第3話

それ以来、Twitterに「弾いてみた」の動画を載せることが増えた。その度に、「いいね」やらコメントやらフォローやらをもらい、フォロワー数も日に日に増えていった。

 こんな俺の動画がそれなりに人気を博している理由を、俺なりに分析してみた。

 どうやら、他の「弾いてみた」の動画は、趣味でピアノをやっている人が練習も兼ねてアップしているものが多いようで、曲がりなりにも幼少の頃からピアノを続けており、音大を目指すくらいの力量はあった俺の演奏は、その中で、一際目立ったようだった。

 平日は帰りが遅いので、基本的には土日にピアノを演奏しては動画を撮り、Twitterに載せた。

 通勤の電車の中でも、次は何を弾こうかと考えながら一人でニヤニヤしていた。

 気付けば、それは、多忙な日々を過ごす俺の唯一の楽しみとなっていたのだ。

 

 そんなある日、こんなコメントをくれた人がいた。

「ピアニストの方ですか?」

 いやいやいや!

 とんでもない!

 いくらなんでも、そこまで高度な演奏を披露した覚えはない。ピアニストだなんておこがましいにも程がある。

 俺はしがないサラリーマンですよ。なんなら社畜ですよ。

 そう返事をしようと思ったのだが、少し考え直した。

 この動画を見ている人は、俺の知り合いではない。現実の俺を知っている人は、誰もいないのだ。

 馬鹿正直に事実を言わなくても良いのではないだろうか。

 そんな考えが頭をよぎった次の瞬間には、コメント欄にこう打ち込んでいた。

「はい、ピアニストです」

 おい、何、冷静に嘘吐いてるんだよ!

 と、自分に突っ込みを入れた。

 ピアニストと思われたくて、ついつい嘘を吐いてしまった。それも、ピアニストだなんておこがましいと思った数秒後に。

 そもそも、このコメントをくれた人は冗談交じりに質問しているだけかもしれないではないか。それに対して、本気で悩んだ挙句、嘘を吐くなんて。

 コメントを書いてからすぐに、とてつもない恥ずかしさに襲われ、慌てて消そうとした瞬間、ダイレクトメッセージ(DM)の通知が付いた。

 このコメントをくれた人からだった。

 な、なんだろう…。

 ドキドキしながら開封する。

 それは、長いメッセージだった。

「はじめまして。無言でフォローさせて頂いた上に、突然メッセージを送付してしまい、ご無礼をお許し下さい。メトロノーム男爵さんの演奏が素晴らしく、大変感銘を受けました。やはりピアニストの方なのですね。しっかりとしたタッチでありながら、優しい音色で、琴線に触れました。これがプロの演奏なのですね。感動致しました。」

 これは、困った。

 こんなメッセージをもらってしまっては、今更、ピアニストではないなんて口が裂けても言えない。

 それにしても、大袈裟過ぎはしないか?どうも自分の演奏が過大評価され過ぎている気がするのだが。

 というか、そもそもコイツ誰だ。

 この馬鹿みたいに丁寧な文面は何なんだ。なんだか怪しい感じがしてきた。

 ユーザー名は「イオリ」と書いてある。名前から言って女性だろうな。

 俺は疑心暗鬼になりながら、奴のページを見る。

 プロフィールには、こう書いてあった。

 「イオリです。 16 歳です。高校 2 年生です。」

 高校生?こんな馬鹿丁寧な文面を高校生が書いたのか?

