第43話 甘えてよ

 報酬をキッチリと受け取った後は、いつものように解散し、僕とカオルは2人で宿屋に来ていた。


 カオルがベッドに腰掛け、隣をポンポンと叩く。促されるまま、僕はそこに座った。

 そして、カオルは今日の出来事を皮肉たっぷりに振り返り始めた。


「いや〜、儲かった儲かった! この町にはがいっぱいいるねぇ」


「善意につけこんで巻き上げたくせに……」


 残酷なオークションの結果を見ていた僕は、笑い半分とはいえ、ついカオルを非難するようなことを口走ってしまった。

(気を悪くしてしまった? いや、カオルなら適当に受け流してくれるはず)

 そんな考えをグルグルと巡らせながら、恐る恐る彼女の表情を伺う。


「むっ、人聞きの悪いこと言わないでよ。これはみんなが私へのお礼としてくれたものなんだから」


 僕の期待に応えるように、カオルはあっけらかんと流してくれた。


 だけど、そこに続けられた言葉は、決して簡単に聞き流せるようなものではなかった。


「……それに、ユウくんだって気づいてるだろ? あの中に善意を持ってるヤツなんていなかった。下心まみれだったよ。全員が一発狙ってる目をしてた。男ってのはいつもそうだ」


「それは……」


 “男ってのはいつもそうだ”——その言葉の重さに、僕の口は自然と閉ざされる。

 そこには、200年以上に渡る彼女の苦痛があった。

 ただ男が嫌いだからそう言っているんじゃあない。「あわよくば」を狙う連中のゲスな感情に晒され続け、その末に生まれた、心からの侮蔑ぶべつがあった。


「ああ、最初に声をかけてくれた彼はまだ良かったかな。まあ彼も私の胸ガッツリ見てたけどッ!」


「う、うん。でもあれは仕方ないというか」


 カオルの語気が段々と荒々しくなってきたので、僕はむりやり話を締めて、彼女を落ち着かせようとした。


 その瞬間、カオルは自身の放っていたをスンッと静め、そしてゆっくりと僕の顔を見つめてきた。

 怒りとも焦りともつかない、独特の濁り方をした目が、僕の心の奥底を覗き込んでくる。


「そう、仕方ないんだ。ユウくんもそう思うよね? ああいう下心を持つのは仕方のないことなんだ——」


「カオル……?」


「そうなんだ、男ならみんなそうなるんだよ! なのに君からはまるで下心が感じられないっ! どぉ〜うなってるんだっ!」


「ええっ」


 頭を整理する間もなく、僕はうるんだ瞳のカオルに抱きつかれ、そのまま倒れるように添い寝の姿勢になった。


「あのアドラでさえ『顔はいい』と言ったのに〜! ユウくんだって男の子なら色々溜まってるだろ⁉︎ 私がいつも無防備な格好で寝てるのも見てるだろ⁉︎ なのになんでぇ〜」


 豊満な体にムギュッと押しつぶされながら、僕は右に左にジタバタと寝返りを打つカオルに巻き込まれる。


(こ、これはいくらなんでも! 全身が、全身が当たりまくってる……!)


 それを伝えたくても、駄々をこねる250歳児は耳を貸さない。結局僕は、彼女が泣き止むまでゴロゴロとベッドの上を転がされた。


 〜〜〜〜〜


「落ち着いた?」


「は、はい……」


 乱れた服を直しながら、あえて冷めた態度でカオルに聞く。

 まるで「事後」。

 事情を知らない人が見たら、色々と勘違いされそうな絵面だ。僕はもう慣れたけど。


「それにしても、カオルがあそこまで取り乱すなんて。しかもあんな理由で……けっこう本気で心配したのに」


 カオルがしっかりとクールダウンしたことを確認し、改めて彼女を見る。

 ベッドの上で正座する彼女は、数分前の情緒不安定な様子とは違って大人しく、いじらしさすら感じさせる。

 僕はその隣で、呆れながら話を聞いた。


「う〜、だってさあ、ユウくんがいまいち心開いてくれないんだもん。もっと甘えてよ! ほら!」


「甘えてと言われても」


 カオルは腕をバッと開いて迎え入れる姿勢を見せる。でも僕には、そこに飛び込む理由がない。


「んぁ〜もう、けっこう仲良くなったつもりなんだけどなぁ。これじゃ『ユウくんセラピー計画』が台無しだ」


「……何それ」


 妙に嫌な予感を漂わせる単語。なんとなく察しはつくけど、ここは確認しておかないと。


「気になる? それじゃ教えてあげよう! ユウくんセラピー計画とは、男に絡まれて疲れきった私の心と身体を、いたいけな少年と触れ合うことで癒し、異世界での冒険をより活発にしようというものだ!」


