第2話

翌日、目が覚めたのは13時頃だった。

山口と別れてから、帰宅したのは午前3時頃で、シャワーも浴びずに寝てしまった。

 あれだけ毎日残業していながら、よくこんな遅い時間まで飲んでいられたものだ。

 我ながら呆れてしまう。  

 俺の家は、山口と飲んだアメリカンダイナーから徒歩 15 分程の所にある。 1K の何の変哲もないマンションに一人暮らしをしている。

 もぞもぞと布団から這い出て、シャワーを浴びた。

 それから、溜まっていた洗濯物を洗濯機へ突っ込み、スイッチを入れた。

 そして、今日は何をしようかと考える。彼女と別れてから、せっかくの土日を持て余している。

 映画でも借りて観るか、もう一眠りするかの 2 択しか思い浮かばない無趣味な自分に泣けてくる。そんな俺の横で、洗濯機は乾いた音を立てていた。

 布団の上に胡座をかき、その辺に転がっていたスマホを手に取る。

 特にすることもないので、とりあえず SNS のチェックでもしようと思い、何となく Twitter を開いた。俺の友人達が好き勝手にツイートしているタイムラインを、なんとなく眺めてみる。「○○にいったよ」「○○を食べたよ」といった内容が写真を添えてツイートされているものがほとんどだった。