 ますます疑惑が湧いてきた俺は、プロフィール欄の次の言葉に目が止まった。

「ピアニストを目指しています。」

 この一文で、少しだけ納得がいった。そうか、それでこんなに食いついてきたのか。俺なんかの演奏に。

 プロフィールに書いてあるのはここまでだった。

 過去にツイートをしていないようで、彼女のページからこれ以上の情報は得られなかった。

 俺は、少し彼女に興味が沸き、メッセージを返すことにした。

「ご丁寧にありがとう。イオリさんは高校生?ピアニストを目指しているの?」

 あの馬鹿丁寧なメッセージに、いきなりタメ口で返信をしてみたが、高校生に敬語を使う気もしないので、まぁいいだろう。

 ちなみに、「これがプロの演奏なのですね」みたいな文に対しては特に触れなかった。

 数分もしないうちに返事が返ってきた。

「ご返信、ありがとうございます。はい、高校生です。恥ずかしながら、ピアニストになる事を目標にしています。まずは、音楽大学への合格を目指し、日々勉学に励んでおります。」

 どうやら、本当に高校生のようだ。そして、育ちがいいようだ。自分が高校生の時に、果たしてこんなにちゃんと敬語を使えていただろうか。

 そんなことを考えていると、間髪入れず 2 通目のメッセージを受信した。

「わたしは、ピアニストの方と会話をするのは初めてです。色々教えて頂きたいので、これからもメッセージを送付させて頂いても宜しいでしょうか?」

 もはや、嘘を突き通すしかないな。とはいえ、たかがネット上の関係なのだから、そんなにかしこまることも無いだろう。むしろ、所詮ネットの世界なのだから、少し自分を偽るくらい、誰に迷惑をかける訳でも、誰に咎められる訳でもないだろう。

という結論に至った俺は、こう返信した。

「もちろんいいよ、よろしくね。」


それ以来、イオリと頻繁にメッセージのやりとりをするようになった。

 彼女は相変わらず俺の事をピアニストと信じ込んでおり、「ピアニストの 1 日の生活ってどんな感じですか?」「どういうところでピアノを弾くのですか?」と、とにかく質問攻めだった。

 俺はその度に、ピアニストの生活スタイルについてネットで調べ、「 1 日、 10 時間は練習してるよ」とか「バーやレストランで弾いたり、コンクールに出たりしているよ」といった回答をした。

 最初こそ、何をやっているんだろうという気持ちがあったが、最近は、ピアニストの自分を演じられる事に、一人で悦に入るようになっていた。空想の自分を演じるのはなかなか悪くない。偽りの姿とはいえ、なりたいと思っていたピアニストになれているのだから。

 ネットの世界だからこそできる事だ。裏アカ様々だな、と思った。

 そのうちに、お互いに " イオリ " 、 " 男爵さん " と呼び合うくらいには打ち解けてきた。

 俺のアカウント名は " メトロノーム男爵 " だから " 男爵さん " となった訳だが、どうせ呼ばれるなら、もう少しまともなアカウント名にすればよかったと少しだけ後悔した。

 イオリはどうやら、一般的な高校生と比べて趣味嗜好が随分ズレている事がわかった。

 例えば、「最近の高校生って、どんな音楽聴くの?」とメッセージを送ると、「流行りの音楽は聴きません」という回答が返ってくる。

「え、じゃあ音楽は何も聴かないの?」

 続けて、俺は問いかける。

「クラシックは聴きます。あと、男爵さんが弾いていた『恋するフォーチュンクッキー』のような、有名な J-POP は知っています。」

 と、イオリから返信が来る。

 まぁピアニストを目指しているくらいだから、そうかもしれないが、高校生なのにクラシックしか聴かないというのは、なかなか渋いなと思う。

「そうか。それだと、周りの友達と共通の話が出来ないんじゃないか?」

 俺は心配になって聞いた。

「はい、その自覚はあります。それに対して何かを想う事はありませんが。」

 なかなかマイペースな子だな。女の子同士だと、気を使って、友達と話題を合わせたりしそうなものだが。

「男爵さんは、どのような音楽を聞きますか?やはりピアニストなので、専らクラシックでしょうか?」

 続けてメッセージがきた。まぁ確かにクラシックも聴くが、J-POPを聴くピアニストも普通にいるだろうから、ここは素直に答えてもいいだろう。

「俺は、クラシックも聴くし、それ以外も聴くよ。洋楽よりも邦楽が多いかな。」

「そうなのですね。何か推薦する曲はありますか?」

 推薦って…。

 今時の若者だったら「推しの曲ある?」という言葉遣いをしそうなものだが。

 俺は、自分が高校生の頃に好きだった音楽を思い浮かべてみた。

「うーん、俺が 10 代のときは『 L'Arc ~ en ~ Ciel 』が好きだったよ」

「それは、演奏家の名前でしょうか?」

 そんな訳無いだろ!

「いや、バンド名ね。」

「そうなのですか。恥ずかしながら存じ上げなかったので、学校で友人に聞いてみますね。」

 こういった感じで、イオリは高校生らしからぬ言動で毎回俺を驚かせ、そのお陰で、俺らのやりとりはちょっとした漫才のようだった。

 最初の方こそ、最上級の尊敬語を使って、これでもかというくらい謙遜した態度で接してくれていたのだが、やり取りを繰り返すうちにそれなりに砕けてきたと思う。それでも言葉遣いが丁寧なのは変わらないのだが。

 そんなイオリとのやりとりは、なんだか新鮮で、楽しかった。

 ちなみに、後日イオリから、数人の友人に聞いたが、 L'Arc ~ en ~ Ciel を知らなかったという報告がきた。

 今の高校生、ラルクを知らないのか、と驚かされた。

 

 ある日、イオリから「今度、もし宜しければお会いしませんか?」 というメッセージが届いた。

 突然の誘いに少し驚いていると、続いて 2 通目のメッセージが届いた。

  「実は、親戚の方からクラシックの演奏会のチケットを 2 つ譲ってもらったのですが、周りにクラシックに興味のある友人がいないのです。チケットが勿体無いので、よかったら如何かなと思い、お声掛け致しました。」

 なるほど、そういう事か。

 クラシックの演奏会…。

 音大を目指していた割に、演奏会といった類のものにはあまり行ったことがなく、行ってみたいという気持ちはあった。 お互い都内に住んでおり、偶然にもかなり家が近い事はわかっていた。

 会うことに関して、俺は何ら問題を感じていなかった。

 むしろ、イオリがどんな子なのか、興味は日々増しており、会ってみたいという気持ちは大きかった。

 少なくとも、今はもう怪しい子という感じはしないし、俺の事をピアニストと信じ込んでいるので、ある程度「振り」をしておけばボロが出る事もないと感じている。

 俺の中でのイオリは、言っちゃ悪いが、ボサボサの髪で、化粧もせず、眼鏡をかけて、休み時間も読書をしていそうなガリ勉のイメージだ。

 俺はこう返信してみた。

「俺はいいけど、いいのか?会ってみたら怪しい奴かもしれないぞ?」

 そう、俺は一向に構わないが、ネットで知り合った人とそんなに簡単に会おうとして良いのか、一応確認しておきたかった。

 イオリはまだ高校生だし、女の子だ。そこは、成人済みの大人として確認しておくべきだろう。

 すると、イオリからすぐに返事が来た。

「男爵さんは、怪しい人ではないので大丈夫です。確信があります。」

「その確信はどこからくるんだ?」

「たとえTwitterだけのやりとりでも、その人の人柄は文章の端々から読み取れます。怪しい人だったらすぐにわかります。」

「そういうもんかな」

「そう思います。それに、何よりもちゃんとしていない人には、あんなに綺麗な演奏はできません。ピアノの音色は嘘をつきませんから。」

 ちゃんとしていない人には、あんなに綺麗な演奏はできない。思わず読み返してしまった。

 俺は、「ちゃんとした人」なのだろうか。そもそも「ちゃんとしている」の定義って何だ。

 毎朝、決められた時間に起きて、満員電車に揺られて、会社に着いて、遅くまで仕事をして、終電に近い電車で帰る。

 そこに自分の意志はなく、目的もなく、ただただ同じ日々を繰り返す。

 そんな俺は「ちゃんとした人」なのだろうか。

 俺はイオリに返信した。

「よし、会おうか!」

「はい。」

 それから、俺らは、待ち合わせの時間と場所を決めた。

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