第28話 種明かし

「……痛い」


 僕は激しく痛む後頭部をさすりながら、目の前の行われている乱戦を眺める。

 気が付いたら、何処からか現れたの大量の海賊達が下に降りた海兵さん達と氷の大地の上で戦っていた。

 これじゃあ、アリスさんの元に行くどころか、アリスさんの居場所すら分からない。


 ……えっ、後頭部が痛む理由?

 そんなの、氷の大地に足を滑らせたに決まっているじゃないか。当たり前のことを聞かないでくれ。


 大体、こんな不安定な足場で普通に戦闘しているみんなの方がおかしいんだ。必死に踏ん張って無いと立つ事すら難しいのに、あんな高い所から飛び降りて無事に着地出来るわけないじゃないか。


『……誰に言い訳してるの?』

「うるさい」

『図星を突かれたからって——』

「だぁーっ! もう! 行くぞ!」


 今は、こんな会話をしている場合じゃない。早く、アリスさんを助けなければ!


「うぉっと、少年。ここから先は……?」


 その時、ガラの悪そうな灰色の髪の男が目の前に現れる。

 間違いなく、コイツも海賊だろう。

 こんなガラの悪い見た目の海兵なんて、存在するはずがない。

 僕が物凄い偏見で目の前の男を見ていると、何故かそいつは咥えていたタバコを落として、僕の顔を驚いたように見ている。


「……お前、蒼か?」

「……え?」

「うぉいっ! マジかよ! んだよ、久しぶりじゃねえか! 元気してたか?」

「いや、ちょ……っ⁉」

「ディアが心配してたんだぞー。ったく、突然飛び出して行きやがって……そりゃあ、ずっと黙ってたのは悪かったが、俺達はお前を……」

「ま、待てよ! 誰だよ、アンタ⁉」

「あん……? お前、何言ってやがんだ?」


 灰色の髪の男が怪訝そうな顔で僕の顔を見ていると、その瞬間、背筋も凍えるような殺意が何処からか向けられた。


「【創造】……ッ!」

「あぶねえ、蒼!」


 灰色の髪の男は、咄嗟に僕を庇うように前に出ると腰に差していた剣を抜く。

 すると、甲高い音を立てて何かが砕ける音と共に、僕の目の前に氷で出来た刀身が落ちて来た。

 この剣は……。


「ティザー・バルバトスッ‼」

「く、クオン⁉ お前、何でここに⁉」

「お前を……殺すためだ‼」


 クオンはそう言って刀身が折れた氷の剣を捨てると、身を翻して距離を取り、再び魔法で氷の台地から剣を作り出す。


「クソッ、面倒な……今は、お前に構っている暇はねえんだよ!」

「何だと⁉」

「それより、蒼。お前、本当に俺の事を覚えてねえのか?」


 ティザーと呼ばれた男は、心配そうな眼差しで僕を見る。

 ……全く訳が分からない。何故、敵である海賊が僕の心配をしているのだ。


「また、そいつか……だが、お前だけは私の獲物だ。逃がさないぞ。【神災の大狼】」


 その瞬間、みるみるとクオンの頭からは狼のような灰色の耳が生えてくる。


「それは……【禁忌の血】? お前まさか、アレを飲んだのか⁉」

「そうだ。お前が生きている限り、私は剣聖にはなれない。だから、お前を殺すための剣が、私には必要だった」

「この馬鹿野郎が……っ! そんなモンの為に、取り返しのつかねえ事をしやがって‼」

「家も立場も捨てて夢物語を追い続けた挙句、あっさりと命を落としたお前に言われたくない‼」

「俺は良い! 夢のために失うのなら、命だって安いもんだ! だが、お前の目的はなんだ? 何の為に命を掛けている⁉」

「言っただろう! お前を殺すためだ!」

「死人を殺すために、自分が死ぬ馬鹿が何処にいやがるんだ‼」

「うるさい‼」


 クオンはそう叫んで姿を消すと、闘技場で僕にやったようにティザーの死角に回って斬りかかる。

 パキィーンッ!