「絶対今思いついたよね、それ」


「そんなこたァない。私はこの世界で旅をするに当たって、男に媚びを売ることになる場面が相当数あると予想していた。その方が行動しやすいからね。」


「確かに」


 実際、それでお金を稼いだのを目にしたばかりだ。


「だがそんなことを繰り返していれば、先に私の精神が擦り切れてしまう! だから転移後のメンタルケアはどうしようかとラボでひとり悩んでいたところ、偶然にも君が転移についてきてしまったんだ」


 彼女は腕を開いたまま、キラキラした表情でまっすぐに語る。


「運命だと思ったよ。これはもう、この子に癒してもらうしかないってね。だけどあまりにも一方的じゃ申し訳ないし、何より君と親密になりたかった。そこで、ユウくんの中の『男の子』を刺激して、触れ合いの密度を高めようとした。うまくいけば、男たちから受ける精神的ダメージを、ユウくんによる癒しで完全にカバーできるからね! まあつまり、ちゃんと考えてたってことさ」


「————。」


 早口で捲し立てられ、その勢いに圧倒される。

 カオルがここまで僕を必要としているとは思っていなかった。正直、かなり面食らった。


「で〜もォ〜、肝心のユウくんが、ユウくんの身持ちが固すぎる。これじゃ必死にアピールしてる私がバカみたいじゃないか」


「自覚はあったんだ……」


 そう呟くと同時に、僕の視界が回転して、気づくと天井が映っていた。


「ねぇ、ユウくんは——私のことをどう思ってるの?」


 カオルは優しい手つきで、それでいて抵抗できないほどの勢いで、僕をベッドに押し倒したんだ。

 一呼吸の間があって、天井をふさぐように彼女の顔が現れた。赤い髪が垂れ下がって、周囲を覆う。

 吸い込まれてしまいそうな、彼女の深い海の瞳に、僕が浮かんでいた。


「カオル、どうしたの? 今日のカオルは……よ」


 どう答えるべきか分からなくて、ただ純粋に感じたことを口にする。

 アドラを相手にしていた時も、彼女はまるで別人だった。


「っ、ごめん、自分でも抑えきれないんだ。こんな胸騒ぎは生まれて初めてだよ。感情の落とし所が見当たらない」


 視線を交差させたまま、彼女は弱々しく声を漏らす。


「それにしても、今日はさすがに疲れちゃった。炭鉱で男相手に愛想を振りまいて、それが終わったらアドラとかいう奴に絡まれて、やっと戻ってきたらリエフさんに言い負かされて、そしてまた愛想振りまいて……」


 フウッと息を漏らし、カオルが倒れ込んでくる。一瞬だけ覆い被さった後、彼女は転がって、僕のそばへ横たわった。

 視線の交わる方向が変わり、隣同士で言葉をつむぐ。


「なんだか男に振り回される1日だったなぁ。今までにもこういうことは何度もあったはずなんだが、今日はスゴく嫌な気分だ」


 とろんと揺らぐ虚ろな目で、今にも眠りそうに彼女は語る。

 きっと、能力を使ったことによる疲労と、精神的な苦労が折り重なっているんだ。


にいる間は特に何も感じなかったのに。フフッ、ユウくん……君のせいかな?」


「僕?」


 カオルはいたずらっぽく笑うと、なぜか僕に責任転嫁してきた。


「私はサキュバスだから、男を誘惑するのが本能的に得意なんだ。今まではそれを自慢に思ってた。下手したてに出るフリをして、その実うまく操っているんだ。ってね」


「うん。ああいうのが上手い人は他にもいると思うけど、誰もカオルには勝てないよ」


 なぜ僕のせいなのかは理解できないまま、とにかく彼女を褒める。それしか思い付かなかった。


 無難な答えのつもりだった。でも、カオルはそれを聞くと、ひどく傷ついたような顔を見せた。


「そう、その分野において私に勝てる者はいない。つまり私は、天性のというわけだ」


「そんなこと——」


 言いかけて、止める。無難な答えは、無神経な答えにしかならないんだ。余計なことを言えば、なおさら彼女を傷つける。

 これはサキュバスだからこそ、カオルだからこその苦悩。僕が軽々しく口を挟めるものじゃない。肯定しても否定しても、それは正解じゃない。


「どうしてだろうね? 君と出会ってから、私がどう見られているのかすごく気になるようになったんだ。これだけ君に夢中になっておきながら、他所では君以外の男に尻尾を振る。そんな私は、いったいどう映っているのかな」


