第32話 交わされた約束

 その瞬間、突然世界が荒れた。

 簡単に軍艦を沈められそうな津波がいくつも波が作られ、僕等の真下の海にはディアが海層渡りをして来た時とは比べ物にならないほどの巨大な渦潮が出現する。


「この魔法……アリスっ⁉」


 すると、それを見たディアが焦ったように渦潮の上でこちらを睨んでいるアリスさんに視線を向けた。


「……」

「アリス、今すぐこの魔法を止めて! 仲間が死んじゃうよ⁉」

「……貴様に言われずとも、とっくに避難させているさ。今頃は、遠くからこちらの様子を見ているだろうな」

「様子を見ているって……それじゃあ、アリスの封印が解けている事が光海教会にバレちゃうじゃん⁉」

「……それでいい。どうせ、長くはない命だ」


 その時、自嘲気味に笑うアリスさんの全身から大量の黒い霧が吹き出した。


「あれって……っ⁉ おい、クソ蛇! お前、アリスに何をした⁉」

「……黒銀の槍で刺した」

「なんて事を……っ!」


 ディアが本気で怒ったように、サズ子に掴みかかる。


「お、お姉ちゃん、落ち着いて! まずは、今の状況の説明をしてよ!」

「……っ! クソ蛇が知っているって事は、蒼もアリスがもう死んでいるのは知っているんでしょ?」

「あ、ああ……って、まさか⁉」

「そう。アリスは、私の魔法で魂を繋いでいた。でも、黒銀の槍でアリスを傷つけたのなら、私の魔法も間違いなく傷つけられている。普通の魔法じゃないから、完全には破壊されなかったみたいだけど……あの様子を見るに、恐らくもう限界は近い」

「そんな、気が付かなかった……だって、アリスさんはずっと平然としていたから……」

「……アリスは、我慢強い。それに責任感も強いから、私を放置することが出来なかったんだ」


 ディアは悔しそうにサズ子を睨むと、乱暴に手を放しながらアリスさんに語りかける。


「アリス! お願いだから、今すぐその魔法の発動を止めて! どの道、その魔法じゃあ、私は殺せないよ⁉」

「……安心しろ。私の狙いは、貴様じゃない」

「え……?」

「……私の狙いは、お前だ。蒼」


 アリスさんは、酷く冷えた目で僕を見る。


「ぼ、僕ですか?」

「そうだ……私は、貴様の持つスキルを許容出来ない。その力は、この世界を壊す力だ。ましてや、それがそこの簒奪者の手に渡ってしまったら、取り返しのつかない事態になってしまう」

