第35話 frames per second その1

「オラァ!」


 挨拶代わりと言わんばかりに、カオルは不審な男めがけ、パイルバンカーを纏う拳を遠慮なく放つ。だけど鋭い杭の先は、荷台に立つ男の足元を、いやそれより更に下、「地面」を向いているように見えた。きっと、その威力を誰よりも知っている彼女だから、人体を貫いてしまわないように敢えてそうしたんだろう。

 この一撃は完全な様子見、当てないのは大前提。相手の出方をうかがうための布石だ。



「サキヤ殿⁉︎」


 砕ける土と舞うほこり、その中心で右手を深々と地面に突き刺すカオルを見て、リエフさんは目を丸くする。淑やかだったはずの印象と、今目の前にいる彼女とのギャップに心底驚いているみたいだ。


 衝撃で大きく馬車が揺れた後、土埃が晴れ、杭は上へと戻っていく。リエフさんたちは、興奮した馬を落ち着かせるのに必死だ。


 僕はカオルの方へと視線を戻す。ゆっくり姿勢を正し、改めて正面を向いた彼女の前に、男はいなかった。


「ちっ、外したか」


「おーおー危ねえなあ〜、情報通りのヤベー女だ。ツラはいいのに勿体ねェ」


 声が聞こえて来た方を。男はいつの間にか、山道に生える木に登り、その枝に立っていた。


「褒めるのは顔だけか⁉︎ 私は体もスゴいんだぞ! それと今の一瞬でどうやってそこに登った? そして君はどこから情報を得た?」


にしろよ……止まんねえ奴だな」


 カオルは突然の事にも物怖じせず、男を見据えて、余裕があるように振舞う。当の彼は、カオルの勢いに呆れているようだった。

 その隙に、僕は腰の銃に手を添えながら、マルカのそばへ移動する。

 本当なら、僕たちのいざこざに巻き込まれたリエフさんを真っ先に気遣うべきなんだけど、彼には護衛の部下がいるから、たぶん大丈夫。

 少年の体の僕を除けば、この場で一番か弱いのはマルカだ。


「ユ、ユウくん気をつけて。あの人、なんか怖いです……」

「マルカも注意して。何をしてくるか分からないよ」


 僕に気づいたマルカと小さく話す。相手の能力は未知数。油断はできない。


 カオルも再びパイルを構え、いつ戦闘が始まってもいいように警戒している。


「その武器、撃つのは速いが戻りが遅いよなぁ。反動による硬直時間も長い。発生72フレームの再装填840。ヒッヒヒ、そんなんじゃ俺には当たらねえよ!」


 その言葉を皮切りに、男は木の間を跳び回り始めた。枝から枝へ、地面に降りてきたかと思えばまた上へ。その素早さは、細身と長髪が一つの影になったと錯覚するほどで、目で追うのがやっとだった。


「お返しだぜッ!」


「カオル、後ろだ!」

「ッ! ……あうっ!」


 円を描くように動き回っていた男は、不意にカオルへ飛び蹴りを放ってきた。

 カオルは振り向きざまに、どうにか右腕を前に出し、パイルの腕甲ガントレット 部分でそれを防ぐ。


「ハッ、やるな。クリティカル入ったと思ったんだがよォ〜」


 着地した男は、眼鏡を上げ直してから、もう一度跳び回りだす。

 その動きは遥かに速く、むしろ残像がくっきり見えてしまうくらいだ。


(これじゃ銃も当たらない……)


「っ〜、なんだよこの速さ……元老院はこんな奴まで抱えてたのか。全く転生者ってのは厄介だな!」


 カオルは余裕を薄れさせつつも、その芯は決して揺らがず、美貌に汗を光らせ口角を上げる。


(そうだ。怖気付いてはいられない)

 カオルの前向きな美しさを見ていると、全身に力が入るような気がする。彼女の笑顔を曇らせないためにも、ここは自分を奮い立たせないと。



「なぁオイ、さっきから言ってる『元老院』ってなんだ? アンタのその態度、イマイチ噛み合わんぜ。何が言いたいのかサッパリわからねェー」


「は?」



 カオルの笑顔に元気を貰った瞬間、その笑顔は間抜け面に変わってしまった。

 カオルは口をポカンと開け、枝に立つ男を見る。男の方も、彼女の様子を不審に思ったのか、動きを止めて枝の上で立ち尽くし、顎に手を当てながらこちらを見下ろしている。


「ユウくんユウくん、私、状況がまるで分からないんですけど……」

「ぼ、僕も……」


 流れのままに、相手は元老院の刺客だと思い込んでしまっていたけれど、もしかして……違うの?


「サッパリ分からないのはこっちの方だ! いきなり出てきて勝手に話を進めて! これ以上何かするなら衛兵を呼ぶぞ!」


 互いに見合っていたところに、リエフさんの怒号が響く。彼は僕たち以上に状況を飲み込めていないはず、焦るのも当然だ。


「俺がその衛兵だ。あんま首突っ込むとしょっぴくぜ、リエフさんよ」


「なっ……⁉︎」


 男はシャツの胸ポケットから、銀色のペンダントのような物を取り出し、リエフさんに見せる。

 恐らくアレが警察手帳のようなものなんだろう。それが本物かどうかは別として、少しまずいかもしれない。


「カ、カオル、これ、やっちゃったんじゃ……」

「いやそんな……え、マジ?」


 という事実に直面し、カオルの余裕は音を立てて崩れていく。


「あのー、つかぬことをお伺いしますが……どちら様ですか……?」


 極めてにこやかに丁寧に、だけど滝のように冷や汗を浮かべながら、カオルは男に問う。

 男は木から飛び降り、表情を濃い怪訝の色に染めて答えた。


「だから衛兵だって言ってるだろ。俺は第3分隊長、アドラ=アバローナだ。」


「その分隊長様が一体何の御用で?」


「あぁ? 仕事だ仕事。おかみから『カオル=サキヤが危ねえモン持ってるから調査しろ』って指令が来てよォ〜、実際に会って確かめてみたら、マジにヤバそうな武器持ってんじゃねーか。 わざわざ石炭掘りに来た甲斐があったってことだ」


