1「幼馴染」(2)
物心がついた時には孤児となっていたエイトは、生まれついて力が強く、少しばかり短気な性格をしていたこともあり、人から奪えるものを奪いながら、時には巡回の軍人に袋叩きに合いながら、それでも強く逞しく育った。本当の両親は遠い記憶の向こう側で、折り重なるように倒れている姿がぼんやりと浮かぶ程度だ。
そんなエイトのことを拾う者がいた。今のエイトの“両親”であるその夫婦は、スラム転落瀬戸際の立場をなんとか逆転するために、『軍人になれる強さを持った子供』を欲していた。
体格自体は平均的で、むしろ男としては小柄な方のエイトだったが、それでもその強さを確信した夫婦に、すぐさま養子として引き取られた。孤児に出自の証明等何もなく、新たに作られた息子という証明には、幼き頃から名前のなかったエイトに、今の呼び名がつけられていた。その名前の由来が『八』であることをエイトが知ったのは学校に入ってからだったが、それが何を指しているのかはわからなかった。
学校でのエイトの成績は、とても悲惨なものだった。それは無理もない。見た目だけの憶測で年齢を推定されて、その年齢で通うはずである学年にいきなり放り込まれたのだ。その学校は一般的な家柄の子供達が集められたクラスだったので、エイトはたちまちイジメの対象になった。基本的な学習がわからないということもあったが、それよりも今まで道徳的な教育を受けていなかったことが一番の問題だった。
何故周りの人間達がそう言うのかが、エイトには本当にわからなかった。何故人のものを盗ってはいけないのか。何故この学習をしなければならないのか。何故この学校というところに毎日通わなければならないのか。
わからないことばかりの学校生活をそれでもエイトに続けさせたのは、親の『教育』とデミの存在だった。
問題行動の多いエイトのために、しょっちゅう両親は学校に呼び出された。その度にエイトには『教育』という名の体罰が課せられ、それを嫌がろうにも子供が大人の力に敵うはずもなく、捻じ伏せられてまた学校に向かう。
半年もそんな生活が続けば、さすがにエイトも慣れた。スラムで住んでいた頃の自由はなくなったが、安定した衣食住は提供された。学校という場所のルールに従わなければ体罰を振りかざす両親ではあったが、それ以外の面では『まともな親』らしい顔を見せてくれた。
筋肉を強くするために食卓にはいつもエイトが大好きな肉料理が並んだし、昼間のために持たされる弁当もしっかりと栄養を考えられた献立を詰め込まれていた。服装もエイトが好む系統がわかれば、――基本的には動きやすく、それでいて強そうな柄の入った服装が好みだ――ちゃんと好みに合わせて買って来てくれていた。
そして何より、軍人たるもの強くならねばならない、という考えの元の教育なので、同級生や上級生と殴り合いの喧嘩をしようが、教師の前では形式的に怒られるのみで、いくら服を破こうが学習道具を叩き折ろうがそのことについて咎められるようなことはなかった。
おそらくエイトの知らない裏側では、相手の家に謝りには行っていただろうと今になっては思うが、血を流しながらそれでも勝利して帰った自宅で見た、誇らしい笑顔の両親の姿だけは、ずっとエイトの心の中で熱く残るものだった。
そんな学校生活のせいで、エイトは最初のうちは友達を作ることが出来なかった。だが、そんな彼にまたしても助けが現れる。衣食住という生活の基盤を育ての親に助けられたように、学校生活での平穏をデミに助けられたのだ。
彼女はいつも元気で明るい、クラスの人気者だった。飛び抜けて可愛いというわけではなかったが、その天真爛漫な性格から男女共に愛される存在だった。そんな彼女がどういうわけか、エイトのことを熱心に気にかけてくれたのだ。
最初は怖がって遠巻きに見ていただけの彼女が、態度を改めたのには訳があった。それは彼女からその学校を卒業してから直接聞いたことだが、喧嘩を売って来た相手をぶちのめしながらも、雨が降れば倒れたままの相手に自身の上着を掛けてやったり、女性に暴行を働いていた悪漢を叩きのめしたりしていたのを目撃したからだと言っていた。
