アオミドリ

ウスイ マユ

アオミドリ




撮影が終わると、カメラの電気もセットの活気も消え、スタッフもいなくなってまた1人になる。

そんな孤独が怖くなって、去年芸能界を引退した。静かに過ごしたいという気持ちもあって海外旅行に出ることにした。家族にも友人にも言わず、リュックにスマホとネックピロー、日焼け止め、それに持病用の薬を詰めて空港へ車を走らせた。免許を取ったのはいいが、仕事の際はマネージャーに送り迎えしてもらっていたので、あまり上手ではない。しかも、左曲がりしか出来ない。何度かくじけそうになりながらも何とか空港に着いた。

行き先は時刻表の1番上にある国にしようと決めていた。1番上にあったのはフランス。オシャレな街に焦がれて小さい頃よくフランスパンを食べながら絵をかいていたのを思い出した。


「ドリちゃん!また描いとるの?」

ドリというのは私のことで、リーくんこと水瀬涼音みなせりのが私の名前、あおをみどりと読み間違えた時からそう呼ばれている。

色の名前ってことで正解やんっとリーくんは笑っていたっけ。

「あ!これ、まだ完成しとらんから触らんといて!」

「あ、ごめんごめん。」

「てか、リーくんなんでうちの部屋におんの?」

「スンちゃん見に来た!」

スンちゃんはうちの猫で、呼びかけてもいつもスンっとどこかへ行ってしまう。

「多分散歩に行ったと思うけど?」

「えー。今日こそ仲良くなれると思って鰹節も持ってきたのに。」

「後であげとくよ。」

「いやだ。待つ。」

「好きにすれば。でも、絵だけは勝手に触らんといてね!」

「わかっとるって。」



「お客様。この便は現在天候の影響で欠航しておりまして、次の便も見合わせております。ですので申し訳ありませんが、こちらのチケットは今販売しておりません。」

明るくハキハキとした声に現実に引き戻された。

どうやらフランスでは過去最悪の大雨らしい。

他にどこか行けそうな場所はないかとまた時刻表の前に立った。一つ下に表示されていた国を選んだ。チケットを持ち搭乗口へ行くと、CAさんが微笑みかけてくれた。

「行ってらっしゃい!」

今までいつもマネージャーがいたので、一人旅にはすこし不安があったがこの暖かい風で吹き飛ばされていった。

「行ってきます!」

ここでひとつ忘れていたことがあった。私は英語を何一つ勉強せずにここまで来てしまった。小中高と成績は良かったもののそれっきり全く勉強していない。

ダメもとで機内のCAさんになにか単語帳のようなものはないかと聞くと、奇跡的にCAさんの中に単語帳を持っている人がいて貸してくれた。

「こんだけ勉強したんだから大丈夫っていう、私のお守りみたいなものです。私のお守りは今はこの指輪があるので碧さんに託すことにします!到着まで18時間あるので何とかなってくれると思います!」

「ホントですか?ありがとうございます!頑張ります!」

「碧さんに自分の宝物を貰ってもらえるなんて夢みたいです。」

「私のこと知ってくれてるんですか?」

「はい!私も三重出身なので。三重といえば海崎碧ですよ!」

「ありがとう。おかげでうちも女優やって良かったんやなって思えました。」

「いえいえ。碧さんは私にとって女神様ですから。あ!時間や!失礼します!良い旅を。」

そう言うやいなやCAさんは走って戻って行った。私を覚えててくれる人はいるんだ。そう思いながらコーヒーを1杯飲み、さっき貰った単語帳を開くと、書き込みが何度もされていてほぼ真っ黒だった。気合を入れて1周目。全く分からない。やっと一周したと思って時計を見ると、3時間も経っていた。

本当に間に合うのか心配だったが、2週目は2時間半、3週目は2時間とどんどん短くなっていって最終的には1周30分くらいでできるようになった。台本を覚えるように例文を丸暗記したのだ。

メルボルンに着いて、電車に約3時間揺られると目的地に着いた。

ウォーナンブールという都市に行くことに決めたのは約5時間前。

隣に座っていたおばさまが田舎で大学の寮を営んでいて、出入国カードの滞在先の欄が空白のままの私によかったらどうかと声を掛けてくれたのだ。拙い英語で単語帳を片手に交渉すると、無料で貸してくれるということになった。ただし、週末には周辺の活動に参加するという条件付きで。活動とは主に海のゴミ拾いや大学周辺の掃除のことらしい。

明らかにおばさまの方が不利になってしまう結果だが、私には息子が3人いてねあなたみたいな可愛い娘が欲しかったのよ、と快く了承してくれた。

住所を書いたメモを持って寮へ向かう。

確かここを曲がって、いや、こっちを真っ直ぐ…そういえば私は方向音痴だった。

自分で行くのを諦めて道路の方へ顔を出し、車が走ってくるたびにメモをひらひらさせ、ここに連れて行ってと叫んだ。

車の使用率が高いというのは聞いていたが、まずその車が見当たらない。

7台目でやっと止まってくれた。

名前はなんというの?と聞かれ、ドリーです。と答えた。こっちの方が外国風でいいと思ったのだ。乗っていたのは若い男性2人組だった。目的地を伝えると、なんとその人たちは同じ寮に住んでいることがわかった。