 しかし、ティザーの腕がブレたかと思うと、クオンの握っていた剣は再び刀身の根元から叩き折られてしまう。


「諦めろ。そんな借りモノの力じゃあ、俺は倒せねえ」

「これは、借りモノの力なんかじゃない……っ! 私を舐めるな!」


 クオンの顔に怒りが満ちると、クオンの姿が再び変化する。

 爪が異常に伸び、美しかった顔は裂け、口から鋭い犬歯を覗かせると、耳と同じ灰色の尻尾が生えてきた。


「チッ、馬鹿野郎が……ッ! 蒼、悪いが……このままじゃあ、お前を守ってやれそうにねえ。お前はとりあえず、ディアの元に向かえ!」

「い、いや、だから、僕はそもそもアンタの敵だ! 守ってもらう筋合いはないぞ⁉」

「ああ、そうかよ。じゃあ、丁度良い。とにかく、今はあのじゃじゃ馬を何とかしてやらなくちゃいけねえ。お前は安全な場所に隠れてろ!」

「あ、アンタ、クオンを殺す気じゃないだろうな……⁉」

「命を狙われているんだ。殺して何がいけねえ? ……と、言いたいところだが、安心しろ。アイツは、俺の妹だ」

「い、妹?」


 その時、目の前にいたクオンが一瞬でティザーの近くに来ると首筋にその鋭い牙を立てようとする。


「空間魔法【空間識拡張アルゴスの眼】」


 しかし、ティザーはその攻撃を紙一重で躱すと、あっさりとクオンの腕を取って関節を極める。

 す、凄い……。傍から見てても、あれ以上に身体を動かさずにクオンの攻撃を躱す術はないだろうと思わせるほどの完璧な動きだった。


「今のうちに、早く行け!」

「で、でも、クオンが……」


 ごきゅっ!


 僕が拘束されたクオンを助けるか悩んでいると、クオンの腕から嫌な音がした。


「コイツ、もう理性が飛んでいやがるのかッ! あっさりと化け物に飲まれやがって、馬鹿野郎が!」

「お、おい! クオンはどうなってるんだ⁉」

「説明してる暇はねえ! 今のコイツに、もう敵味方の区別はねえぞ! 俺が責任持ってどうにかするから、お前は逃げろ!」

「で、でも——」

「——俺を信じろ、蒼! お前が俺達を何と思おうと、俺はお前の事を仲間だと思っている‼」


 その瞬間、心臓が痛いほど締め付けられた。


「……ごめんな。お前が俺達を信じられなくなっても当然なのに、こんな台詞しか俺には言えねえ」

「ティザー……」

「早く行け、蒼。ディアに会うんだ。アイツなら、きっとお前をどうにかしてくれるはずだ」

「……」


 僕は、走り出した。

 頭の中では、もう数え切れないほど繰り返した問答が濁流のように溢れかえる。


 僕は、一体何者なんだ?

 何故、海軍の敵であるはずの海賊にここまで親切にされている?

 それに、僕はこの海賊団から命を狙われていたはずじゃなかったのか?