エイトがクラス中の噂に上がる『悪党』だとは思えなかった彼女は、それからは事あるごとにまとわりついてきた。家がたまたま隣だったことも利用するようにして、朝から夕方の学校の時間は全て彼女に拘束されたと言っても過言ではない。
そのために学生生活が始まって二年も経てば、ほとんど問題行動を取ることもなくなっていた。学校での『普通の行動』というやつを、教えてくれたのは彼女だった。
それまでしっかりとした教育を受けてこなかったエイトには、座学はとても難解なものだった。まず問題文の文字から怪しいので、デミはそこから丁寧に教えてくれた。結局あまり得意ではないまま卒業という形にはなってしまったが、それでも卒業が出来たこと自体、彼女にはいくら感謝してもしたりない。
座学とは逆に、エイトは身体を動かすことは得意だった。スラムで鍛えられた瞬発力に腕力は、同学年では敵無しで、単純なスポーツ競技から、軍人志望の学生のみが受講する体術訓練でも、エイトに敵う人間はいなかった。そんな華々しい成績も、あまりに座学が足を引っ張ってしまい無駄に終わってしまったが。
軍学校には現役で合格しないことには意味がなかった。エイトの育ての親は決して裕福ではない。軍人一本で目標を組んでいたエイトに、軍属以外に出来る就職先と言ったら、両親が忌み嫌う肉体労働のみであった。座学の成績が足りない弊害がここでも出て来て、ついに昨日、両親はエイトを家から追い出してしまったのだ。
軍に入れない出来損ないは必要ないとハッキリ言われ、薄い建物の壁のせいか、はたまた開きっぱなしだった窓のせいか、ささやかな私物と一緒に家の前に放り出されたエイトを、デミが涙ながらに自らの家に引き入れてくれたのだ。
デミの親も決して裕福ではない家柄だ。だが明るい彼女を育てたその両親は、エイトの境遇に同情的だった。
――人間の親ってのは、きっと……こういう人達を言うんだな。
久しぶりに食べる野菜スープの味を噛みしめながら、エイトはおそらく人生で初めて浮かんだ涙もそのままに、獣のように吠えたのだった。
その夜のことはきっと、一生忘れることは出来ないだろう。
うとうとした表情を隠すことなく自室に戻ったデミを見送り、エイトは彼女の両親に呼び止められた。
質素なテーブルセットの目の前に両親が並んで座る。エイトも対面する席に座る。無視してもう帰ろう――帰る場所等もうなかったのだが、それでもこの幸せな空間から自分は出るべきだと思っていた――とも思ったが、彼女の両親の思い詰めた表情が気になって、仕方なく席についたのだった。
『……デミを……娘を使用人としてスペンサー邸に送ることになった』
酷く重い口を開いて、彼女の父親はそう言った。言葉の意味がわからずにエイトが黙っていると、その沈黙の意味を理解した母親が、わかりやすく説明してくれた。
彼女は明日の朝ここを出て、もうこの家には戻って来ないのだと。
普通の使用人にはちゃんと暇は与えられる。しかし豪商であるスペンサーの大豪邸はその括りには入っていなかった。『働いている人間が消える』だの、『まるで軍部のような物々しさだ』だの、なにかと黒い噂が絶えない家であった。しかしその破格の待遇に、デミもこの両親も飛びつく以外に選択肢はなかったのだ。
スラム程でないにしろ、この区域の生活は貧しいものだ。学校という教育も、本来ならば後数年は受けるものなのだという。親の収入だけでは賄えないものは、その子供が働いて工面するしかない。
『エイト君……君はデミのことが好きかな?』
酷く優しい目をして、父親が問い掛けてきた。その言葉に頬が熱を持つよりも先に、真っ先に頷いた。これは彼女を助けるための『約束』だ。しょうもない照れや虚勢など必要はない。
使用人となった女性の将来は、正直あまり明るくはない。特に貧困層から引き揚げられた身なら尚更。その女性を唯一救い出せるのは、上の階級からの婚姻のみだ。
相手は豪商ではあるが、軍人になれば可能性はある。それに、軍人にさえなってしまえば、エイトの親も納得するだろう。あんな親でも親は親だ。育ててもらった恩だってある。頭が悪かった自分に問題があったのも事実だ。
エイトは言葉ではなく、心で両親に誓ったのだ。互いの両親、両方に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます