7「潜入」(2)


「どうぞ、こちらへ」

 警備兼使用人なのか、使用人の恰好をしたえらく体格の良い男が先導してくれた。砂嵐に負けないように咲き誇る草木は、今まで見たこともないような鮮やかさだ。庭に目を奪われながら歩いていると、先導してくれている使用人の男がこちらを振り返ってきた。

「エドワードさんは庭師の資格をお持ちなんですね?」

「ええ、そうです。なかなか仕事にありつけなかったので、この機会をいただけて本当に、ありがたいことです」

 初耳の『設定』の話を聞き流しながら、もしかしたら本当かもしれないなとも考えてしまう。この品の良い老人は、何をやらせてもそつなくこなす気がするからだ。

「お孫さんは、学校は?」

「オ、オレは――」

「――エイトは親が亡くなってから少し……本当は優しい子なんですが……」

 答えようとしたエイトを遮り、エドワードは酷く哀しそうな顔をしてそう言った。まるで「察してくれ」と言うようなその表情に、男は必要以上に汲み取ったようだ。

「……そうでしたか……大変でしたね。坊主、ここの連中は皆荒っぽいが優しい奴等だから、頑張れよ」

 太い腕で頭を撫でられて、身に覚えのない捏造された出来事のために励まされたことまで理解して、舌打ちをしそうになって顔を背けた。その仕草すらも『哀しみ故の反抗』と取られたようで、大人二人の複雑な表情に、今度こそ舌打ちを我慢することが難しくなる。

「エイト。返事をしなさい」

 聞いたこともないような低い声でそう言われ、エイトは思わず声の主に目をやった。そこには孫を叱る祖父の表情があって、これはもう逆らうことは出来そうもない。

「……ごめんなさい」

 演技ではなく自然と出たその声に、エイト自身の心がじんと熱くなった気がした。










 使用人としてスペンサー邸へと潜入したエイトとエドワードだが、まずはこの邸宅に慣れるためにと、今日一日は邸宅内の案内と身体を休めるようにと言われたため、その言葉に従って宛がわれた部屋の扉を開いた。

 この広大なスペンサー邸には、現在二十人程の使用人がおり、そこにプラスして警備の兵士、そして公には隠されているが、地下施設にて実験を行っている研究員が居住していることになる。

 使用人用の部屋と兵士の部屋、そして研究員の部屋はそれぞれ遠く離れており、特に地下への隠し階段に近い場所に押し込まれている研究員達の部屋は、牢獄のような警戒態勢が敷かれていた。

 豪奢なカーペットが敷かれた廊下を歩いただけで、その隠し階段の位置を突き止めたエドワードは、その警戒態勢に思わずため息が漏れそうになったと言う。

「あの様子では研究員達もおそらく、自ら志願して実験を行っているようではなさそうですね」

 通された部屋の中を捜索し、どうやら盗聴や監視カメラの類は見つからなかったらしい。持って来ていた荷物を丸テーブルに置いて、その傍の椅子に腰を下ろして、“普段通り”の口調に戻ったエドワードが、エイトに少し悲し気な笑みを向けた。さすがに扉を隔てた廊下を警戒してか、声は少しばかり抑えているが。

 孫と祖父という設定なので、部屋も一緒にしてもらえた。昨日泊まった宿よりも豪華な家具なので、エイトからしたら触ることすら躊躇わせるような内装だ。もちろん例に漏れず豪奢なベッドは、今まで経験したこともないふかふか加減だった。

 広い空間に充分美しいカーペットが敷かれ、高そうな木製のベッドが二つに簡単なキッチンがついている。シャワーは使用人全員共用らしく、男女別の大きなシャワールームが廊下の向こうにあると聞いた。トイレも共用。食事は主人が食べ終わった後に時間差で順番に。仕事は基本的には五日連勤で、休日もだいたいはこの邸宅内で過ごすとのことだ。

「他の使用人や兵士は、研究員や地下があるってことだけは知ってるみたいだったな」

 エイトも答えながらもう一つあった椅子に座る。エイトの荷物はベッドの傍に放り捨てていた。

「おそらく研究の内容までは知らされていないようでしたがね」

 邸内を案内されている間、すれ違う使用人や警備の兵士の様子を窺っていたのは、どうやらエイトだけではないらしい。彼等は穏やかに新参者を迎え入れてくれた。それは大きな秘密を抱える者達の顔ではなかった。

「なら悪者は、フリン・スペンサー一人ってわけだ」

 狙うべき目標が定まって、エイトは両の拳を打ち付け気合の満ちた声を上げる。その姿にエドワードもうんうんと頷き、「犠牲は少ない方が良いですからなぁ」とうすら寒いことを笑って言った。

「そういや、デミは? もしかしてもう地下に運ばれたとか?」

 邸内の案内に秘密の地下が含まれているはずもなく、しかし地下以外のほとんどの場所に顔を出したというのに、愛しい幼馴染の姿は、そのどこにもなかった。もし出くわしたら話の辻褄を合わせるために、ここに至る設定を説明しなければならないので、意識的に姿を探して歩いてはいたのだが。

「まだ早いと思いますが、姿が見えないのは気になりますね。エイトさん。彼女が配属されそうな仕事が何かわかりますか?」

「……え?」

 心地の良い呼び方から戻されたその言葉に、エイトは一瞬反応が遅れる。

「……エイトさん」

 エイトの心を察したのか、エドワードは立ち上がり、エイトの前まで歩み寄る。さっきまで挟んでいた丸テーブルなんて無視して、エドワードはエイトの前で屈むと視線の高さを合わせてくれる。

「……何をむくれているのです?」

「……その呼び方、嫌だ……」

 この老人相手に嘘をつくことなど出来るはずがない。それを本能に刻まれてしまっているエイトには、もう素直に白状するしか道は残されていない。頬を染めている自分の顔が、部屋に置かれた鏡台に映り込んでいる。

 予想通りの言葉だったに違いない。エドワードはその答えに満足げに笑うと、思わず見とれるくらいに怪しく口元を歪めた。

「困った子ですね……」

 突き放すような台詞にすら、甘き誘惑の香りが漂う。

「……名前、呼べよ……」

「……エイト……?」

「うん……っ」

 無理矢理呼ばせたその名前。だがやっぱり、その名前の裏側には、確かな愛が隠されていて。根負けしたように落とされたその“愛の言葉”に顔を向けたら、狂おしいまでの口づけを落とされた。

 椅子に座った身体を掻き抱くように強く抱かれ、その身が零れ落ちるような錯覚すら覚える。乾いた肌に触れられて、喜びが汗と一緒に噴き出したようだった。

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