第30話 異誕の魂


「えっ⁉」

『なっ⁉』


 私と性悪女は、同時に声をあげる。

 私の魂から、何者かが力を持ち出している?


 私は咄嗟に性悪女の方を見ると、同じタイミングでこっちを見ていた性悪女と目が合う。


「お前、私に何をした⁉」

『私は、何もしてない! 私の魂に触れているのは、お前の方だろう⁉』

「はぁ? 何を言って……」


 その時、私達の真下にあった奈落が弾け飛び、いくつもの竜巻が海面から噴き出す。

 まるで、この世の終わりに訪れるかのような異常事態だ。

 明らかに普通じゃない。


「【地獄門】が壊された⁉ 一体、何が起こってるの⁉」


 ドックン——ッ!


 その瞬間、私の胸を内側から殴りつけるような衝撃が来た。

 これは、心臓の鼓動か……? でも、そんな事あり得ない。だって、私には心臓なんてモノは存在しないのだから。

 だったら、これは誰の……?


『GYAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOッ!』


 私が唖然としていると、海面から一際大きな水しぶきが上がり何かが飛び出してくる。

 そいつは全身を蒼い鱗で包んだ蛇のように細長い身体に手足を持つ、肉食獣のように凶悪な顔をした生物だった。


「海龍ガイア……ッ⁉ 何で、このタイミングで⁉」


 性悪女は驚愕したように叫ぶが、私の目は海龍の背に乗っている人物に向けられていた。

 何故かは知らないが、確信出来る。あの海龍の背中に乗っているのは……っ!


「サズ子――――ッ‼ 今助けるから、そこで大人しく待ってろ‼」


「『蒼⁉』」



****************



 僕は龍の背中に乗って、サズ子達を見下ろす。

 これこそ、僕が想像していたの龍だ。第一海層にいた兎なんかとは違う。

 黒海の中にコイツがいた時は驚いたが、何故かコイツと目が合った瞬間、ガイアという名前と僕の言うことを聞いてくれるという確信のような予感が頭の中に伝わってきたのだ。


「ガイアッ! あそこに向かって突っ込め!」

『GYAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOッ‼』


「『ちょっ⁉』」


 僕がガイアに命令すると、ガイアは了承するように激しく咆哮しながらサズ子達に突っ込んでいく。


 二人からは信じられないと言ったような抗議の視線を向けられるが、そんなもの知るかぁーーっ‼

 サズ子は勿論、ディアにも随分と好き勝手にやられたのだ!


「二人まとめてぶちのめせぇぇええええええええええええええええええええええええっ‼」

「『ええええええええええええええええええええええええっ⁉』」


 ディアは慌ててサズ子の上から離脱するが、サズ子は何かに拘束されたようにその場から動かないでいる。


『お、おい、性悪女っ! 逃げる前に、私にかけた魔法を解いてからぐはぁッ⁉』


 しかし、僕とガイアはサズ子からの抗議の視線やにじみ出る本気の焦りを全てガン無視して、サズ子を派手な音を立てながら海面に叩きつけると、そのまま海の中に潜る。


 ……流石に、黒海の中ならディアも追って来られないだろ。


「ガイア、そのままここで待ってろ」

『GYAッ』


 海中で僕がそう命令すると、ガイアは再び了承するかのように短く返事を返す。

 サズ子なんかよりも、よっぽど素直で良い龍だ。

 心なしか、凶悪な顔つきをしているはずなのに、人間状態のサズ子よりも断然可愛く見える。


「……さてと。おい、サズ子。いつまでも寝てないで起きろ」

『い、いや、これはどんなに凶悪な顔をした龍が突っ込んできても逃げられないくらいガッツリ拘束されてるだけで、別に寝ている訳じゃあ……あれ、でも身体が動く……? て、ていうか、蒼? 何で海の中で、蒼が喋れるの?』

「全く分からん。とにかく、槍を出せ」

『槍?』

「ああ、いつもお前が持ってる黒銀の槍だ」

『……アレを、どうするつもり?』

「お前を助ける為に使うに決まってるだろ?」


 自分から助けを求めてきたくせに、今更何を言ってるんだ、コイツは?


