を家に連れてきた時のことを思い出した。母が過剰な程のおもてなしをしていた事を覚えている。

「そういえば、イオリは好きな子とかいないのか?」

 ふと気になって、俺の横を歩くイオリに訪ねてみた。

「何ですか。藪から棒に。」

 お、ちょっと動揺しているのか?

「さては、いるんだな?」

 俺は、ついニヤニヤしながら聞いてしまった。イオリは、少し間を置いたが、すぐに観念したように言った。

「いますよ…。」

 そう言ったイオリは、顔を赤らめて、俺の方を決して見ようとしなかった。どんなに大人びていても、やっぱりこういうところはちゃんと高校生なんだな、と思った。

「同級生か?」

「はい、そうです。」

「どんな子なんだ?」

「随分グイグイきますね。」

 イオリは、不満そうに言った。

「いいだろ、気になるんだよ。もう告白とかしたのか?」

 酔っていた事もあって、ついつい根掘り葉掘り聞いてしまう。

「していませんよ。するつもりもありません。」

「えっ、なんでだよ。」

 あまりにきっぱりとイオリが断言するので、驚いて聞き返した。

「僕なんかが想いを伝えたって、困らせるだけですから。」

「僕なんかなんて言うなよ!」

 俺は、イオリの華奢な肩を両手でガッと掴んで言った。イオリは、驚いたように目を見開いて俺を見る。

「僕なんかなんて言うな。イオリみたいないい子が自分を過小評価するような事を言っちゃ駄目だ。自分の可能性を狭めちゃ駄目だよ。」

 考えるより先に言葉が勝手に出た。こんなの、どの口が言うんだと思った。

 俺だって自分のことを " どうせ自分なんて " みたいに思っている。

 でも、イオリみたいな優しくていい子が自分を卑下するような言い方をする事が、とてもやるせなかったのだ。

「男爵さん、肩、痛いです…。」

「あ、ごめん!」

 つい力を込めてイオリの肩を掴んでしまっていた事に気づき、慌てて手を離した。

「ごめんな。痛かった?」

「いえ、大丈夫です。」

 少しの間、沈黙が流れた。

「…想いを告げないのは、叶わないとわかっているからです。」

「え、何て言ったんだ?」

 イオリの声があまりに小さく、聞こえなかった。

「…何も言っていません。」

「明らかに何か言っただろ。」

「空耳かと。」

「おま…!」

 何か重要な事を聞き逃してしまったような気がしたが、しつこく聞くのも悪い気がして、黙っているうちに、駅に着いてしまった。

「…じゃあ、またな。今日はありがとう。」

 俺はそう言って、改札に向かおうとした。

「あ、男爵さん。」

 イオリが俺を呼び止め、続けて言った。

「あの、今日は楽しかった…です。」

 こういう台詞は言い慣れていないのか、イオリの声は少し震えていた。

「あぁ、俺も楽しかったよ。」

 俺はそう答えた。本当に楽しかった。イオリと過ごす時間は、好きだった。 控えめに言って、かなり好きだった。


-----------------

事件が起きたのは、日曜日の夕方。強い雨の降る、肌寒い日だった。

 スマホが何度もけたたましく鳴っていた。上司からの連絡だった。

 休日に連絡が来るなんて、何か問題があったに違いない。ドキドキしながら通話ボタンを押した。嫌な予感は、的中した。

「もしもし、小椋か。休日中にすまんが、先月リリースしたシステムで重大な設定ミスが見つかった。悪いが、今から会社に来て欲しい。」

「は、はい…、わかりました。」

 スマホを持つ手が震えた。休日に呼び出されるなんて、相当大きな問題が起きたと言う事だ。

 行きたくないけど行かない訳にはいかない。社畜の俺に拒否権などない。俺は、急いで身支度をして、会社へ向かった。

 社内はものものしい雰囲気に包まれていた。話を聞くと、監視システムで見た事もないアラートが上がっており、その場にいた運用監視チームで調査をしたところ、システムへの設定ミスだということがわかったそうだ。