「私は、世界を破壊するつもりなんてないよ! 私は、ただ——」

「海賊の言うことなんぞ、信じられるか。私は、私の正義を遂行する」

「アリス……」

「ディア・シー。過去の戦闘から、貴様にこの魔法を止める術がないのは分かっている。確かに、貴様を殺すことは出来ないかも知れないが、私の邪魔はさせんぞ」


 アリスさんはそう言うと、眼下にある大きな渦潮を見下ろす。


「さあ、出てこい。不死の怪物よ。世界を守れ」


 その瞬間、巨大な渦潮から生まれたように、渦の中心から全身が水で出来た巨大な龍が飛び出してきた。


「危ない!」


 水龍が僕を目掛けて真っ直ぐ喰いかかって来ると、咄嗟にサズ子が僕から槍を奪って龍を斬り裂く。

 槍に触れた瞬間、龍の頭部は弾け飛ぶが……すぐさま海水が集まり頭部を再生すると、反撃するようにサズ子に向かって圧縮した水を吐き出した。


「な——っ⁉」


 サズ子はその攻撃をもろに喰らい吹き飛ばされ、大きな水柱を作りながら海に叩き落とされる。


「ガイア、サズ子を助けろ!」

「GYAOッ!」


 僕が慌ててそう命令すると、ガイアはすぐさまサズ子が落ちた場所に向かって飛んで行く。

 しかし、水龍はガイアになど目もくれず、僕を狙って突っ込んで来る。


 ……だが、これでいい。アイツの狙いは、僕だ。

 つまり、僕が逃げなければ周りに被害を出す事も無い。


「【死を齎した明星】」


 その時、隣にいたディアが古式銃の引き金を引き、黒い光を放つ。

 すると、水龍は黒い光の通り道を開けるように頭部から胴体にかけて破壊されるが、光が収まると何事も無かったかのように再び再生した。


「【物質破壊】魔力崩壊、【存在破壊】」


 ディアはそれを見ると、次に空間を歪める透明のドロッとした液体を水の龍に投げつける。

 しかし、透明の液体は水の龍に飲み込まれるが、特に効果があるようには見えない。


「チッ、やはり、【存在崩壊】を魂が無いモノに使っても無駄か……」


 諦めたような溜息を吐くと、ディアは水龍に背を向け、僕を守るように抱きしめた。


「お、お姉ちゃん⁉」

「私は大丈夫だから。それより、動かないでね」


 その瞬間、とてつもない衝撃が僕達を飲み込んだ。


 僕達は激しい水流に襲われて、抵抗する事も許されずに身体の中を流されると、そのまま海の中に引きずり込まれる。

 僕は身動きの取れない中、何とか目を開ける。

 すると、何も見えないはずの黒海の中で、何故かはっきりとその龍の姿を視認する事が出来た。

 激しい水の流れで出来てるそいつの身体は……海を埋め尽くすほど巨大で、動くたびに海に渦巻きを作っている。


 これ、全部コイツの身体なのか……っ⁉ いくらなんでも、デカすぎるだろう⁉


 圧倒的な怪物を前に僕が唖然としながら目を奪われていると、遠くから何かが物凄いスピードでこちらに向かって来るのが見えた。


「私の蒼を傷つける奴は許せない……あと、普通に痛かった」

「サズ子⁉」


 ほぼ間違いなく後半の台詞の方が本音のサズ子がガイアに乗って水龍に近づくと、僕達がいる辺りを槍で斬り裂く。

 すると、激しい水流は弾け飛び、僕達は一瞬だけ自由になった。

 サズ子はその一瞬で僕達を回収すると、龍の胴体が再生する前にすぐさまその場から離脱する。


「サズ子、助かった!」

「大丈夫。それより、これからどうする? このまま逃げる事も出来るけど」


 サズ子がそう言うと、ずっと僕を守るように抱きしめていたディアが顔を上げて、抗議するように僕を見る。

 ……ああ、そっか。ここは水中だから、ディアは話す事が出来ないのか。


「あれ、サズ子は人間になったんだよな? じゃあ、何で水の中で話せるんだ?」

「……それに関しては、私もさっき全く同じ質問を蒼にした。恐らく、蒼のスキルにはそういう効果がある。そして蒼が私のスキルを使えるのと同様に、私も蒼のスキルの恩恵を得られるみたい。おかげで、ガイアが私の言うことも聞いてくれたから助かった」


 なるほど。命令していないのに、ガイアが僕を助けに来たのはそういう事か。


「とにかく、海面に上がろう。このままじゃあ、ディアの息が持たない」

「その女に、そんな心配は無用だと思うけど……分かった。でも、流石に話し合う時間が欲しい。海面に上がるとしても、出来るだけ安全を確保してからが良い」


 サズ子はそう言うと、嫌そうな顔でディアを見る。


「……おい、性悪女。何とかしろ」

「……」


 そうすると、サズ子に負けないくらいの滅茶苦茶嫌そうな顔をしたディアが上を指差す。


「……ガイア、上がって」

「GYOッ!」


 ガイアは素早く海中を移動すると、海面から飛び出した。


「鏡魔法【傲慢な卵ハンプティダンプティ】」


 しかし、僕達が海の中から出て来ると同時に、上空から僕達が上がって来るのを待ち構えていたアリスさんが魔法を使う。

 すると、僕達の目の前に全身がいくつもの小さな鏡で作られた卵型の球体が現れた。

 鏡の繋ぎ目が、まるでひび割れた卵みたいだ。


「あれは……っ⁉」


 ディアはそれを見ると、焦ったように魔法を唱えた。


「欺瞞神の魔法書、原典に接続。我、この世の全てを欺く者。愚者の扉は開かれた。笑え、怒れ、喜べ、悲しめ、驚愕しろ。全ては、我の示した通り。憤怒に塗れた愚者達の行進を眺めながら、我は今日も世界を嘲笑う。我が名は、狡猾の支配者なり。権能発動【誑惑権限】」


