第44話 この気持ち、いかにも愛だ

 チチチ……チュンチュン


 窓の外から、鳥のさえずりが聞こえてくる。

 どうやら、いつのまにか朝になっていたらしい。


 だけど朝日は感じられない。普通なら、まぶたの向こうが日の光で白んでいくと思うけど、そこは未だに暗いままだ。

 何かに押さえつけられている目をパッと開いてみても、そこに光は現れない。


 つまり、いつものアレだ。

 カオルがご自慢の肉体からだを使って、僕を太陽からさえも独占している。


 は、つい二度寝したくなるほど温かくて、同時に落ち着いてはいられないような情を掻き立てる。


 どちらにしても、このままでは本当に抜け出せなくなってしまう。ここは誘惑に耐えて、男なら誰もが憧れる谷間から脱出しよう。


「んっ……しょ」


 頭を反らし、僕の背中に回して組まれている手を緩ませる。ある程度動けるだけの隙間ができたら、横になったまま屈むようにして体を抜く。慣れたものだ。


 ただ、これをやるとどうしてもカオルの体に触ってしまう。それだけは、当分慣れそうもない。

 なにせ、自分の姿勢を支えるために、僕は彼女の胸や腰に手を置く必要があるし、頭を抜く時なんて、顔面を思いっきり擦り付けなくちゃいけないんだから。


(相変わらず無駄に大きいな……)


 僕は拘束からスムーズに逃れる訓練をひと通り受けてきたし、拘束具に極力触れないようにする術も、当然心得ている。

 でも、カオルの力強い抱擁とよく実った果実の前では、そんなもの通用しない。確実に当たってしまう。


 カオルに罪はないし、僕だって触りたくて触っているわけじゃない……絶対ない。

 だとしても、この『油断してると窒息するようなサイズ』に対処するには、こうするしかないんだ。


 多少乱暴にでもカオルを振り解けば、もっとすんなり出られるけど、それはそれで別の気まずさがある。

 だからこうして、羞恥心を抑え込みながら行動することを強いられる。

 なんて悩ましいルーティーンだ。


(こういうのも贅沢な悩みって言うのかな? 少なくとも、昨日カオルに貢いでた人が見たらそう言うだろうな)


 そんなことを思いつつ、カオルの柔らかさを全身で感じながら、ズズッと抜け出しベッドを降りる。


 一晩中抱きしめられて上がった体温が、ひんやりとした部屋の空気で少しずつ下がっていく。

 僕はこの瞬間の心地よさと名残惜しさが、ちょっとだけ好きだ。


「さてと……」


 カオルを起こすため、もう一度彼女に近づく。

 サラサラとした赤髪を撫でて、彼女の顔を覗くと、そこから一粒の涙がこぼれていくのが見えた。


「や……だ……行かないで……ユウくん……」


「——っ」


 僕がいなくなると同時に、ついさっきまで安心しきった顔で寝息を立てていたカオルが、ひどく焦った様子でうなされ始めた。


 ————昨日の会話を思い出す。予想通り、彼女は精神的にかなり参っていたみたいだ。


「大丈夫だよカオル。僕はどこにも行かないから」


 指先で涙を拭って、静かに、慰めるように囁く。

 僕の声が届いたのか、カオルの呼吸は落ち着いて——そして、ゆっくり目を覚ました。


「あ、ユウくん……」


「おはよう、カオル」



 僕の顔を見た途端、彼女はガバッと起き上がり、抱きつきながら何度も頬擦りをしてきた。


「ゔあ〜良かったぁぁぁ〜捨てられたかと思っだぁあああぁ〜」


「ら、らいひょうふ(大丈夫)?」


 今度はせきを切ったように泣き出すカオル。

 せっかくいい具合にしんみりしていた空気がぶち壊しだ。こっちの方がカオルらしくて安心するけど。


 ひとまず彼女を座らせて、落ち着くのを待とう。



 〜〜〜〜〜


「ふぅ、ゴメンゴメン。ひっどい夢見ちゃってさ~」


 火傷やけどしそうになるくらい頬や頭を撫で擦られた後、カオルはようやく元気を取り戻し、いつもの大胆不敵な笑顔を見せてくれた。


「ねー聞いてよユウくん、ホントに酷かったんだから。」


「どんな夢?」


「なんかね、私がたくさんの男に色仕掛けしてたんだ。しかもかなり直接的なやつ。お尻触らせたりしてて、服も脱ぎ散らかしてたよ」


「うん……」

 不意に、カオルが男たちと本気で交わっている姿を想像して、一瞬だけ胃液がせり上がっていく感覚を覚えた。


「でさ、みーんな私を抱くために必死にアピールしてくんの。どんどん従順になって、私はそれが楽しくって、もーっとやらしいことをするんだ。まるで昨日の続きがエスカレートしていくようにね」


