第36話 frames per second その2

「リエフさんは馬車に乗っていてください。あなたたちも、すぐ出せるように準備して。私が時間を稼ぐから」


 アドラ=アバローナの影が頭上に円を流れ描く中、カオルはリエフさんたちにそう指示した。彼らは目まぐるしく変動する状況の中、「本当にここから離れていいのか」と困惑しつつも、自分たちを逃がそうとしているカオルに大人しく従ってくれた。


「サキヤ殿、あなたはどうなさるのですか⁉︎」

「大丈夫、とっておきの策があるッ! いい? 私が合図したらすぐに馬車を走らせて」


 彼女の策が何なのか分からないまま、僕とマルカはカオルの後ろにつく。

 今のところ、あのアドラを倒す手段は見当たらない。「殺す気で戦う」なら話は別だけど、元老院と関わりがありそうな男をむざむざ殺して、情報を断つわけにはいかないし、何より、事情を知らないリエフさんたちの前で人殺しを行なうのは避けるべきだ。それはカオルも理解しているはず。

 つまり現状、アドラに対する有効打らしいものは無い。だけど、カオルは「とっておきの策がある」と言った。彼女がそう言うなら、きっと大丈夫だ


「っ……来ます!」


 目を見開いたマルカが言うと同時に、枝を折る勢いで一際強く跳ねたアドラが突っ込んできた。彼は勢いに任せて体を捻り、長い脚をしならせて、空気の裂ける音と共に蹴りを放つ。


「くぅ……っ」

 カオルは予測していたかのように腕甲ガントレット で脚を弾く。それでも衝撃はかなりのもので、その威力にのけぞる彼女を、僕とマルカでどうにか支えた。


「攻撃が単調だな! チート能力貰ったくせに、この程度かぁ⁉︎」

 カオルは体勢を立て直しながら、アドラにヤジを飛ばす。わざとやっているのは分かるけど、これじゃもっと強い一撃を貰うだけだ。


「だから意味がわからねェんだよお前はッ! そんなに欲しけりゃ、特別重いのをくれてやる!」

 案の定、煽られたアドラは眉間に皺を寄せ、怒りで眼鏡をピクリと浮かせてから、大きく距離を取った。


 彼は格段に上がった速度と飛距離で再び影の尾を作りだし、辺りに枝や石を砕き散らしていく。


「よし、離れたな。そらっ!」


 次の攻撃をどう防ぐか考えていると、不意にカオルは地面に向かって杭を撃ち込み、またも大量の土煙を上げさせた。

 それからすぐにパイルを腕から外し、馬車の荷台へ投げ込む。

 目の前にいきなり鉄の塊が落ちてきて、リエフさんは小さく悲鳴を上げた。


「え……?」

「カオルさん……?」

「2人とも、乗って!」


 突然なカオルの武装解除に僕とマルカが混乱していると、彼女は僕たちの手を引いて、一目散に馬車へ駆け出した。


「ほら、急げ急げー!」


 わけも分からず、僕たちは押されるままに荷台へ上がる。それを確認したカオルは、さも当然と言った顔で「よっ」と飛び乗ってきた。

あれだけシリアスなオーラを纏っておきながら、それを一瞬で脱ぎ去る彼女に、リエフさんは拍子抜けしてしまっている。


「ちょっ、サキヤ殿⁉︎」

「今だ! 出して!」

「は⁉︎ え⁉︎ 囮になってくれるのでは——」

「いいから! 早く!」


 有無を言わさぬカオルの勢いに流され、御者である部下2人は、馬車を走らせる。あまりにも急な発車だったためか、馬は頭を大きくもたげ、暴走気味に山道を進みだす。


「うわっは! 見て見てユウくん、すっごい揺れてる! 振動がお尻からダイレクトに伝わってくるよ!」


 誰もカオルの行動を理解できない中、いつものおちゃらけた調子に戻った彼女が、自分の胸を指差して僕に見せつけてきた。


「す、すごいね……」

 暴れる馬車に合わせてだぷんだぷんと揺れる彼女の胸は、妖艶を通り越してもはや下品の域だ。すこぶる下品。下品だけど……目が離せない。僕だけじゃなく、リエフさんも釘付けなっている。顔を背けて知らんぷりをしていても、ちらちらと飛ばす視線でバレバレだ。そしてマルカは妙に目を細め、遠くの何かを捉えるようにカオルの谷間を覗いている。マルカが何を思っているのか、なんとなく想像がつくけど、今は何も言ってはいけない。


(……いや、そうじゃなくて!)