「世界を騙せ、【悪戯ロキ】」


 ディアの魔法が発動し、鏡に映っていたはずの僕達の姿が消えると……同時に、卵型の鏡が割れた。

 その瞬間、鏡に映っていた海面が割れるように轟音をあげながら弾け飛ぶ。


「あっぶなぁー……」

「な、何が起こったんだ?」

「【傲慢な卵】、鏡に映ったモノ全てを破壊する防御不可の爆弾みたいなものかな。対象が指定できないからアリスはあんまり使いたがらないけど、ここには私達以外に誰もいないから使ってきたみたいだね」

「でも、それって、アリスさんも危ないんじゃあ……」


 僕が心配しながら先程までアリスさんがいた場所を見上げると、そこには丁度粉々に砕けた鏡を持ったアリスさんがキョロキョロと辺りを見渡している所だった。

 どうやら、自分の身体の前に大きな鏡を出す事で爆発を防いだようだ。


「……あれは、自分の魔法で自爆するような奴じゃない。それより、性悪女。この魔法は、安全なんだろうな?」

「お前、誰に向かって口を聞いているんだ? そんなに信用出来ないなら、さっさと一人でここから去れ」

「言われなくとも、私は別にあの金髪女がどうなろうと構わない。去って良いのなら、今すぐにでも上の海層に向かっている」

「お前等、喧嘩はやめろって……それより、お姉ちゃん。どうにかして、アリスさんを救う方法はないのか?」

「流石は、蒼。話が早くて助かるよ。アリスが今使っている魔法は魔力の消費が多すぎて、今のアリスじゃあ代償を支払い切れない。このままだと、私とアリスを繋ぐパスが切れた瞬間、アリスの魂そのものが潰れてしまう。だから、もう一度アリスにその槍を突き刺して、あの魔法の発動を強制的に止める必要がある」

「……でも、そんな事をしたら、それこそアリスさんは本当に死んじゃうんじゃないのか?」

「……くふっ、やっぱり、蒼は面白いね。君はアリスがもうとっくの昔に死んじゃっているのを知っているのに、それでもなお、今のアリスを生きていると思っているの?」

「そんなの当たり前だ。アリスさんには自我があって、こうして自分の正義を貫こうとしている。狙われているのが僕なのは不本意だけど……それでも、あの人は今を生きているんだ」

「うーん……。やっぱり、蒼大好きっ!」


 ディアはそう言って、本当に嬉しそうに微笑む。


「大丈夫、アリスは死なせないよ。魔法が解けたら、もう一度、私がアリスの魂をこの世に縛る魔法を使うから」

「そっか。よし、それで作戦は?」

「簡単だよ。今私が使っているこの魔法は、世界から姿や生物が発する全ての気配や痕跡を消すから、どんなに近づいても居場所がバレる心配はないの。だから、このまま近づいてさっさと槍を突き刺しちゃおう」


「残念ながら、それはもう遅い」


 サズ子がそう呟いた瞬間、アリスさんの周りの空間が内側に吸い込まれるようにブレる。


「【鏡の世界】」


 その瞬間、巨大な円形の闇が上空に現れた。


「しまった……っ⁉ 鏡の世界に逃げられた! まだ、あんな魔力が残っていたのか!」

「あ、あれって、そんなに不味いのか?」

「不味いね。あれは簡単に言えば、アリスの思い通りになる世界を創る魔法なんだよ。だから、あの中に入ってしまえば、私の魔法はほとんど意味をなさない」

「じゃあ、外からどうにかして破壊出来ないのか?」

「無理だね。外からいくらちょっかいをかけようと、あの龍みたいに魔法を維持しているアリス自身の魔力が尽きるまで、無限に再生し続けるよ。しかも、恐らくアリスは魔力が無くなろうと死ぬまで魔法を解除する気がない」