 アドラと名乗った男は、気だるそうに頭をかきながら、自身のことを説明した。

 そういえば、確かに彼の姿を炭鉱や昨日のギルドで見た気がする。まさかカオルを狙っていたなんて、他の男に混ざって気づかなかった……


「わ、私は危ないものなんて持ってませんけどー」


「じゃあその岩ぶち抜いたり地面えぐったりするやつは何だ? え? 馬車での会話もしっかり聞いてたぜ。アンタの反応からして、リュックの中に色々入ってると見て間違いねー」


 アドラは、反論の余地も無い言葉でカオルを責め立てる。

 彼は「指令」を受けて、「事実確認」も行なったうえでここに立っているんだ。見た目や話し方のせいで猜疑心さいぎしんを掻き立てられてしまっていたけど、彼は全くもって正当な流れを踏んで、仕事を遂行しているに過ぎない。


「やっべどうしよう。ユウくん、マルカ、これって私ピンチかな」

「うん」

「ですね」


 カオルは逃げるようにアドラに背を向け、僕たちの元へ小走りで駆け寄り、しゃがみ込んで話しかけてきた。

 そのまま3人でしゃがみながら、僕たちはコソコソと会議をする。


「いや待って、でもさ、あいつフレームがどうこうとか言ってたじゃん。あれって絶対私たちの世界の知識だよね」

「さっき『俺のFPSの敵じゃない』とも言ってたよ」

「あ、そうそう。その『ふれーむ』って何ですか? 72とか840とか、あれって何の数字ですか?」

「えーと、1秒あたりの映像の枚数というか……」

「?????」


 まずハッキリさせるべきなのは、アドラに元老院との関わりがあるかどうか。いや、厳密には確実に関わりがあるはずだから、それをどう証明するかだ。

 ヒントになるのは『FPS』——1秒の映像中に表示される静止画の枚数のことだ。この言葉をどうやって知ったのかを探らなきゃ。


「なにゴチャゴチャ言ってんだ。オイそこのガキども、テメーらもカオル=サキヤの仲間か? 指令には無かったが、連行対象を増やさなきゃいけねーかもな」


 僕たちが小声で話すのを黙って見ていた彼だけど、とうとう痺れを切らしたようだ。

 彼はズボンのポケットに手を入れ、こちらを睨みつけながら、わざとらしく足音を鳴らして迫ってくる。”連行”という言葉にマルカが生唾を飲む音が聞こえた。


「ああー! ちょっと待って! し、指令は私を『調査しろ』というだけで、『捕まえろ』とは言ってないんですよね? じゃあこのまま見逃してもらえないかなー……なんて……」


 カオルは腰を低くして、揉み手をしながら交渉する。微笑とも苦笑ともつかない表情からは、彼女が本気で焦っていることが伝わってくる。こんなカオルを見るのは初めてだ。


「いきなり殴りかかって来る女を見逃すわけにいかねーだろが、ボケッ!」


 交渉失敗。返す言葉もない。


「お、お待ちください! サキヤ殿が危険な武器を所持しているとの事ですが、そのような事はありません! 彼女が持っているのは採掘用の道具です!」


 黙って見ていたリエフさんが、このタイミングで口を挟んできた。何やらまた裏がありそうな様子だけど、今はそれでもありがたい。


「オイオイオイオイオイ、俺はその採掘道具で殺されかけたんだぜ。アンタも見てたはずだよなァーッ。どうせ道具なり技術なりを売り捌こうって魂胆だろ? 下手に庇わない方が身のためってモンだぜ」


 撃沈。こちらも完全に見抜かれていた。


「サ、サキヤ殿! どうか彼に説明を! このままでは本当に捕まってしまいますよ!」


 やはり図星だったのか、部下と一緒にうろたえながらカオルに助けを求めるリエフさん。

 とっくに僕たちを置いて逃げていてもおかしくはないのに、まだ残っているということは、彼の中でカオルはよほど有用な人ってことだ。


 でも、当のカオルは彼の期待に応えるどころか、真逆の対応を取った。


「リエフさん、申し訳ないが、彼の言うことは本当だ。だけど大人しく捕まってやるつもりもない。もし捕まれば、私は『反乱分子』として処分されるだろうからね」


「サキヤ殿……?」


「テメー……何言ってんだ……?」


 冷たい緊張が走る。まるで空気の震える音が聞こえてくるかのような、一歩も退いてはいけない、そんな緊張。


「しらを切る必要は無い。あるいは本当に知らなくたっていい……恐らく君は自分でも気づかないうちに……それを今から、じっくり調べさせてもらう」


 カオルは軽く髪を直し、白衣をバッとはためかせて、先程までとは全く違う雰囲気を出した。


 僕とマルカは互いに見合って頷き、カオルのサポートに回る決心をする。捕まるのは嫌だけど、どの道、カオルがいなくなっては意味が無い。


「調べるのは俺だッ! 何をする気か知らねーが、俺の『framesフレーム perパー secondセカンド(瞬きの中に刻む光)』に勝てると思うなァーッッッ!」


 アドラ=アバローナは超人的な速度と跳躍力で、再び木々の間を跳び回り始めた。

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