 正直、他人がどこで何をしていようが興味はなかったので、なんとなく斜め読みしながらスクロールしていった。

 すると、それらのツイートに紛れて "# 踊ってみた " というタイトルのダンス動画を載せたツイートがあった。

 普段からツイートをしない俺は、タイトルの "#" の意味がわからなかった。

 だが、素人が歌ったり踊ったりしている動画を、「○○してみた」というタイトルでアップしているのはたまに見る。

 海外では、こういう動画が音楽関係者の目に止まってデビューが決まることもあるらしい。

 この動画をアップした友人は、確か学生時代からダンスをしていた。

 大学時代は、ダンスサークルに入っていて、文化祭でキレの良いダンスを披露していたのを見たことがある。

 確か、ロックダンスと言っていた。手首をクルクル回したり、指を指したりするようなジャンルのダンスだ。

 そんな彼の動画を見てみた。最近流行っているダンスボーカルグループの振り付けをコピーして踊っているもので、相変わらずのキレだった。

 純粋にかっこいいなと思った。実際、その動画には、既にたくさんの「いいね」が付いていた。

 長く続けてきた特技は、その人の個性として、その人自身を輝かせる。

 動画の中で踊る彼は、とても生き生きとしていて、羨ましいとすら感じた。

 彼の動画を見て、ふと、自分もピアノを弾いている動画でもアップしてみようかな…という考えが頭をよぎった。

 今までそんな発想はなかったが、せっかくピアノという特技があるのだから、それを動画に残してみるのも面白いかもしれない。

 それをアップし、「いいね」の 1 つ 2 つ貰えた日にはちょっとテンションが上がってしまうと思う。

 しかし、それには大きな問題がある。

 それを真っ先に見るのは、 Twitter で俺をフォローしてくれている友人達だ。

 何というか、自分が何かを披露している動画を、自分の事を知っている人達に見られるのは、想像するだけでとてつもなく恥ずかしい。

 ダンスの動画をアップした彼は、とても肝が据わっていると思う。もはや、それすらも羨ましい。

 そんなことを考えながらTwitter を眺めていると、ふと昨晩の高校生達の会話を思い出した。

 そういえば彼らも、Twitter の話をしていたな。

 画像がやばいとか、裏アカがどうとか…。

「裏アカか。」

 誰もいない部屋で一人静かに呟いた。

 そうだ、もう 1 つのアカウント、すなわち裏アカを作ってピアノの動画をアップしてみればいいじゃないか。

 そのアカウントには、自分だと特定されないユーザ名を設定し、自分が写っている写真も載せず、現実に繋がりのある友人達は一切フォローしない。

 そうすれば、そのアカウントが自分だとは誰にも気付かれない。

 何処の馬の骨かわからない奴がピアノ弾いてるわ、という程度にしか認知されない筈だ。

 ピアノを弾いて、動画を撮って、「弾いてみた」なんてタイトルを付けてTwitter にアップする。

 暇つぶしには調度良さそうだ。

「よし、久々に弾くか。」

 俺はまた一人で呟くと、立ち上がり、数年前に中古で買った電子ピアノの蓋を開けてスイッチを入れた。

 そして、本棚から楽譜を漁った。

 クラシックを弾いてみるのもいいかもしれないが、そこまで本格的に演奏するような気分でもなかったので、J-POPでも弾いてみることとした。

 そして、手に取った楽譜は「恋するフォーチュンクッキー」だ。

 1 年程前に、大学時代の友人の結婚式の余興でこの曲を弾き、他の友人達が曲にあわせて踊った。

 結婚式という晴れの舞台で、自分のような社畜がささやかながら一芸を披露するのだから、失礼のないように、ものすごく練習した記憶がある。曲はこれで確定だ。

 次に動画を撮る準備をした。

 自分の顔が写ってしまっては意味がないので、スマホの位置をうまく設置して、録画ボタンを押した。

 そして、何故か変な緊張感に包まれながら、おもむろに両手をそっと鍵盤の上に置き、演奏を始めたのだった。


納得のいく演奏ができた頃には、夕方になっていた。

 一度間違えるとそこで中断し、最初からやり直した。

 間違いが減ってきたと思うと、今度は、細かい強弱やニュアンスが気になり、更に何度もやり直した。

 気が付くと 3 ~ 4 時間くらい経っていたようだ。

 こんなに夢中になるなんて、自分はやっぱりピアノが好きなんだなと、どこか他人事のような心持ちで再確認した。

 何はともあれ、渾身の演奏動画が完成した。

 さて、次はアカウントの作成だ。

 早速、 Twitterで新しいアカウントの作成にとりかかった。

 メールアドレスはいくつか持っていたので、そのうちの一つをアカウントに使用することにした。

 また、スマホの電話帳のデータを自動的に取り込む事のないように設定をする必要がある。この設定さえしておけば、友人達にこのアカウントがバレることはない。

 あとは、アカウント名だ。

 なるべく自分の名前と関係のないアカウントにしたいなと考え、あたりを見渡す。

 すると、ピアノの上に置いてあったメトロノームが目に入った。

 次に、テーブルの方を見ると、料理しようと思いながらそのままにしていた男爵芋があった。

 アカウント名など本当に何でも良かったので、たまたま目に入ったものを組み合わせてアカウント名にする事にした。

  " メトロノーム男爵 " 。

 我ながら、センスの欠片もないネーミングだ。何が男爵だよ。まぁ、自分の些細な欲求を満たす為だけのアカウントなので、何ら問題はない訳だが。

 そうこうしているうちに、俺の裏のアカウント、通称裏アカが完成したのだった。

 そして、先程の動画をツイートしてみた。動画に添えるコメントが思い浮かばなかったので、友人の動画を真似して、 "# 弾いてみた " なんてタイトルにしてみた。

 そして、ツイートした動画を、確認の為、何度か再生してみた。

 我ながらなかなか完成度の高い演奏だ。しっかりとしたタッチで弾けているし、フォルテからピアニッシモへと変わる部分も強弱がしっかりと表現できている。

 一通り動画を見て、謎の達成感に包まれた俺は、腹が減っている事に気付いた。

 近くのファストフード店に行き、帰りにDVD でも借りてゆっくり鑑賞するか。  

 ファストフード店までは、徒歩で 20分程かかる。自転車を使いたいところだが、あいにく数ヶ月前から壊れている。

 そこそこの不便さは感じているものの、生活は出来ているので、結局そのままにしている。

 そうやって、俺は色々な事を " そのまま " にしているのだ。

 わかってはいるけど、それが自分の性格だと、自分で自分を納得させてしまっている。

 そのままスマホを閉じて、部屋着の上にコートを羽織り、外に出た。

 