「……行くしかないのか」

「うん。でも、その為にはアイツをどうにかしなくちゃ」


 ディアはそう言うと、上空に開いた穴を守護するようにとぐろを巻いて海面を睨みつけている水龍を見る。


 ……まるで、何処かの国のお姫様を守る守護龍みたいだな。

 まあ、傍から見れば、間違いなく僕達は悪役なんだろうけど。


「アイツは、私でも破壊出来ない。でも、アリスを助ける為には、どうにかしてあの龍をどかさなければ……」

「……なら、あの龍は私が引き受ける」

「サズ子?」

「私が千変万化であの龍の支配権を奪うから、蒼達はその隙にあの金髪女を助けてくるといい」

「お前が……? 一体、どういう風の吹き回しだ」


 ディアが警戒しながら、サズ子を睨みつける。

 しかし、サズ子は酷く興味が無さそうな目でチラリと横目でディアを見ると、持っていた槍を僕に差し出す。


「蒼は、あの女を助けたいと思っている。そして、私は蒼に生かされた身……だから、本当は凄く止めたいけど、止められない。なら、せめて少しでも、蒼が安全な道を作る」

「……僕は、別に盾にしたいからサズ子を助けた訳じゃないぞ」

「知ってる。私は、槍だもの。一か月前に、蒼がそう言ったのを忘れてはいない。私はただ、貴方が通る道を突き開けるだけ」


 サズ子は無駄に上手い事を言ったという雰囲気を出しながら、僕に向かってどや顔をする。

 ……そう言えば、僕とサズ子とディアで言い争っていた時に、そんなような事を言った気がするな……しかし、何故だろう。本当は結構シリアスな場面のはずなのに、サズ子の渾身のどや顔のせいで、サズ子を心配する気持ちがゴリゴリと削られてしまった。


 僕は呆れたように溜息を吐きながら、サズ子から槍を受け取る。


「分かった、お前を信じる。僕をアリスさんの所まで連れて行ってくれ」

「任せて」

「……【逆賊神の宝物庫】」


 その時、不意にディアが何処からか漆黒の鎌を取り出すとサズ子に向かって放り投げる。

 サズ子はそれを片手でキャッチすると、胡散臭そうに鎌を眺めながらそのままディアに視線を向けた。


「何だ、コレは」

「今の弱っちいお前にアイツの相手は負担がデカいだろうから、その鎌を貸してあげるよ」

「……どういう風の吹き回しだ?」

「お前は、力と一緒に言語能力まで失ったのか? 力を貸してやると言っているんだ」

「お前の施しなんて受けない」

「あっそ。まあ、私は別にお前なんてどうなっても良いし、好きにすれば?」

「お前等はだから、何でそんなに仲が悪いんだ……お姉ちゃん、この鎌は一体何なの?」

「【虚偽と死の鎌】。名は、ドゥルジナース。そのクソ蛇と同じ悪器だよ」

「悪器?」

「その名は……」

「気に入らないなら、さっさと海に捨てな。私にはもう必要ない物だから、そうしてくれても構わないよ」

「……」

「一応聞くけど、危険なモノなのか?」

「クソ蛇を見れば、言うまでもないよね」

「最悪だ……」

「ねえ、食い気味でその言葉が出てきた事実に不満しかない」

「お前には、それだけとてつもない前科があるだろ?」

「そろそろ、いつまでも過ぎた事をチクチク言われるのは、あまり好きじゃないと言っておくとする」

「おい、コイツもう開き直りやがったぞ。やっぱり、最悪じゃねえか」

「残念、私はすでにそれでも貴方が私を受け入れてくれるって事を知ってしまった」

「過去に戻って、コイツはやっぱりロクでもない奴だから助けなくていいぞって、今すぐ自分に伝えたいな」

「……そこまで言われると、流石に傷つく」

「なあ。だから、そんなにメンタル弱いなら無駄に悪ぶるなよ」

「私は悪を定められた存在だから、それは無理な話」

「はいはーい。気分が悪いので、それ以上は私の蒼と喋らないでくれないかな?」

「フラれ女は黙ってろ」

「は?」

「あ?」


「……だから、お前等いい加減にしろよ⁉ いつまでも喧嘩してないで、さっさとアリスさんを助けるぞ!」


 収拾がつかなくなってきたので僕がキレ気味にそう叫ぶと、ようやく二人は睨み合いを止めて、上空にいる水龍と向かい合う。


「しょうがない。蒼がそう言うなら、今は性悪女の事なんて無視して、引きこもり女を外に連れ出す事に集中する」

「そうだね。私もいい加減、アリスの我儘に付き合うのも疲れて来たし、ここは協力して三対一でアリスをボコボコにしよう!」

「いや、一対一対一対一だ」

「まだ、それやるんだ⁉」

「未だに、一の中に私がカウントされている事に震えが止まらない」


 二人の戦慄したような視線を無視しながら、僕は巨大な黒い穴を見つめる。


 状況は大分変わってしまったけど……アリスさんと交わした約束だけは変わらない。

 今助けに行くので、もう少しだけ待っていてください。アリスさん。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る