 カオルは枕元のテーブルにあった水差しから、一杯分をコップに注ぎ、お酒をあおるように飲み干す。

 こともなげに語る彼女の口ぶりは、自嘲しているようであったし、僕をからかっているようでもあった。


「そこまでは良かったんだが……、ふと横を見ると、そこにユウくんがいたんだ。男にまたがる私を、それは冷たい目で見ていたよ。私を殺そうとした時のものでもない、完全に興味を失くした目。そして君はどこかに行ってしまった」


「……。」

 たぶん、カオルの腕を抜け出した時のことだ。

 僕が1人で妙な感情を抱えている間、彼女の中ではそんなことが起きていたなんて。

 少し……複雑だ。


「まったく……私としたことが情けない。あれだけキミと愛を確かめ合った後だというのに!」


「あ、愛⁉︎」


 僕の気持ちを知ってか知らずか、彼女はまた突拍子もないことを言い出す。

 僕は今まで、自分は愛という概念とは無縁の所にいると思っていたから、カオルの言っている意味が分からなかった。

 嬉しいとか嬉しくないとか、そういう話じゃない。

 具体的な感情も湧かなくて、ただ言葉を繰り返してしまう。


 そんな僕を眺めながら、カオルは今度こそ僕の心を見透かしたように続ける。


「ゆうべのアレはそう表現するしかないだろう? 秘めた心を伝え合って、私も、君も、互いになくてはならない存在だと認識した!」


「なくてはならない……」


 そんなふうに言った記憶はないけれど、否定する気にはなれなかった。何より、カオルにそう思われていると分かったことが嬉しかった。


とは違う、下心なんて一切無い、もっと奥底から湧き上がってくる…………この気持ち、いかにも愛だ!」


 窓の前に立ち、自信満々にとなえる彼女の背後には、後光のように陽が差していた。


「愛……」

 カオルと入れ替わりでベッドに腰掛け、意味を噛み締めるように反復する。

 込み上げてくるのは、兵士だった頃には一度も味わったことのない感覚。


(これが、愛なのか)



「ユウくんなら、それ以外の感情を向けてくれたって構わないけどね」

「うわっ!」


 初めての感傷に浸っていると、突然耳元でカオルの声がした。

 目を開けると、そこにはニヤニヤと笑う彼女の顔があって、僕の方へ乗り出す彼女の身体で、太陽は再び遮られていた。


「いくら君が実年齢18歳の合法ショタだからって、私の方から手を出すのは矜持きょうじに反する。でも……ユウくんの方から襲ってきてくれたなら……フフッ」


 そう言って、カオルは離れていく。

 後を追ってなびく髪の香りが、挑発するように鼻腔をくすぐった。


「それは、カオルの下心?」

 お返しに、僕も彼女をからかってみる。


「ンフフ、言うねえ。確かにそう思われても仕方ない……だが、これも愛だよ、ユウくん。その辺の連中と一緒にされちゃ困るな」


 カオルは僕の反撃をものともせず、片方の手で胸を押し上げる。そしてもう片方の指先で唇をなぞり、小さく舌なめずりをした。


 その光景に、思わず生唾を飲んでしまう。


「もし私がその気なら、とっくに君を犯しているよ。都合なんて聞かない、人目もはばからない。一方的に、搾り取るように、君を凌辱している」


 雄を誘惑する動きでじっくりと跪き、床を這って、女豹めひょうが獲物を狙うようにカオルが近づいてくる。


「それをしないのは、君を汚したくないからだ。理想郷を自ら踏み荒らすほど、私は愚かじゃない。私はただ純粋に、真っ当に、君と関係を深めていきたいんだ。……けど、ユウくんが我慢できなくなった時は、遠慮しなくていいよ。を満たしてあげる、これも、お姉さんの愛だ」


「っ……」


 僕の足を撫で回しながら這い上がり、膝の上でカオルは止まった。

 彼女は縋り付くような姿勢になって、上目遣いで僕を見やる。


「愛してるよ、ユウくん」


「カオル……」


 上目のまま、カオルは僕に愛を囁く。視線はこちらが上のはずなのに、彼女を見ていると、僕が組み敷かれているのではないかと錯覚してしまう。


「…………。」


「…………。」


「ふっ、ふふふっ——あっははははは!」


「えっ⁉︎」


 お互いの感情が混ざり合った沈黙を、先に破ったのはカオルだった。それも、ここまでの行為をかき消すほどの笑い声で。


「冗談だよ冗談。私はそんなじゃあないよ。ユウくんの反応が面白くて、ちょっと大人気おとなげないことしたくなったのさ」


「む……」


「さーて、シャワーでも浴びてくるかな。今日もたっぷり異世界をしよー!」


 気持ちを一気に切り替える勢いでカオルは立ち上がり、僕に背を向けて歩き出した。

 やっぱり僕の思惑は、全てお見通しだったみたいだ。


「カオルには敵わないな」


 足早に去っていくカオルを見送りながら、その背中に投げかけるつもりで呟く。

 余計なセリフは言わない。僕の負けだ。


 唐突に立ち上がった彼女の顔は真っ赤になっていたように見えたけれど、それはきっと、あの赤髪が朝日に照らされて、そう見えただけだから——。

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