第6話

その店は、かなり人気のあるラーメン屋で、土日のお昼時は結構並んでいる。

 だから、俺達はあえてピークを少し過ぎた 14 時頃に待ち合わせをした。

 魚介系スープのあっさりしたラーメンが売りのお店で、こってり系が苦手な俺には調度良い味だった。

 そういえば、元カノがこのお店を気に入っていて、付き合っていたときはよく一緒に来たなとふと思い返した。

「お待たせしてすいません。少し迷ってしまって。」

  14 時を 2,3 分過ぎた頃に、少し息を切らせながらイオリがやってきた。

「よぉ。そんなに急がなくてもよかったのに。ラーメンは逃げたりしないし。っていうか…。」

 俺は、イオリの格好を見てから言った。

「今日、私服じゃん。」

 そう、今日のイオリは制服ではなかった。

 下はジーパン、上はモノトーンのパーカーの上に、少し大きめのコートを着ていた。

「前回、制服を着てきた理由を問い詰められてしまいましたので、私服を着用しました。」

「別に問い詰めちゃいないだろ。」

 俺は笑いながら答えた。

 本気なのかボケなのかわからないイオリの物言いが、俺は結構好きになってきていた。

 俺らは、ラーメン屋に入った。

 店内は、そこそこ混んでおり、俺らはカウンター席に横並びで座らされた。

 イオリは落ち着かない様子でキョロキョロとあたりを見回していた。

「どうした?落ち着かないか?」

 俺が声をかけると、はっとした様子で答えた。

「すみません。物珍しくてつい。」

 そうか、ラーメンはあまり食べないと言っていたな。

「友達とラーメン食べに行ったりしないのか?ほら、学校帰りとかにさ。」

「行かないです。放課後は、基本的にピアノの練習をしていますので。それ以外は、アルバイトか部活動をしています。」

「部活、何やってるんだ?」

「天文部です。」

「そこは、音楽系じゃないんかい。」

「はい、そうです。」

 俺のツッコミに対して、普通に返事をされてしまった。

 そして、テーブルに並べられたニンニクやラー油などの入れ物を、興味ありげに一つ一つ蓋を開けて中を見たりしていた。

「天文部って、どんな活動するんだ?」

「天体観測やプラネタリウムの制作です。活動自体、週一回ですが。」

「なんで天文部に入ったんだ?星が好きなのか?」

「はい。」

「へー、星の何が好きなんだ?」

 システムエンジニアの癖かもしれないが、ついつい掘り下げて質問をしてしまう。

 俺は何気なく聞いただけだったのだが、イオリがラー油から目を離してこっちを向き、言った。

「星の魅力、聞きます?」

 眼鏡の奥の瞳が心なしか輝いて見える。もしかして、何か変なスイッチ押した?

「ま、まぁ聞こうかな。」

 俺がそう答えたのがスタートの合図になったようで、イオリは語り始めた。

「恒星って知っていますか?」

「ごめん、わからん。」

「星の中でも、自ら輝くのは恒星だけです。恒星がなければ宇宙は真っ暗になってしまいます。」

「地球は?」

「地球は自ら輝かないので惑星です。太陽は恒星ですね。」

「星ってさ、 2000億個くらいあるんだよな?」

「そうです。詳しいですね。」

「何かのテレビで見たんだよ。」

「 " 星の数ほど " という例え言葉もありますしね。本当に限りなく広くて果てしないですよね、宇宙って。」

 イオリはボンヤリしながら言った。

 あぁ、これはもう自分の世界に入ってしまっているな、と俺は思った。

 イオリは続けた。

「星には、実は寿命があるのです。恒星は超新星爆発という爆発によって最期を迎えます。例えば、太陽の寿命は 100億年と言われていますが、もう 45億年経過しているのです。よって、あと 55億年したら太陽もなくなってしまうのです。」

 イオリは、一息ついてから言った。

「それを初めて知った時、生命と同じだなって思いました。宇宙は限りなく広くて果てしなくて、それに比べて、生命はとても小さな存在です。でも、そんな果てしない宇宙に存在する星にも、生命と同じように寿命があるのです。その不思議さに魅了されたのが、天文部に入った理由です。」

 一気に喋って喉が渇いたのか、イオリは水を一口飲んだ。

 イオリと会うようになって、少しずつ彼の事がわかってきたような気がする。

 純粋で、感受性が豊かで、大人しそうに見えて意外とよく喋る、気遣いのできる優しい子だ。

 何故か、急に軽口を叩いてみたくなって、言ってみた。

「星について語るイオリも輝いていたよ。まるで、恒星みたいに。」

「…はい?」

 イオリは、首を傾げながら言った。

 こいつ、なかなか笑わないよなぁ。いや、今のは俺がスベっただけか?