 その時、遠くから身体を揺らすほどの衝撃と共に真っ黒な光が天に向かって伸びる。

 ……まるで、自分の居場所を誰かに伝えるように。


 僕はフラフラとした足取りで、縋るように黒い光の方に向かった。




****************




「【物質破壊】」

「【黄金林檎の試練】」


 ヤツから放たれた黒い靄を引力魔法で逸らすと、私は次の魔法を使う。


「戦闘魔法【女神の羽】」


 その瞬間、身体が重力の楔から解き放たれたかのように軽くなり、私は身体の全ての動きを完璧に制御出来るようになった。


「目覚めよ、天叢雲! 私に力を寄越せッ!」


 腰に差していた天叢雲を抜くと、そいつは私の声に反応して本性を現す。

 美しく透き通っていた刀身は真ん中から裂けるように二つに割れ、嗤うように凶悪な刃をガチガチと鳴らしながら獲物を求める。

 この剣を使いこなす術が頭に直接伝わってくるのを確認すると同時に、私はほとんど人外の動きでディア・シーに斬りかかった。


「いつ見ても、醜い悪器だね。貴女には似合わないよ、アリス。【物質破壊】纏い」


 ディア・シーは持っていた銃に黒い靄を纏わせると、正面から剣を受ける。


「お前には言われたくないな。いつもの相棒はどうした?」

「ああ、アレは私に逆らったから殺しちゃった」

「……相変わらずだな。お前は」

「支配者スキルで、無理矢理悪器を操っているアリスには言われたくないなぁー」

「支配者スキルで、無理矢理仲間の魂を縛っているお前には言われたくはない!」


 天叢雲の片方の刀身で鍔迫り合いをしつつ、自由なもう片方の刀身を操ってディア・シーを攻撃する。


「【死を齎した明星】」


 しかし、その瞬間、正面から死の光が私に向かって放たれた。

 掠っただけでも確実な死を齎す光を前に、私は仕方なくその場を離れるが……おかしい。あんな状況で究極魔法を使うなんて、魔力の無駄遣いにもほどがある。


「……お前、何が狙いだ?」

「うん? いや、ただ攻撃を躱すのが面倒臭かっただけだよ?」

「嘘を吐くな。いくらお前の魔力が膨大だからと言っても、そんなにポンポンと究極魔法を連発出来るはずがない」

「うーん。まあ、確かに今日は【星読み】と【死を齎した明星】を二発使ってるから、普段よりは魔力を消耗しているけど、流石にまだ大丈夫だよ」

「……化け物め」


 普通、原典に刻まれた究極魔法は一度使うだけでも一般人数百人分の魔力を消費する。

 それを平然とした顔で三回も使っておいて、まだまだ使えるなんて言う奴はすでに人間じゃない。


 アイツは、やはり異常だ。このまま、生かしておく訳にはいかない。

 ……例え、この命がもう一度尽きる事になったとしても。


「ディア・シーッ!」


 その時、不意に最近良く頭をよぎる少年の声が聞こえてくる。


「蒼……?」

「やっほ、蒼。私に会いに来てくれたの?」

「お前は、何者なんだ……ッ!」


 槍に右手を縛られながら、自由な左手で苦しそうに胸を握り締めながら少年は叫ぶ。


「ここに来る途中、何人もの海賊に声を掛けられた! まるで、僕の事を自分達の仲間みたいに……僕は、お前の何なんだ⁉ 何故、こんなにも胸が苦しい⁉」

「蒼……やっぱり、記憶が無いんだね」


 ディア・シーは、痛ましそうな顔で少年を見る。

 ヤツのあんな顔なんて、見た事がない。

 最初に聞いた時は、随分とタチの悪い冗談だと思っていたが……まさか、アイツは本当に蒼のことを?


「……アリス、もう一度だけ聞くよ。正直に答えてね。返答次第じゃあ、私は光海教会を……私の全てを掛けて潰す」

「……何だ」

「光海教会は、蒼のスキルをどうしたの? アリスの時みたいに封印したの? それとも奪った? だとしても、何故蒼をアリスに預けて私の前に連れて来たの?」

「蒼に、スキルだと……?」


 私は首を傾げる。だって、蒼のステータスにはスキルなんて……。


「……アリスが、蒼のスキルを知らないだと? 光海教会が隠したのか? いや、だとしても……何だこの違和感……っ!」


 その時、ディア・シーは自分が致命的な勘違いをしていた事に気が付いたかのような顔をする。


「まさか、そもそも海軍にいる事自体が偶然なのか……っ⁉ だとすると、全ての元凶は……お前か、【国喰】ッ‼」


 その瞬間、蒼の腕に巻き付いていた古布が人間の少女の姿に変わる。

 その少女は、本来なら病的なほど白い肌をした美少女だ。


 ……しかし、今現れた美しいはずの少女の顔には、思わず目を逸らしたくなるほどの狂気的なとびっきりの悪意に満ちた笑みが張り付けられていた。


「スキル【千変万化】、氷の大地よ。今すぐ全ての人間を振り落とせ」




****************




「なっ⁉」


 急に全身から力が抜けたかと思うと、サズ子が人間の姿に変わり僕から槍を奪い取る。


「スキル【千変万化】、氷よ。今すぐ全ての人間を振り落とせ」


 すると、氷の大地が地震でも起きたかのように激しく震えだす。

 貧血のような状態になっていた僕はとても立っていられず、叩きつけられるように地面に倒れてしまった。


「うーん、七割に少し届かないくらいかな? まあ、十分か」

「さ、サズ子……?」

「ああ、蒼。ありがとう。貴方のおかげで、大分力を取り戻せた」


 サズ子はそう言うと、ディア・シーと向かい合う。


「……お前、蒼に何をした?」

「別に、私は何もしてないよ」

「嘘を吐くなッ‼ 少なくとも、その姿を維持するだけでも何らかの代償を蒼から奪っているはずだ‼」

「私の力を貸してあげていたんだから、代償を貰うのは当然のこと。それは、どこの世界でも共通の理。でも、勘違いしないで欲しい。私と契約したのも、私の力を欲したのも、全ては蒼の意志。そうでないと契約は成立しない」