 僕が馬鹿を見るような目でサズ子を見ていると、それ以上の馬鹿を見るような目でサズ子が僕を見つめ返してきた。

 ……コイツ、もう一回ぶっ飛ばしてやろうかな。


『何故、貴方が私を助けようとするの? 私は蒼を騙したんだよ?』

「ああ、知ってるよ。お前が自分を神だと名乗って、僕にあれやこれやと散々デタラメを吹き込んでたこともな」

『だったら、何で……』

「お前は嘘つきで、僕の身体を良く好き勝手に動かす、とんでもないメンヘラだ。正直、良い所なんて一つもない。本当に、冗談抜きで最悪な奴だ」

『何それ、病みそう……』

「……でもな。お前が最悪だからこそ、僕はお前を助けることが出来た。お前の助けを呼ぶ声は、お前に海の底に叩き落とされた被害者の僕の所にまで、これでもかと伝わって来たぞ」

『……最悪ね』

「ああ、本当にな。……でも、お前はもうそれでいい」

『え……?』

「お前は、世界一最悪な奴だ。そして、僕は世界一騙されやすい大馬鹿野郎だ。だから、サズ子。僕と契約してくれ。お前は世界一最悪な奴だからこそ、他人の嘘が分かるはずだ。もしも、僕が騙されそうになったら、騙される前にお前が僕に教えてくれ。その代わり、僕はずっとお前を守り続ける」

『でも、私は貴方を利用して……』

「そんなの、僕も一緒だ! 僕もお前の力を利用した! だから、代償を支払うハメになったんだ! だったら、僕に返せる形で対等な契約を結び直そう!」

『……違うの、蒼。私がやった事は……もっと、取り返しのつかない事なの。力を求めるのなら、代償を支払わなければいけない。でも、貴方の支払える代償では……私の力は大き過ぎる。私はそれを分かっていながら、貴方に力を……』

「あーもーっ! でもでも、うるさい! お前がどれだけ取り返しがつかない事を僕にしたかなんて知らないが、お前はもっと図々しい奴だろ⁉︎ なら、でもじゃなくて、それでも僕と一緒に生きたいと言えッ‼」

『蒼、何でそこまで……』

「お前が言ったんだろ⁉ 死ぬまで僕から離れないって! 僕と一緒になら、この世界に骨を埋めても良いって! だったら、黙って僕について来い! 僕には、お前が必要だ‼」

『蒼、記憶が……っ⁉』

「そんなの今どうでも良い! それより、返事は⁉」

『…………良いの? 私は最悪だから、そんな優しい言葉を吐かれると……本気にしちゃうよ?』

「それでいい! 行くぞ、サズ子! 海面から出ろ!」

『……っ。はい!』


 僕はサズ子に乗ると、ガイアを連れて海面に飛び出る!


 すると、海面スレスレの所では、心配そうな顔をしたディアとアリスさんが海を覗き込んでいた。

 本当は今すぐにでも事情を説明しに行きたいが、しかし、今はサズ子だ。早くしないと、サズ子の魂が消滅してしまう!