 既に世に出ているシステムで障害が発生するというのは、非常に由々しき事態だ。 そして、休日に招集をかけられたということは、俺の所属するチームが行った手順で設定ミスがあったという事になる。

 管理職層は、顧客からみっちり問い詰められたらしく、げっそりとした顔をしていた。 ものものしい雰囲気のまま打ち合わせが開かれた。

 俺の上司が今後の動き方について口を開く。

「とにかく、原因調査と対策をこれから行う必要がある。どの手順でミスをしたのか、それをどうやって修正すべきか、それを各チームで調べて欲しい。時間がないから協力して動くように。じゃあ、早速取り掛かってくれ。」

 上司の掛け声で俺らは仕事にとりかかった。俺は、どの手順書でミスがあったのかを調べた。

 ひとつのシステムを作るのに膨大な量の手順を行う。それらの中から、ひとつのミスの原因を見つけ出すのは至難の業だった。

 チームで協力し、目を凝らしながらひとつひとつの手順を眺めていった。 

  3 時間程経ち、夜の 22 時過ぎになった頃、チームメンバーの一人が「見つけました!」と声を上げた。

 彼は、そそくさと上司に報告に向った。とにかく早く帰りたかったのだろう。彼の足取りから、その感情を感じ取る事ができた。

 どちらにせよ、見つかって良かった。これで、設定ミスの修正方法もすぐに確立できるだろう。俺はほっと胸を撫で下ろしていたが、それも束の間だった。

「小椋、ちょっといいか?」

 暫くしてから、俺は上司に呼び出された。

「あ、はい。」

 なんだろうと思いながら、俺は上司の後に続いた。わざわざ会議室へと移動させられ、扉を閉めてから席に付く。

 妙に神妙な面持ちをした上司は、俺の目の前に座った。静まり返った会議室の中で、上司がゆっくりと口を開いた。

「小椋、この手順書、見覚えないか?」

 そう言って、上司が 1 枚の手順書を俺に見せつけてきた。

「あ、これ…。」

 見覚えはあった。それは俺が使った手順書だった。

「そうか…。」

 上司は、少し残念そうな表情でそう言った。

「え、どういう事…ですか?」

 俺の少し震えた声が、会議室に響いた。上司は、手順書の一部を指差して言った。

「この手順でどうやらミスがあったようなんだ。調べると、この手順を実施したのは小椋だった。」

 心臓がバクバクと鳴り始めるのを感じた。まさか、自分が手順を間違えて設定してしまった事が、この障害の原因だったなんて…。

「も、申し訳ありません…」

 俺の声は、情けない程に震えていた。上司の顔を真っ直ぐに見る事が出来なかった。

「小椋、謝ることはない。誰にでもミスはある。だが、今回のは、ちょっと問題が大き過ぎる。早急に対応しなければならない。事態が解決するまで協力してくれるな?」

「はい、わかりました。本当に申し訳ありません。」

 それからは、本当に大変だった。まず、社内の上層部に経緯を説明する。次に、報告書を作成して、お客様に謝罪をした。

 障害の規模が大きかった事もあり、お客様からはかなりの罵詈雑言を浴びせられた。俺は、上司と共に深々と頭を下げる事しか出来なかった。

 ようやく、お客様の怒りが収まり始めた頃には、深夜の2時を回っていた。 しかし、当然休む間など無く、俺達は一丸となって、誤った設定を修正する為の手順を急いで作成する。その手順を社内で確認し、お客様に報告し、朝になる前にシステムに適用する。

 必死だった。

 徹夜で対応してくれている仕事仲間や、一緒に頭を下げてくれた上司と目も合わせられない。全て自分のせいだ。

 申し訳なさ過ぎて、情けなさ過ぎて、不甲斐なさ過ぎて、泣き出しそうになるのを堪えながら、必死で対応をした。

 設定の修正が完了した後も、システムが問題なく稼働することを見届ける必要があり、眠い目をこすりながら、その場に留まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る