 サズ子は地面に倒れ伏す僕を見下しながら、嘲嗤うかのように口元を歪める。


「それが身に過ぎた力だとも知らず、他人の為になら簡単に禁忌に触れる。そんなんだから、自分の根源を削られるんだ。貴方は本当に可愛くて……愚かな、私のスレイヴ奴隷だったわ」


「……アリス、簡潔に答えて。蒼のステータスに、スキルは無かったの?」

「あ、ああ……」

「魂から溢れた力の奔流であるスキルが無くなっている……つまり、魂を弄られた……? まさか、お前は蒼に力を貸すたびに魂の一部を喰い散らかしていたのか!」

「……さあ?」


 サズ子はそう言って、見せつけるように自分の腹をさする。

 それを見た瞬間、ディア・シーの表情から全ての感情が抜け落ちた。


「今すぐ、蒼から奪ったモノを全て吐き出せ。さもなくば、お前の存在を消す」

「やってみろ、小娘。お前程度が、あまり調子に乗るなよ」


 その時、激しく揺れていた氷の大地がピタリと止まる。

 しかし、次の瞬間、サズ子を中心に物凄い勢いで氷の大地は天に向かって伸びた。

 それは徐々に蛇の形をとると、氷の上に乗っていた者を全て振り落とす。


 ……勿論、僕も例外ではない。

 全身から力が抜けた僕は海に落ちると、泳ぐことも出来ずにただ海に沈んでいく。


 サズ子……。



****************



「浮遊魔法【魔女の乗り物ビーザム】」


 氷の上から振り落とされた私は、浮遊魔法で体重を無くし海に浮く。

 私は聳え立つ氷の大地が変化して出来た大蛇を見上げると、遥か上空にいる国喰を睨みつける。

 ……蒼の姿が無い。まさか、飲み込まれたか?


「アリス、協力して」


 すると、私と同様に何らかの魔法で海に浮いていたディア・シーが私にそう提案してくる。


「私が、お前と? 冗談だろう」

「冗談なんかじゃない。アレをこのまま放置していたら、この世界に災厄を振りまくよ。それに、アイツはとんでもないモノを持ち逃げしようとしている」

「……お前がさっきから言っている、蒼のスキルか……お前がそんなに拘るとは、それほどのモノなのか?」

「……来るよ」


 その声と同時に、海中から目の前に居る氷の大蛇とは別の小さな氷の蛇が飛び出してきて、私達に襲い掛かって来る。


「破壊魔法【物質破壊】」

「鏡魔法【反射リフレクト】」


 私は咄嗟に氷の蛇が突っ込んで来る位置に魔法の鏡を出すと、角度を調整する。

 鏡に氷の蛇が触れると、まるで鏡に反射するように氷の蛇は弾かれディア・シーの方へ向かうが、ディア・シーが手に薄黒い靄を出して軽く触れると、あっさりと氷の蛇は二匹とも砕けた。