 カオルは確かめるように僕の頬を撫で、焼き付けるように見つめてくる。

 眠りに落ちる寸前だというのに、彼女の眼は僕を硬く捉えて離そうとしない。


「いっそ、君が私を汚してくれれば安心できるのに。全部、君に上書きしてほしいのに……でも君は、君だけは、私をそんな目で見てくれない」


 彼女は今、年端もいかない少年に本気の劣情を向けている。もし僕が当事者じゃなければ、間違いなく止めに入る。そういう状況だ。

 けれど、ここは応えなきゃいけない。


「ねえユウくん、私のこと——どう思う?」


 僕の心も、打ち明けなきゃいけない。


「カオルは素敵な人だよ。男に媚びてるなんて、思ったことない」


「本当に?」


「うん。それに……恥ずかしいけど、僕だって、カオルをそういう目で見ることは……あるよ」


「えっ?」


 閉じかけた目蓋が、力強く開かれた。


「ぼ、僕の反応見てたらわかるだろっ。こっちは必死に流されないようにしてるのに、人の気も知らないで。もう少し自分の魅力に自覚持ってよ」


 さすがに顔が熱くなってきて、ごまかそうとしどろもどろに彼女を責める。


「で、でも、普段は全然っ」


「だって難しいから……。どう対応していいか分からないんだ。まだ知り合ってからそんなに経ってないし」


「そりゃそうだけど……」


「——それに僕は一度、本気でカオルの命を狙ったんだ」


 そう、僕がカオルに対して一歩引く最大の理由がこれだ。

 そんな奴が、彼女の好意に甘えていいわけがない。甘えたいと思う気持ちがあったとしても。

 僕はあくまでカオルを守る、そのためにいるんだ。彼女を汚させはしないし、決して汚さない。


「……フッ、あははっ。なーんだ、そんなことを気にしてたのか。子どもっぽくてカワイイ」


 しかし僕の強い決意は、彼女の一言で簡単にほだされてしまう。

 どうしてカオルはそういうことを言ってくれるんだろう。どうしてこんなに僕に優しいんだろう。


「そんなのは最初から気にする必要なかったんだよ。私なんて、ユウくんを見た瞬間から『好き』って気持ちが全開だったろ」


「まあ、そうだね」


 また、僕の顔が熱くなる。でもそれは、カオルも同じようだった。


「それに私は嬉しかったよ。ようやく心を開ける男性に会えたんだから。ああ、外見だけの問題じゃあないよ。状況が状況だったとはいえ、君は宿敵とすぐに打ち解け、しかも私と旅をすると言ってくれた。それだけの度量がある人はそうそういない」


 ベッドの上で、もう十分近づいているのに、カオルはさらに距離を縮めようと迫ってくる。

 そして


「君は私が見てきた中で、この250年間の中で、一番だ」


 と言った。


「え、えっと、あり……がと……」


 僕はちっぽけなお礼を絞り出すので精一杯になってしまった。

 彼女が僕に好意を向けているのは、彼女がショタコンだからだと思っていた。それだけが怖かった。

 その恐怖を、他でもない彼女が拭ってくれた。


「くぅ〜、そういうとこは最高にカワイイっ! 依存しちゃうな〜こりゃ」


「依存って……」


 そう言って照れ臭そうに笑うカオルを見て、僕はようやく理解した。

 彼女も僕の様子で察したのか、ぽつりぽつりと零すように口を開いた。


(ああそうか、この人は——)


「まあその、なんだ、色々言って取り乱したが」


(僕に甘えてほしいというより——)


「とにかく、下心だけの男じゃなくて、信頼できるキミに癒されたいっていうか」


(この人は、ただ僕に——)


「あー、つまり、私がユウくんに……甘えたいんだ……」


 目と鼻の先、息がかかりそうな距離で、カオルはずっと積み重ねてきたはずの想いを述べてくれた。


 出会ってからというもの、僕に対してやけに距離が近かったのは、250年耐え忍んできた心を休めたかったからなんだ。

 今日のカオルが不安定なのは、彼女の心が限界に達しているサインだったんだ。


 僕が彼女に選ばれたのは全くの偶然で、もしかしたら他の人でも同じ結果になったかもしれない。


 それでも、今ここにいるのは間違いなく僕で、カオルが呼んでくれたのは僕の名前だ。

 だから、僕が応えるんだ。


「うん。いいよ、カオル」


 彼女に負けないくらいの優しさで、彼女を包み込む。

 カオルはやっと憑き物が取れたかのように、儚げに笑った。


「ありがとう、ユウくん。——それはそれとしてさ」


「……へ?」


 なんだろうこの緊張感は。この流れでこんなことって。


「女の私にこれだけ言わせたんだ。君からも聞きたいな〜。ここは吐き出してもらおう」


 そうだった、この人はこういう人だ。

 転んでも絶対にタダでは起きない。


「ユウくんだって、私をそういう目で見ることはあるんだろ? ならやっぱり、私に甘えたくなることもあるんじゃないかな? ん?」


 しかも、完全にこちらの心を見透かしている。

 これはさすがに逃げられない。


「そうだね、僕も……ずっと戦ってばかりで……心のどこかでは、誰かに、信頼できる誰かに癒されたいと思っていたんだ」


「うん」


「だから、カオルに甘えさせて」


「うん。いいよ、ユウくん」



 この日、僕たちは初めて、心の底から抱き合って眠りについた。

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