 感受性が豊かな割に表情が乏しい彼を笑わせてみたかったのだが、なかなかハードルは高いようだ。

「お待たせしました!!」

 突然、前から声をかけられ二人揃って顔を上げた。

 元気の良い店員がラーメンをカウンター越しに出してくれた。

ラーメンを受け取り、テーブルに置くと魚介の香りが鼻をつき抜けた。

「あ、おいしい。」

 隣でラーメンを啜ったイオリが感嘆の声を漏らした。

「うまいか、よかった。」

 俺は言った。

 うまいと言う割に、相変わらず無表情のイオリがなんだか面白かった。

 確かに、俺の周りでも表情を変えずにひたすらご飯を食べる人は何人かいるが、そんな時は、ついつい「本当にうまいと思ってる?」と聞きたくなってしまう。

「こんなにおいしいお店を知っているなんて、男爵さんは食道楽ですね。」

 相当気に入ったのか、箸が止まらないようだった。

 そんなイオリを、ついじっと見てしまった。

 ピアノにしても、星にしても、今食べているラーメンにしても、好きなものを真っ直ぐに好きになれる、ひたすらそこに突っ走れる、そんな少年らしい純粋さが羨ましかったのかもしれない。

「俊太?」

 ふと、後ろから女性の声がして振り返った。

「由希…?」

 その女性と目が合ってから、元カノだと認識するまでに数秒かかった。 驚いた。別れてから会うのは初めてだった。

 確かに、このラーメン屋には付き合っている時によく行っていたが、まさか遭遇するとは思わなかった。

「由希、知り合いか?」

 由希の後ろから来た男性が言った。

「あ、うん。学生の頃の友達。」

 由希は、そう言って俺の事を紹介した。何と言っていいかわからず、とりあえず軽い会釈をした。

「俊太、じゃあ…ね。」

 そう言うと、由希は、その男性と一緒に奥の席に入って行った。結局、連れの男性の事を俺に紹介してはくれなかった。

 まぁ普通に考えて、ただの友達じゃないだろうな。一方の俺の事は、 " 学生の頃の友達 " と言っていたが、それもまぁそうだろう。まさか " 元カレです " なんて言えやしないだろうしな。ただ、もう少し戸惑ってから言ってくれてもいいじゃねぇか、とは思ったけど。

「ラーメン、のびますよ。」

 俺が箸を片手に固まっていると、イオリが横から言った。

「あ、あぁ。そうだな」

 こいつ、冷静だよな。普通、「今の誰ですか?」とか聞くよな。

 なんて思いながら、ラーメンをズルズルと啜っていると、少し間を置いてからイオリが言った。

「今の方、前の恋人ですか?」

「ゴフッ!」

 危うくラーメンを喉につまらせるところだった。慌てて水を飲む。

「な、なんでそう思ったんだ?」

「雰囲気です。」

イオリは眼鏡をくいっと上にあげて言った。こいつ、意外と鋭い。興味ない振りして、ちゃんと見てやがるんだな。

「脱帽だわ。」

「図星だったようですね。」

 俺とイオリは一瞬目を合わせて、一言ずつ会話を交わした。そして、ほぼ同時にラーメンを啜った。

「ひとつ聞いてもいいですか」

 また、少し間を置いてからイオリが言った。

「ん?何?」

「先程の方と付き合い始めた時は、どちらから想いを告げたのですか?」

 あれ、イオリって意外とこういう恋愛話にも興味があるのか?

「確か俺の方からだったかな。好きですってストレートに言ったよ。今思うけど恥ずかしい思い出だけどな。」

 俺は照れ笑いをしながら言ったが、イオリは妙に真剣な面持ちで言った。

「好きなものを好きと言えるって素敵ですね。」

 目を伏せたままのイオリの口から放たれたその言葉の真意が俺にはわからず、言葉を発するタイミングを逃してしまい、イオリのラーメンを啜る音が耳をついた。


「美味しかったです、ご馳走様でした。」

 ラーメン屋を出るとき、イオリが丁寧に頭を下げて言った。

「あぁ、全然いいよ。」

 俺はあさっての方向を見ながら答えた。

「男爵さん、元気ないですね。」

「え、いや、そんなことないよ。」

 本当はそんな事あった。元カノが彼氏らしき人を連れてきて、俺の事を " 学生時代の友達 " と紹介したのだ。別れているとは言え、さすがに少しは落ち込むだろう。

 イオリは、そんな俺の様子をじっと見てから言った。

「男爵さん、この後時間ありますか?」

「ん?まぁ予定は特にないけど…。」

「僕、楽譜を買いに行きたいんですけど、よかったら一緒に行きませんか?」

 これは、もしかして、また気を遣わせてしまっているのでは?と思った。イオリは、気遣い屋さんだと言うことはわかっていた。この誘いも、俺が肩を落としているのを気にしてくれたのだろう。

「いいよ、行こうか。サンキューな。」

 そう言って、俺はイオリの肩に手を置いた。細い肩だなと思った。

「それは、何に対しての " サンキュー " ですか?僕は楽譜を買いたいだけですよ。」

 イオリはまた眼鏡を上にクイッとあげながら、相変わらずの無表情で言った。

 これも気遣いのうちのひとつなのか、ただの本音なのか、よくわからなかったが、この際どちらでも良かった。この掴み所のない感じがイオリの良さだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る