「ちょっと、面倒臭いからって私に雑魚の処理を押し付けないでくれる?」

「貴様のその魔法は、ゴミ掃除くらいにしか役立たないだろう。それより、私に今の状況のヤバさを正直に教えろ。条件次第じゃあ、協力してやらん事も無い」

「このままじゃあ、蒼が死ぬ」

「……」

「人命救助は、海軍の役目でしょ?」


 ディア・シーはそう言って、憎らしくウインクをする。


「……アイツは、海兵だ。戦場で死ぬのは承知の上だろう」

「じゃあ、部下の不始末はアリスが責任を持って片付けなくちゃ。それに、私には分かってるよ。アリス、蒼を結構気にかけてたよね? もしかして、惚れた?」

「それは貴様だろう⁉ 私はただ、彼に借りがあるだけだ!」

「へぇー」


 ニヤニヤと笑いながら、アイツは私の顔をジロジロと見て来る。

 ……コイツ、今すぐぶっ殺してやろうか。


「とにかく、どんな事情があれ、アレを何とかしなくちゃいけないのはアリスも分かっているはずだよ」

「……はぁ、良いか。これは協力じゃない。目的が同じだけだ」

「おっけー。一対一対一だね」

「貴様にしては、良い表現だな」


 私は剣を構える。状況が状況とはいえ、まさかコイツを目の前にして別の敵と戦う羽目になるとは……私も年を取ったものだな。


「海軍元帥が海賊王と共闘するとか、貴女恥ずかしくは無いの?」

「そうだな。この件が終わったら、退職届を出してみるよ」

「くはーっ! 無理無理。どうせ、受理されないよ」

「うるさい。口を開くな」

「えー、そこまで言わなくてもいいじゃん。アリスは酷いなぁー」

「……はぁ、面倒な。例え、お前等がどんなに頑張っても私には勝てないというのに」

「あれ? クソ蛇の分際で、随分と調子に乗っているね」

「人間の分際で、調子に乗っているのはそっち」

「貴女は今から、その人間に倒されるんだよ」

「それは無理。私には、お前達の全てのステータスが見えている」

「へぇ……もしかして、お前は化粧塗れの顔を綺麗というタイプなのか? その顔と同じように」

「私には、お前等の醜い厚化粧の下が見えていると言っているんだ。その程度のステータスではしゃげるなんて、相変わらず人間とは愚かな生き物」

「あっそ。じゃあ、お前はどうやって私に勝つつもりなんだ?」

「は?」

「聞こえなかったのか? 異界のゴミが、どうやって私に勝つんだと聞いている」

「お前……」


 ディア・シーと国喰の間で、尋常じゃない雰囲気が流れ出す。

 二人共、蒼と言い争っていた時のような穏やかな雰囲気はない。完全に本気だ。


 ……なるほど、これが同族嫌悪というヤツか。


「アリス、作戦を言うよ」

「ああ」

「私があのクソ蛇の所まで突っ込むから、アリスは私を援護して」

「何だ、それだけでいいのか?」

「後ろから、私を攻撃しないだけでも十分過ぎるくらいだよ」

「そうか。善処しよう」

「うん。お願い」


 ディア・シーの全身から、空間を歪める薄黒い靄が溢れる。


「破壊魔法【物質破壊】纏い。更に、浮遊魔法【月兎げつと】」


 ディア・シーは空中を踏みしめると、高くジャンプした。

 すると、氷の蛇の身体から次々と小さな蛇が生まれ、ディア・シーに襲い掛かる。


「……さて、本当に撃ち落としてしまいたいところだが、仕方ない。人命と世界の平和の為に援護してやるか。【黄金林檎の試練】」


 その瞬間、ディア・シーに向かっていた無数の蛇達が海面に引かれたようにガクンと高度を落とす。

 だが、私が引き寄せているのは小さな蛇だけではない。


「天の重さを知るがいい。地を這う蛇よ」



****************



 私がクソ蛇に向かってジャンプした瞬間、氷の蛇が襲い掛かって来た。

 しかし、私はそれを無視して更に空中を蹴る。

 その瞬間、私を追いかけてこようとしていた氷の蛇が、何かに引っ張られたように下に落ちていく。

 ……いや、それだけじゃない。


 私に襲い掛かってきた氷の蛇の元、天高く聳え立っていたクソ蛇が作った氷の大蛇自体が海に引きずり込まれている。


「流石、アリス。良い援護だね」

「……そんなに私に近づきたいなら、私から近づいてあげる」


 すると、負け惜しみを言いながらクソ蛇は氷の大蛇を操り、私を押し潰すかのように突進してくる。


「くふっ、学習しないね。その攻撃は私に通じないって、一か月前に教えなかったかな?」


 私は迫りくる氷の大蛇を無視して、そのまま突っ込む。

 普通の人間がこんな事をしたら圧倒的な体積と重量差に押し負け、海面に叩きつけられて肉体をぐちゃぐちゃにされてしまうだろうが、物質破壊を身に纏っている私には物理的な攻撃は通じない。