車に乗せてもらい、30分くらいすると突然窓が開いた。ここら辺は海の風が気持ちいいんだと教えてくれた。

寮に到着した頃にはすっかり日も暮れて小さな灯りがあちらこちらについていた。

「みんなでご飯食べようよ。ドリーもお腹すいてるでしょ?」

「ありがとう。正直、お腹すきすぎて気持ち悪い。」

「そりゃ急がなきゃ!」

共用リビングに着くと、テーブルには3人ではとても食べきれないほどの肉料理が並んでいた。リーくんがよく作ってくれたのと同じだ。

「おい、ドリー、大丈夫か?」

「え?何が?」

目の方を指さされたので何かゴミが付いているのかと擦ると、手がぬれた。泣いていたのだ。


「違うよ。ドリーじゃないよ。ドリだよ。あと、ドリってつけたのは僕だし勝手に変えないでもらえる?」

後ろから懐かしいあの声が聞こえる。

「リーくん?」

「会いたかった。ドリ久しぶり。」

「どうして?」

振り向くと、ひょろりと背が高くなったリーくんが立っていた。私が12歳の時、18歳のリーくんは料理の勉強をすると言って突然イタリアに行った。それから連絡がつかなくなって2年が経っていた。

「ドリーこの人誰?」

「この人は…」

絵を描いているのはずっと続けていた。だが、そのせいでバカにされることが多かった。絵は根暗なやつが描くものだって。

「ドリの絵すごいんだぞ!イタリアでも大絶賛だった。ぜひレストランに飾らしてくれって言われてひとつあげてきたよ。」

「え?根暗の絵が?」

今まで私を冷たい目で見ていた人の目の色が変わった。リーくんは私の手を握ったと思うと、走り出した。そのままリーくんの家に着いた。テーブルの上には肉料理がテーブルいっぱいに広がっていた。

「わぁ!美味しそう!」

「どうぞ。召し上がれ。」

「いいの?」

「うん。全部ドリの分。」

「やったぁ!いっただきまーす!」

目の前にあった料理をひと口食べた。

「…どう?」

お母さんの味よりも少し美味しいような気がした。リーくんは目を丸くして次から次へと平らげていく私を見て微笑んでいた。


女優に大抜擢され、地上波に初めて出演した日。突然電話が鳴った。リーくんと表示されたが、あと5分で本番だったので切ってしまった。放送が終わってから、かけ直そうと携帯を手に取ると、留守電が入っていた。


ードリ。おめでとう。これからも頑張ってね!


リーくんも見ていてくれたんだ。と思うとほっとした。急にこちらから電話を切ってしまったのは初めてだったので嫌われてしまうのではないかと収録中、気が気ではなかったからだ。

一息ついていると、ドアが急に開いて、マネージャーが顔を覗かせた。

「碧!お母さんから。」

「ありがとうございます!」

きっと反対していた母もテレビを見てくれていたのだろう。少し胸を高ぶらせながらマネージャーから携帯を受け取った。

「碧、リーくん知らない?」

「え?」

「さっきお母さんから電話があったんやけど、昨日から連絡がないんだって。あんたのところに行ったんじゃないかって。」

また何も言わずに出て行ってしまったらしい。でも、自分の携帯にはちゃんとメッセージが残っている。

「碧、これ。」

先程のマネージャーが飛んできてテレビをつけた。

ー先程午後8時頃、東京都新宿区で2,30代とみられる男が包丁を振り回し、止めに入った20代の男性を刺したもようです。男性は現在意識不明の状態であり……

ー男性は身分証明書から行方不明届けが出ていた料理人の水瀬涼音さんであるとみられています。

「リー、くん……?なんで?」

「碧……?」

「やだ。いなくなっちゃいや!」

「碧、落ち着いて!これから次の仕事に……」

「いや!」

必死に止めるマネージャーを残して、控え室を飛び出した。リーくんに電話をかけながらニュースに映っていた病院まで走った。リーくんからの返事は一向に来ない。

「碧ちゃん。来てくれたん?ありがとう。」

ベットの横にリーくんのお母さんが座っていた。リーくんの口元には酸素マスクが着けられている。

「今日が山やって。お医者さんもなんとも言えなさそうにしとった。この子が助けたのはその犯人本人の命やからな。」

「え?」

「包丁を振り回してたって報道されてるけど、本当は最初から犯人は自分の方に向けてたんやって。それをこの子は止めに行ったんや。包丁は命をたつためのもんじゃない、美味しい料理を作って生きるためのもんやって。」

「私ね、昔、リーくんと約束したの。必ず誰かのために、だけどちゃんと自分のためにって。」

リーくんのお母さんは何も言わずにじっとリーくんの顔を眺めていた。


「なんでもないよ。大丈夫。約束はちゃんと守ってるから。」

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