 翌日の日曜日も、目が覚めたのは13時頃だった。

 昨晩は、海外ドラマを借りたのだが、見始めると止まらなくなってしまい、結局寝たのは 4 時頃。

 海外ドラマというものは、何故こんなにも続きが気になってしまうのだろう。毎回、話のラスト 1 分ぐらいに、「えっ、こいつこんな事するのかよ」と意外性の爆弾をぶち込んでくるので、どうしても続きを見たくなってしまう。麻薬のような中毒性だ。

 結局、一晩で 1 シーズン分をまるまる見てしまったが、早くも次のシーズンが気になっている。

 続きを借りて観ようかと悩みながら、何となく枕元のスマホを手に取った。

 そこで、昨日作った裏アカの事を思い出して、Twitter を立ち上げてみた。

 何気なく立ち上げたTwitterの画面。俺の目に飛び込んできたのは驚くべき光景だった。

 誰もフォローしていない筈の俺の裏アカの動画に、大量の「いいね」やコメントが付いていたのだ。

 おまけに、100人近くのユーザーからフォローもされている。

 何かの間違いかと焦り、色々確認したが、紛れもなく昨日自分で作った裏アカだった。

 落ち着いてコメント欄を見ると、自分が知っている人は一人もいなかったので、ひとまずは少し安心した。

 それにしても、そのコメントの内容が、「うますぎ w 」、「とても上手ですね」、「やばい、鳥肌」などと言った、まるで誰かにやらされているかのように、俺の動画をやたらと賞賛する内容ばかりだった事に驚いた。

 彼らが誰かは知らないが、褒められることは純粋に嬉しい。

 でも、それよりも…。

 何故、俺の動画を多くの人が閲覧し、たった一晩でこんなに反響があったのか。

 

 少し落ち着いて、色々と調べているうちに、多くの人が動画を見た理由がわかった。

 "# (ハッシュタグ) " だ。

 昨日、意味もわからず付けた # は、ハッシュタグと言って、それを付ける事で自分の投稿が検索されやすくなり、閲覧数が上がるのだ。

 つまり、俺の動画は、知らず知らずのうちに、多くの人々の目に触れていたようだった。

 こうなると、知人が見ている可能性があるのではと一瞬ヒヤッとしたが、そうなる事は相当な確率なので、まずありえないだろう。

 そういう訳で、多くの人が俺の動画を見た理由はわかった。理由がわかると、今度は純粋に嬉しさが込み上げてきた。

 ここまで称賛されるなんて夢にも思っていなかったし、そもそも、自己満足の為に撮った動画であり、人が見るなんて思ってすらいなかったのだ。

 なんだか、高校生の時に音楽室で、みんなの前でピアノを弾いたときを思い出した。

 「すごい!」「もっと弾いて!」と、みんなからせがまれていた、あの頃。ピアノを弾いていると、俺はみんなの輪の中心にいる事ができて、みんなが俺の事を認めてくれた。

 俺の存在を、認めてくれた。

 嬉しいような恥ずかしいような、まるで、心に羽が生えてどこかに飛んでいってしまいそうな、あの時のなんとも言えない気持ちを思い出した。

 こんな気持ち、ずっと忘れていた。

 どうしよう、嬉しい。

 とても嬉しい。

 ここ最近、褒められる事なんてなかったから余計に、だ。

 とにかく、まずは、こんな自分をフォローしてくれた方々をフォローさせてもらった。

 そして、次に、頂いたコメントに丁重にお返事させて頂く事にした。

 と言っても、ほぼ賞賛のコメントだったので、返事としては「ありがとうございます」の一択しかなかった。

 最大級の感謝を込めたお礼のつもりだが、文字にすると、どうも無機質になってしまい、感謝のニュアンスがイマイチ伝わらないのが残念だ。 顔文字でも入れてみるか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る