 私に触れた瞬間に、元素レベルにまで分解されて粉々に砕けてしまう。


「学習しないのはそっち。貴女こそ、それで蒼に投げられたのを覚えてないの?」


 その時、砕けた氷の大蛇の破片に隠れて、クソ蛇が私に向かって黒銀の槍で攻撃してくる。


「隠蔽魔法【身代わり】、【隠者】」


 私はクソ蛇に聞こえないように隠蔽魔法を唱え、目の前に向かって実体を持ったダミーを作り出し、目の前でダミーが黒銀の槍に貫かれたのを確認すると、姿を消してクソ蛇の背後に回ろうとする。


「全て見えてるぞ。性悪女」

「……っ⁉」


 しかし、背後に回ろうとした瞬間、姿が見えないはずの私を何故かクソ蛇が目で追っている事に気が付く。

 クソ蛇は私と目が合うとすぐさまダミーから槍を引き抜き、円を描くように槍を振るった。

 私は槍を空中を蹴る事で何とか避けようとするが、槍の柄が伸びてきて間合いが広がったせいで、刃が私の足を掠めてしまう。

 すると、私が発動していた隠蔽魔法と浮遊魔法、更には破壊魔法までが強制解除される。


「くたばれ」

「くっ⁉」


 その瞬間、クソ蛇が氷の大蛇を操り再び私に突っ込んで来る。

 魔法の発動が、間に合わない……っ!


「【月兎】」


 その時、下からものすごい勢いで飛翔してきた何かが私の首根っこを掴んでその場から離脱する。

 ……首元辺りからブチッと、とても嫌な音がした。


「素晴らしい戦いだな。ディア・シー」

「あ、アリス―……助けてくれたのはありがたいけど、胸元のボタンがどっか行っちゃったじゃん」

「ほう、それは大変だ。貴様の命なんかよりも、よっぽど重い落とし物をしてしまった」

「うーん、困ったね。これじゃあ、戦闘中に谷間が見えちゃって、アリスが嫉妬して裏切りかねないよ」

「ボタンのついでに、その胸に付いている重しも斬り落としてやろうか」


 アリスが憎々しげに、私のおっぱいを凝視してくる。

 しかし、冗談はともかく、このコートに傷がついては大変だ。

 私は急いで簒奪魔法を発動すると、コートを異空間に仕舞う。


「……それは、戦線布告か?」

「ち、違うって、ただ動きやすい恰好になっただけだよ! だから、剣を私に向けないで⁉」


 アリスが私の胸元に剣を突きつけてきたので、慌てて戦闘の意思はないと伝える為に手を挙げる。

 全く……身体がお子様だからって、精神は大人なのだからもっと余裕を持って欲しい。


「チッ、さっさと自分で浮け。重くてしょうがない」

「胸が重くてごめんね」

「本当に殺されたいのか」


 アリスはそう言うと、乱暴に私を放り投げる。

 私は慌てて浮遊魔法を発動して、空中を踏みしめた。


「じょ、冗談だって、あんまり怒んないでよ。アリス、もしかして更年期?」

「私と貴様は同い年だろう⁉ 私が更年期なら、お前も更年期だ!」

「その理屈は良く分からないなぁー……私、あんまり怒んないしね」

「誰のせいで、私が怒らされていると思っている⁉ それに貴様の場合は怒らないのではなく、ムカついたら我慢せずに原因を消滅させているだけだろ!」

「正解。良く分かってるじゃん」


 私は目下一番のストレスである、クソ蛇を睨みつける。

 どうやら、アイツの目にはステータスだけでなく隠蔽魔法を見破る力まであるようだ。

 ……私の本当のステータスが見えているのも、ブラフじゃない可能性があるな。


「おい、クソ蛇。何故、お前は尻尾を巻いて逃げない」

「逆に聞くけど、カエルを前に逃げる蛇がいる?」

「……なら、精々後悔しろ。自分の目の節穴さに」


 私は、全身に魔力を漲らせる。

 久しぶりに、本気を出す必要がありそうだ。


「死霊魔法【幽霊船】改変、死霊魔法【地獄門ヘルゲート】」

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