「って、それどころじゃないですよカオルさん! 一体どういうつもりですか⁉︎」


 目を奪われている僕の代わりに、一瞬早く正気に戻ったマルカが問いただす。

 気の毒な話ではあるけれど、カオルのことを冷めた目で見られる彼女の存在は、正直助かる。


「そうですよサキヤ殿! 衛兵を相手に、何の真似です⁉︎」

 視線をごまかすきっかけを得て、リエフさんもマルカに続く。だけどカオルは、そんな2人に挟まれても、笑顔で「ふふん」と鼻を鳴らすだけだった。


「ねえカオル、『とっておきの策』ってもしかして……」


「そうだよユウくん。お察しの通り……逃げるんだよォーッ!」


「やっぱり……」

 カオルはまともに戦う気ではなかったらしい。彼女の態度でほんのり気付きはしたけど、ハッキリそう言われるとさすがに驚く。マルカもリエフさんも、「なにこの人……」と開いた口が塞がらない様子だ。


「お? 私の作戦に気付いてたのかな、ユウくん。私たちってホントに気が合うなぁ!」


 僕の反応を見て、カオルは微笑みながら僕の頭を撫で回す。

 人前でこんなことをされて恥ずかしいはずなのに、それ以上に嬉しい気持ちが湧いてくる。


 でも今、僕の心は「もっと別のことに関心を向けろ」と叫んでいたんだ。


「テメェェェェーッ! なにナメた真似してんだァァァァーッ!!」


「来た!」


 胸騒ぎに応えるように、アドラが僕たちを追ってきた。彼の瞬発力は尋常じゃない。僕たちが逃げたことに気づいた彼は、土煙を払い、より一層怒りを増して地面を蹴り駆けてくる。


「あちゃー、さすがにバレたか」


「油断してたぜクソアマァ! だが、馬車の上じゃあもう目くらましは使えねェッ!」


「どどどどどうするんですかカオルさんっ!」

「サキヤ殿っ!」


 眼鏡の奥で眼球を血走らせているアドラに、マルカとリエフさんは戦々恐々だ。

 僕自身も、あの男は怖いと思う。


 けれど


「ユウくん、足止めお願い」


 カオルにそう頼まれたから、僕は立ち向かう。


 黙って頷き、僕はカオルの大きなリュックから銃を取り出す。


「ユ、ユウ殿! それはっ⁉︎」


 僕が手に取った、パイルとは違うもうひとつの黒鉄を見て、リエフさんは猫のように細い瞳孔を丸く開く。


『|Shot of Holy Only Throb Anima《神聖であり唯一の、脈打つ生命の弾丸》』、通称SHOTAショタ。崎谷薫カスタムのアサルトライフルだ。


 カオルらしい、バカみたいな名前の銃。それでも中身は本物なんだ。

 かつて米海兵隊でも採用されていたという「M27 IAR」をベースに、光学サイトの視認性強化を施し、グリップや銃床にカーボン素材を利用して軽量化を測り、バレルの厚みと長さをほんの少しだけ増やした、全長445mm、5.56×45mmNATO弾使用の、「撃ちやすさ」に特化した自動小銃。


(足止め程度に使うには過ぎた代物だよ。こんなもの、どうやって手に入れて、どうやって改造したんだろう)


 並走する2台目の馬車の御者さんに何やらと話しかけているカオルを横目に、僕は銃を構え、アドラを文字通り迎え撃つ準備をした。

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