「サズ子、槍!」

『こ、ここにある!』

「早く寄越せ!」

『は、はい……っ』


 僕はサズ子が咥えた槍を手に取ると、深く息を吸う。

 上手くいく保証なんて何処にもない。しかし、何故か確信に近い予感がある。


「……僕を信じろ、サズ子」

『……うん。信じる』


 僕はその台詞を聞くと、覚悟を決めて思いきりサズ子の身体に槍を突き刺した。



****************



「無茶だ……」


 私はその光景を、ただ呆然と眺めていた。

 他人の魂が見える私には、蒼が今何をしようとしているのかが分かる。

 蒼は恐らく、私がクソ蛇の魂に落とした存在を犯す泥を黒銀の槍で取り除こうとしているのだ。


 しかし、それはあまりに無謀だ。

 クソ蛇の話が本当なのであれば、あの槍は魂の力であるスキルですら無効化してしまう。

 スキルとは、要は魂の力だ。つまり、それを無効化してしまうあの槍が魂に触れてしまえば、それこそ魂が消滅してしまいかねない。

 しかも、見ていれば分かるが、蒼は間違いなく魂が見えていない。

 つまり、今の蒼がやっているのは目隠しした状態で、心臓に付いている汚れをメスで払おうとしているようなモノだ。

 少しでもメスが心臓に掠ればその瞬間に患者は死ぬだろうし、そもそも使う道具が間違っている。


 それに魂にへばり付いた存在を犯す泥を取り除く方法なんて、魂の支配者である私ですら知らない。


 どの道、あの蛇はもう助からないのだ。


 しかし、蒼はとあるスキルの名前を口にする。


「いい加減、サズ子の魂から出ていけ! 【異海の支配者】‼」


 その瞬間、蒼とクソ蛇の身体が……魂が眩しく光った。

 そこで、私は信じられない奇跡を目撃する事になる。



****************



 直感のままに再びスキルの名前を叫ぶと、目の前に居たサズ子の身体が激しく光り目が眩む。


 そして気が付いたら僕は暗闇の中で、空間を歪める透明な靄の前に居た。

 ……間違いない。これが、サズ子の魂を蝕む原因だ。


 僕が靄を破壊しようと、手に持っていた槍を振りかぶる—。


「本当に、それを破壊して良いの?」


 その時、背後から人間状態のサズ子に声を掛けられた。


「……お前、まだそんなこと言ってるのか? 僕はもう、お前に対して怒ったりしてないぞ?」

「違うの。良く聞いて……今、その靄は私の魂を蝕んでいる。つまり、私の魂は絶賛大ピンチで代償の取り立てなんかやっている暇はない。だからこそ、私に魂を削られているはずの蒼は、今動けている」

「だから、なん——」

「でも、もし、蒼がその靄を壊してしまったら……私の意志に関わらず、私の魂は失った部分を補うために、蒼の魂を喰うよ」

「……」

「……蒼。私はね、凄く嬉しかったの。貴方は、こんな私の事を受け入れてくれた。だって、それは本来あり得ない事だもの……悪を定められて創られた私に、今までそんな感情を向けてくれた人なんていなかったから……私は、貴方のおかげで幸せを知れた気がする」


 サズ子は、本当に幸せそうな笑顔で微笑む。

 ……その言葉に、嘘は感じられなかった。


「……お前、前に僕の事を偽善者だと言ったよな」

「え?」

「僕が偽善者なら、悪を定められて悪事を働くお前は偽悪者だ。そんな奴の言葉なんて信じない」

「蒼……」

「それに、僕は言ったはずだ! でも、なんて言葉を使うな! それでも、僕と一緒に生きたいと言え‼」


 僕は、確かにサズ子の言葉に嘘は無いと感じた。

 ……しかし、アイツの言葉に嘘が無いわけがない‼︎


 僕がサズ子を受け入れたから、もう満足しただって?

 馬鹿馬鹿しい! アイツが、そんな謙虚な訳あるか!

 大体、アイツは自分の望みを最初からちゃんと言っていたじゃないか!


 元の世界に、帰りたいと!


 アイツは出会った時から、ずっと元の世界に帰りたがっている!

 だから、こんな所で死んでいいはずがないんだ!


 それに、僕の為に自分はもう幸せだなんて優しい嘘を吐く奴が、悪なはずあるかッ‼


 僕は目の前にある、空間を歪める透明な靄に思いきり槍を突き刺した。


「喰いたいなら、好きなだけ僕の魂を喰え、サズ子! お前に、僕の全てをくれてやる‼ その代わり、僕にお前の全てを寄越せ‼」



****************



「信じられない……魂を共有するなんて」


 私は、そのあまりに衝撃的な光景に言葉を失う。

 蒼の魂をクソ蛇の魂が喰ったと思ったら、そのまま何事も無かったかのように二人の中に同じ魂が在り続けている。


 私は、視線の先で不思議そうな顔で向かい合う二人……いや、一つの存在を見つめる。


 二重人格という言葉があるが、あれは実際に人格が一つの身体に二つある状態だ。

 しかし、そもそも人間の人格とはいくつもの思考が合わさって出来たものである。

 だから、仮に一つの身体に人格がいくつあろうと魂は一人につき一つだけなのだ。


 この大原則に、例外は無い。

 何故なら、これは世界の理だからだ。


 ……だと言うのに、今私の目の前には、その絶対不可侵領域の理を覆した存在がいる。


 ある意味、世界の理に逆らうという大罪を犯したその魂は、しかし、私が今まで見てきたどんな宝物よりも美しい光を放っていた。


「こんな事が起こりえるなんて……」


 私が呆然とその美しさに目を奪われていると、隣からボソリと、まるで存在してはいけないものを見てしまったかのような震えた声が聞こえてきた。


「海の……支配者スキルだと?」

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